第5話 前編 何もなしえなかった男


 白いテーブルに掛けられたレースのテーブルクロス。ソーサーに乗った陶器のティーカップ。花の香りが淡く漂う紅茶。そしてスコーンと名前は知らないけどスコーンが乗ってるやつ。


 優雅なティータイムと言えば?という質問に対し私が想像するのはこういうものである。

 だがしかし。


「現実は非情である……」

「ごめんね~。

 こんなことになっちゃって」


 現在エゥブさんとのティータイム。

 私の前にあるのはちゃぶ台。お猪口に入ったホットコーヒー。そしてキムチである。

 和洋中コンプリートだやったー。

 ……じゃねえよ。


 私と何度かティータイムを過ごして『普通』を知るエゥブさんは申し訳なさそうだ。


「技術局の人に『休憩中にちょっとつまめるもので眠くならないもの』を頼んだらこれが来たの」

「……仕方ないですよ。

 私が来るまで食事の概念もなかったんでしょう?」


 ドーレさんが相手だとここに骨付き肉がプラスされていたに違いない。


 ハザマの世界において人間は私しかいない。

 だから私がここに来てから色々と変化があった。


 私の『食べる』という行動を見るために、大量の職員が食べ物を持ってこの「第三係」に押し掛けた結果一時的に全業務が停止するという事件が起きたことも今となっては懐かしい。


「そうなの~。

 サトウちゃんが来てくれて『甘い』とか『苦い』とか知れて楽しいわ」


 エゥブさんが楽しそうにティータイムに参加してくれるのは私もうれしい。


「ところでこの後のサトウちゃんの予定は?」

「ウォーレイ君の執行のお手伝いをします。

 楽そうな案件なんで気楽に行けますよ」


 今回の転生者の名前は孤児院を経営していたゴンチさん。

 【世界座標:awheq8gasob;】で『普通』の人生を歩んだ人だ。

 こういう人の転生はスムーズに進むことが多いため、机の下で震えたりしなくてもいい。


「サトーさん! お待たせしました!

 ゴンチさんの転生をするのでお手伝いお願いします!」


 ちょうど話をしていると「第三係」の入口からひょっこり顔を出したウォーレイ君から声がかかる。

 わたしは「はーい」と返事をしてキムチをコーヒーで流し込んで立ち上がる。

 ……やっぱり合わないわこれ。




「ゴンチさん! あなたはお亡くなりになりました!

 僕はウォーレイ! あなたのこれからを示す転生執行官です!

 まずは、転生か消滅か、どちらか選んでください!」


 はいかわいい。


 今回の舞台は丘の上にぽつんと立つ一軒家。

 その一室にウォーレイ君、私、そしてゴンチさんが向き合う形で座っている。


「はあ……」


 ポカンとした表情のゴンチさん。

 50代後半の男性。

 顔のしわのせいで実年齢よりも年老いて見えるものの、どこにでもいそうな初老のおじさんだ。


「まず、転生というのはですね……」


 ウォーレイ君の説明が続く。

 私にとっては何度も聞いてきた内容なので適当に聞き流しながらゴンチさんの若い頃の顔を妄想して時間をつぶす。

 表情はもちろん崩しておりませんとも。真面目ですので。


「……説明は以上になります!」

「わかりました。

 わざわざ本当にありがとうございます」


 深く腰を曲げるゴンチさん。

 私のゴンチさんに対する印象に「腰が低い」が加わる。


「ええと、それで、転生か消滅か、でしたな。

 そうですね……消滅で、お願いします」


 消滅。

 それは文字通り次の転生をすることなく今回の死をもって全てを終わらせる決定である。


「理由を、聞いてもいいですか?」


 魂の循環を是とする執行官としては消滅を選んだ場合、その理由を聞くことが義務となっている。

 私も『普通』の人生を歩んできたこの人がなぜ消滅を選ぶのか気になる。





「それはですね、私が何もなしえなかったからですよ」



 ゴンチさんがぽつりぽつりと語る。


 孤児院を経営していた父に言われるままに孤児院を受継いだこと。

 経営が苦しく、子供たちに満足な食事が与えることなど一度もできなかったこと。

 年を越すことができなかった子供を墓に埋めることが両手では数えきれない程あること。

 有力者に援助を頼んでもすべて断られたこと。

 そして何より、子供たちを残して今こうして死んでいること。



「私は何もなしえなかった。

 きっと転生をしても同じことを繰り返すだけでしょう……」


 このことは確かに資料に書いてあった。

 しかしこうしたことはあの世界では日常茶飯事だった。

 それに……


「ゴンチさん、それはあなただけのせいじゃないはずです」


 社会が悪かった。援助を断った有力者が悪かった。流行り病が悪かった。

 ゴンチさんだけが悪かったなんてことは1つもないはずだ。


 私の言葉にゴンチさんは悲しそうに微笑む。


「確かにそうかもしれません。

 でも、私はもう私に期待できないんですよ」


 ……ダメだ。

 この人は、もう自分を諦めてしまっている。


 こうした人に対して掛ける言葉を私は知らない。

 ならばもう、黙るしかない。





「それなら!」


 私が黙ってしまったところでウォーレイ君の声が響く。


「それなら、なおさらあなたは転生すべきです!」


 ウォーレイ君は右手をさっと動かし、パネルを表示させる。


「さっき【保障】は説明しましたよね!

 その中に【記憶固定】っていうのがあるんです!

 これがあれば、あなたは前世の記憶を保ったまま転生ができるんです!」


 ウォーレイ君は真剣な目でゴンチさんを見据える。


「あなたの生に後悔があったのなら、その後悔を抱いたまま転生してください!

 そうすれば次は同じ後悔しないように、って頑張れるはずです!」


 なかなかに厳しいことを言ってくれる。

 頑張って何もできなかったからこそ彼は諦めてしまったというのに。






「それともあなたは子供に『何もできない人は消えてもいい』って教えるんですか!」

「…っ!」


 ウォーレイ君の外見年齢は10歳前後だ。

 ゴンチさんが育てていた孤児の中にはそれくらいの年齢の子もいた。

 そんな子供から告げられた言葉はゴンチさんに刺さったようだ。


 いつの間にか立ち上がっていたウォーレイ君は少し冷静になったのか、恥ずかしそうに座りなおす。


「……大声出してごめんなさい」

「……いえ、こちらこそ、すみませんでした」


 沈黙が流れる。

 どうしたらいいんだこの空気。




「……あの、よろしいでしょうか」


 ゴンチさんから静かな声がかかる。


「先ほどの、消滅ですが、やっぱり、転生でお願いします」

「!」


 ウォーレイ君の顔がパァっと輝く。


「今度こそ、頑張ってみようと思います。

 【記憶固定】も、お願いします」

「はい!

 お任せください!」


 ウォーレイ君の手がいそいそと動き、パネルをものすごい勢いで操作していく。





 その後、転生先もつつがなく決まり、今はまさに転生を執行しようとする場面。


「では、ゴンチさんの転生を執行します!

 ……頑張ってください!」

「はい、本当に、本当にありがとうございました」


 ゴンチさんは、深々と頭を下げ、そして、新たな世界へ旅立っていった。

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