虚構の中の都市空間
隠井 迅
はじめに
第1話 物語の舞台探訪序説
隠井迅の趣味は旅行である。
もちろん、風光明媚な景勝地や歴史的建造物を訪れたり、郷土料理やご当地グルメに舌鼓を打つことこそが一般的な観光の主たる目的であることは重々承知している。だがしかし、隠井の旅の楽しみ方はちょっと変わっているのだ。
まず、旅の行き先を決めると、ガイドブックのみならず、その土地に関する地理的・歴史的資料を蒐集し、その土地について可能な限り知ることに努める。
その上で、その場所が物語の舞台背景になっている小説や漫画を読んだり、映画、テレビドラマ、アニメーションを観たり、ゲームをプレイしたり、歌を聴いたりする。
あるいはその逆に、何らかの虚構作品に触れてから、その作品の物語の舞台背景となった土地に関する資料を読んだ上で、旅先を決めることもある。
いずれの場合にせよ、ジャンルは問わず何らかの虚構作品の物語の舞台背景になっている場所を訪れるのが隠井の旅の在り方なのだ。
そう、これはいわゆる<聖地巡礼>なのだが、隠井は<舞台探訪(ぶたいたんぼう)>という用語を使うことを好んでいる。
「聖地巡礼」における、「聖地」とは、そもそも宗教や信仰の拠点となる神社仏閣や教会、または、その宗教にとって重要な出来事が生起した場のことであり、そういった神聖な地を「巡礼」することは、信者にとっては特別な意味を持つ信仰的行為なのだ。したがって、宗教的な意味を内包するこの用語が、隠井には大仰過ぎるように感じられて仕方がなかった。もっとも、ある一つの作品に心酔し、その作品の舞台を巡るのならば、<聖地巡礼>という言葉を用いても、語源とのズレは然してないようにも思われる。
とまれかくまれ、ただ単に、読んだり観たりしたことのある物語の舞台の現場を実際に訪れるだけならば、「見聞」、あるいは、多少格好をつけて「探訪(たんぼう)」という語を用いるだけで十分なように隠井には思われるのだ。
とは言えども、他人に旅の目的を説明する場合には、自分の語の使い方に関する拘りはひとまず置いておいて、言葉として一般に流通している<聖地巡礼>を用いることも多い。
隠井の仕事はフリーランス(自由業)であった。彼の職業の性質上、十二月から二月の初頭までが年度末の超繁忙期に当たる。そのため、世間一般の年末年始とは休みの時期が一ヶ月ズレるのだ。感覚的に言うと、毎年、旧暦の正月辺りが隠井にとっての正月になる。
そして二月初旬――
年度末の多忙さを今年度も無事に乗り切って、隠井はついに<舞台探訪>の旅に出ることが可能になったのだった。
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