第50話 大回りは計画的に一都六県大回り・一

 かくして、隠井は、「ANAポケット」の移動ポイントをコスパ良く稼ぐという目的に加え、物語の舞台探訪をするために、〈一都六県大回りの旅〉をしてみることにしたのであった。もっとも、この場合は、舞台探訪というよりもむしろ、〈物語の追体験〉という方が適切かもしれない。

 とまれかくまれ、トラヴェル・ライターの「ヨコミ」さんと、漫画家の「キクチ」さん、そして編集の「イシカワ」さんが、『鉄子の旅』の第二話(作品の中では「第2旅」)において鉄道〈の〉旅をしていたのと同じように、隠井もまた、一都六県を十五時間かけて移動しまくってみることにしたのである。

 ちなみに、十五年前に視聴していた『鉄子の旅』を思い出したのが六月三日・金曜日の早朝の事で、隠井が〈大回り〉を敢行する事にしたのが六月五日・日曜日、着想と実行の間に、中一日が空いているのは、移動計画の立案のためである。


 約二十分間に渡るアニメの「第2旅」では、東京駅の丸の内北口に集合した三人が利用した駅と路線の殆ど全てが描かれており、そのため、物語の追体験として、作中人物の動きを追って行く事それ自体は、〈机上〉においては比較的容易い。

 ちなみに、以下が、その「第2旅」の三人の移動経路である。


 1 東京〜川崎:東海道本線

 2 川崎〜尻手:南武線

 3 尻手〜浜川崎:南武線支線

 4 浜川崎〜鶴見:鶴見線

 5 鶴見〜大船:根岸線

 6 大船〜茅ヶ崎:東海道本線

 7 茅ヶ崎〜橋本:相模線

 8 橋本〜八王子:横浜線

 9 八王子〜高麗川:八高線

 10 高麗川〜高崎:八高線

 11 高崎〜小山:両毛線

 12 小山〜友部:水戸線

 13 友部〜我孫子:常磐線

 14 我孫子〜成田:成田線支線

 15 成田〜千葉:成田線

 16 千葉〜蘇我:外房線

 17 蘇我〜八丁堀:京葉線


 起点の東京駅と終点の八丁堀駅を含めて、駅の数は十九駅、路線は十七線にも及び、こうして並べ置いてみると、たしかに、アニメではわずか〈二十分〉のエピソードでも、実際の移動時間は、その四十五倍の〈十五時間〉にも及ぶ分けで、この長丁場、もしも乗り換えに失敗してしまった場合、この企画それ自体が途中でポシャりかねない。

 だからこそ、舞台探訪の参考のために、隠井は、アニメ本作を何度も繰り返し視聴したのであった。


 だがしかし、だ。

 たしかに、こと時刻に関しては、最初の東京駅の「七時」という集合時刻と、八丁堀で解散になった「二十二時半」など、幾つかの時間的情報が物語に折り込まれてはいるものの、残念ながら、乗り換えの際の列車の細かい発着時刻までは描かれてはいなかった。

 企画成就のために何よりも重要な情報は、乗り換え時の〈発着時刻〉なのだが、アニメは、影響を受けた視聴者の模倣的行為を念頭においていないのか、あるいは、時刻くらい自分で調べろって事なのか、理由は分からないのだが、詳しい時刻は示されてはいなかった。

 隠井の場合、作中人物の動きを可能な限りトレースしたいと望んでいるので、正確な時刻の情報が欲しかったのだが、アニメに時刻が描かれていない以上、仕方がない話なので、集合時刻と解散時刻を手掛かりに、日曜の移動計画を練ってみる事にしたのであった。


 その際、原作漫画も参照する事にした。

 漫画版でも、件の「大回り」の逸話は、第一巻の「第2旅」に同じタイトルで、〈十八頁〉という分量で収められているのだが、その再読の際に驚きの気付きがあった。

 それは、アニメ版には認められなかった乗り換え時の列車の発着時刻が、漫画版の方には記載されていた事である。

 そこで、隠井は、漫画版の発着時刻を参照しながら移動計画を再確認してみることにした。

 

