第5話 定山渓温泉のかっぱ淵:『WORKING!!』第八品目

 『WORKING!!』は、北海道にある架空のファミリーレストランチェーン「ワグナリア」を舞台背景にしている。

 この作品は、二〇〇五年から二〇一四年の十年に渡って、スクウェア・エニックス社から出版されている漫画雑誌『ヤングガンガン』で連載されていた高津カリノ氏原作の四コマ漫画で、二〇一〇年から二〇一五年までの間には、三期に渡ってテレビアニメ化もされた。その第一期は二〇一〇年の四月期に全十三話放映され、その八品目(第八話)「伊波、はじめて?のお・で・か・け!」の物語は次のような内容である。


 ある日、ワグナリアの水道管が破裂し、その修理のために店は週末に臨時休業になる。そこで、この機会を利用して、店員達は日帰りで温泉に遊びに出掛けることにする。その温泉がどこなのか、物語の中では意図的なまでに固有名詞が消されているのだが、物語の舞台背景となった温泉街の各地に点在し、しかも写実的に描かれている数多の河童像よって、背景地が定山渓温泉だということが分かる。

 物語の中で、男性アルバイトの小鳥遊(たかなし)と相馬は、札幌駅前のバスターミナルからバスに乗って温泉に向かうのだが、この場面でも「札幌駅」「第十二番乗り場」そして「乗車券売場」までもが、アニメーションの中では実に再現率高く描かれているのだ。

 しかも、小鳥遊と相馬が温泉に向かう際に乗ったバスは路線バスなのだ。実は、札幌から定山渓温泉へは、直行便の「かっぱライナー」が運行しているのだが、「かっぱーライナー」は乗車日前日の十七時までに予約をしなけれれば乗れない場合もあるのだ。したがって、突発的に温泉行きを決めた二人が、予約不要の路線バスの方を利用している点、ここにもまたリアリティーが認められる。

 つまり、「札幌」や「定山渓」といった<実在>の固有名詞こそアニメの中には出てこないのだが、それにもかかわらず、背景それ自体や設定は実にきめ細いのだ。

 さて、男性アルバイトの二人は、自家用車で温泉に赴いていた女性アルバイト達と現地で合流する。その女性陣の一人、伊波は、男性恐怖症のせいで男が近くにいると暴力的衝動に駆られるという極めて特異な性質の持ち主なので、一般的な観光客に迷惑を掛けることを懸念した小鳥遊は、伊波を連れて人気の少ない場所に移動する。

 その伊波を連れた小鳥遊がたどり着いたのが、深い淵に架けられた赤い吊り橋であった。そこで、小鳥遊は、この淵に纏わる河童伝説について言及し、さらに、吊り橋に備え付けられているプレートによって、そこが「かっぱ淵」だということがアニメを観ている者に分かる様に描かれている。

 実を言うと、<現実>の吊り橋に掛かっているプレートの文言は、アニメのような「かっぱ淵」ではなく、「ふたみつりはし」という橋の名称なのだ。

 ここに、<現実>と<虚構>との間の相違が認められる。しかし問題は、<現実>と違っていることではなく、何故に、虚構であるアニメーションでは、このような変更が為されているのかという点である。

 定山渓のかっぱ淵の河童伝説とは、美青年に恋した女河童が彼を川に引き摺り込み、彼と夫婦になるという内容である。

 このような異類婚姻譚の元となった場所で、伊波は自分の男性恐怖症ゆえに仲間に迷惑をかけていることを泣きながら小鳥遊に謝罪するのだ。先走って語ってしまうと、アニメの第三期で、伊波は、男性恐怖症を乗り越えて、小鳥遊と恋人同士になる。

 再確認になるが、背景になっている温泉が定山渓温泉であることはアニメの中では隠されている。こうした固有名詞の削除は、もしかしたら実在の舞台背景地への配慮なのかもしれない。しかしながら、二見吊橋での小鳥遊と伊波の会話場面では、固有名詞は削除されず、<現実>の「ふたみつりはし」は、実在しない「かっぱ淵」にというプレートに置き換えらている。こうした改変は、「ふたみつりはし」という橋の名称よりも、「かっぱ淵」の方が河童伝説との関連が深いからで、このことによって、<かっぱ淵の河童伝説>に対して、アニメ観覧者の注意が向けられるような仕掛けになっているのではなかろうか。

 このことは、人と河童という種を越えて夫婦になった異類婚姻譚である河童伝説と、男性恐怖症という特異な性格を乗り越えて恋人同士になった伊波と小鳥遊という物語内容が<二重写し>になっている事態を意味し、こう言ってよいのならば、やがて付き合うことになる伊波と小鳥遊の未来を予告している場面になっているようにさえ思われる。

 さらに、その第八品の物語の中では、伊波の「男性恐怖症克服」という願いを叶えるために、ワグナリアの従業員達が、温泉街入口付近の坂の上に位置している「かっぱ家族の願掛け手湯」に赴く場面が描かれている。

 願掛け手湯とは、ここに据え置かれている河童像の頭のお皿にお湯を柄杓で注ぎ、その口から出てくる湯で手を洗い、「オン・カッパヤ・ウンケン・ソワカ」と三度唱え、願い事をすると願望が叶うというものである。

 物語の中で、「大きくなりますように」と願った小柄な作中人物種島ポプラの場合には、チョロチョロとしか湯は流れなかった。

 次に「理想の家族が欲しい」と願った山田の場合には、勢よく口から湯は流れ出した。

 そして最後に「男の人が怖くなくなりますように」と願った伊波の場合には、全く口から水が出ることはなかった。これは、神様でも男性恐怖症を治せないということを予告しているわけではなく、実をいうと、ただ単に河童像の内部で葉っぱが詰まっていただけというギャグである。ちなみに、作中人物達は誰一人として呪文を唱えなかったことを、ここに言い添えておこう。


 さっぽろ雪まつりの期間中に定山渓を探れた隠井は、特に叶えたい願いがあるわけではなかったのだが、物語の作中人物達と同じように、河童の頭上の皿に湯を掛けるという物語内容の後追いをしてみたいとは考えていた。

 しかし、である。

 隠井が、定山渓温泉を訪れたのが冬場で、その氷点下の気温のせいで、願いの河童像のお皿の上に置かれた柄杓が、氷でくっついて離れなくなってしまっており、ストーリーを可能な限りトレースしたいという隠井の願望は、結局成就することはなかったのだった。


舞台探訪日,2020年2月10日.

参考資料

アニメーション作品,2020年2月18日閲覧.

『WORKING!!』第1期,第8品目「伊波、はじめて?のお・で・か・け!」,初出;2010年5月27日,TOKYO MXTV放映;DVD第5巻所収,アニプレックス ,ANSB-9659,2010年8月25日.

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