 ざっくりとした検索の結果わかったのは、『鉄子の旅』第一巻刊行時の二〇〇五年一月時点の列車のダイヤと、二〇二二年六月現在のダイヤを比べてみた場合、全ての路線において、列車の発着時刻は違っており、そのため、空間面において、作中人物と同じムーヴをすることはできても、時間面では〈完全なる一致〉という意味では、作中人物と全く同じ時刻の列車移動を追体験するのは、今や不可能になってしまっているという事である。


 とはいえども、漫画版を参照すれば、作中人物と類似の動きはできる分けで、漫画の時刻は、その大いなる助けとなろう。

 それにしても、『鉄子の旅』のアニメ版では、何故に、〈時刻〉という最重要情報が削除されてしまったのであろうか?


 『鉄子の旅』の「第2旅」に関する情報を整理すると、この話は、元々、二〇〇二年三月一日号の『IKKI』第八号に掲載されていた。これが収録された単行本の第一巻の発行が二〇〇五年の一月一日で、そして、アニメ放映が二〇〇七年の七月一日、ちなみに、今現在は二〇二二年六月である。

 現在と初出の連載漫画の時間的間隔が二十年、今現在とアニメ放映時の時間差が十五年である。つまり、現在の二〇二二年と、雑誌連載の二〇〇二年の間に横たわる二十年間は言わずもがな、二〇〇七年のアニメ放映と連載漫画の二〇〇二年の五年の間においてさえ、JR東日本のダイヤの改正は幾度も為されてきた。


 こうしたダイヤの改正にもかかわらず、雑誌連載のオリジナル版が単行本化した際には、連載時の時刻情報が削除される事はなかったのだが、これに対して、漫画を原作とした二〇〇七年七月期のアニメ版では、時刻情報は描かれることはなかった。

 これは、もしかしたら、アニメスタッフが、時刻情報を重要視しなかったためかもしれない。

 だが、別の観点、媒体の性質という面から考えてみると、アニメは、通常の毎週放映が終わった後に、円盤化されたり、配信などで、アニメのTV放映以降も視聴者に観られてゆくものである。こうしたアニメの性質上、頻繁に変化してゆく情報を盛り込むのは、視聴者の誤解を生む可能性が増すだけだ、と制作時に判断されたのかもしれない。もっとも、漫画も、連載から単行本化する際の事情は同じなのだが、漫画の場合、話ごとの連載の発表情報が単行本に記載されているので、仮に誤解した読者がいたとしても、不特定多数の視聴者がいるTVアニメよりは、言い訳はし易いようにも思われる。


 たしかに、時刻情報の有無に関する真相は藪の中なのだが、少なくとも言い得ることは、漫画版の『鉄子の旅』の登場人物たちと、完全に〈同じ〉時刻の列車に乗るという意味での、作品に寄り添った舞台探訪は、連載漫画発表直後、ダイヤ改正の前のわずかな時間しかできなかった期間限定の遊びなのだ。

 しかし、である。

 アニメ版では、発着時刻がアバウトに指摘されているだけなので、同じ経路の移動という点では、二〇二二年現在今なお、三人と全く同じ動きをする事は可能であろう。


 かくして隠井は、乗り換えをミスらず〈BRAVRA〉をするために、まず、十九の駅を書き出し、それから、駅名の下に、漫画でヨコミさんとキクチさんが利用した時刻を書き込んだ。たとえ、二〇〇二年時点のダイヤと二〇二二年のダイヤの間に、数多の変更点が認められるとしても、漫画に記載されている時刻は、乗るべき列車のスケジュールを組む上で非常に参考になるからである。

 そして、漫画に記述されている時刻に書き間違いがないかどうか、二度確認した後で、隠井は、WEBサイト『ジョルダン』で、十七路線の発着駅を検索窓に打ち込んでゆき、最適な列車を調べて、その検索結果の一つ一つを、物語の時刻の脇に別色のペンで書き込んでいったのであった。


〈参考資料〉

〈WEB〉

「青春18きっぷ」『ジョルダン』、二〇二二年六月四日検索。

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