第6話
「⋯⋯あなた、それを私に突き刺したらどうなるか分かってるでしょうね?」
カチカチ、カチカチと音は鳴り止むことはない。時々入る錆びたような音が、耳に鳴り響く。
止めにかからなければ確実に、刺される。
「⋯⋯」
前嶋は口を開かない。カチカチとカッターナイフを出し入れしながら無言で立っているだけ。先程までの威勢はどこに行ったのかと思うくらい静かになった。
「何とか言ったらどうなの? ねぇ」
口だけは達者で、身体は言うことを聞いていない。膝は笑い、上半身は震え上がっている。
ファミレスでさっきまで流れていた陽気な音楽が止まったまま、鳴らない。まるで二人のために止まっているかのようである。
「はぁ⋯⋯。おもんな」
先輩、と一言言いながらカッターナイフを完全にしまう前嶋の口から衝撃的な言葉が飛び出した。
「ユウスケ先輩に明日告らないと、先輩の裸を今ここで撮って学校中に晒すよ?」
あまりにも理不尽な要望に綾宮は失言し、唖然とした。
好きでもない男子に告る。そして告らなければ裸を晒される。意味がわからない。
綾宮の頭の中は様々な疑問で埋め尽くされた。
この時、綾宮自身はこの要望を断固として拒否するつもりだった。しているはずだったのだが、何故か彼女の要望に頷いていた。まるで奴隷のように、従った。
カッターナイフで脅され、仕舞いには好きでもない男子に告らせる。こんな屈辱があるのか。
沈黙のトイレに鳴り響くドアを開ける音。前嶋はドアの前で振り返り、再びカッターナイフをこちらに向けた。
「⋯⋯もしユウスケ先輩に振られるような行為を少しでもしてみろ。あんたならどうなるか分かるよね?」
「⋯⋯一つだけ聞かせて。あんたがユウスケを限定する理由は何?」
前嶋に怯えながら頷きを繰り返し、一つだけ問いかけた。男なら二人いるのにわざわざユウスケに限定するのには何か理由があるのではないか。
綾宮が一番疑問を持った部分である。
その言葉に彼女は少しだけ間を空け、カッターナイフを下ろしてこう言ったのだ。
「⋯⋯私、木原先輩のことが好きだから」
その言葉とともに、ドアが開けられた。
────時は遡り、綾宮と前嶋がテーブルを離れてから約十分後のこと。三人は山盛りのフライドポテトをつまみながら前嶋 未来の話題で盛り上がっていた。
「前嶋さんって、まだこの部活に入って二日なの?」
口元にケチャップが少しついてることを知らずに、鷺ノ宮はその事実に驚きの表情をみせた。
確かに入部して二日の先輩後輩関係には見えないだろう。
前嶋自身、この部活に勝手に入って勝手に居座って勝手に部員になったのだ。
「俺的に前嶋は結構良い奴だと思ってるんだよなぁ」
前嶋 未来は実に素晴らしいと言っても良いほどに温厚で優しい性格をしている。
彼女は中学時代は生徒会長をやっていたらしく、コミュニケーションには自信があるらしい。確かに、と言えるほどのコミュニケーション能力には引いてしまうほどである。
「ただ、この二日間であいつは妙な動きをしていた」
「妙な動き?」
ユウスケは最後の一本のポテトにケチャップをたんまりと付け、口に放りこんだ。そしてブラックコーヒーを一口飲んですぐに木原のカップに吐き出して言った。
「ずっとカッターナイフ磨いてた」
丁寧に、丁寧にカッターナイフの刃の部分をハンカチか何かで息をふきかけては拭いてを繰り返し、この二日間の部活ではほとんどの時間をその行為に時間を割いていた。
初めは自分の筆箱に入っているカッターナイフを磨いているのかと思っていた。しかし彼女はそれを自分のポケットにいつも入れていたのだ。
これは何かおかしい、と思ったユウスケは前嶋に声をかけたのだ。
『それ、いつも磨いてるけど何に使うの?』
彼女はそれを磨きながら、笑顔を見せながら口を開いた。
『単なる脅し道具です⋯⋯』
その時、彼女が見せた笑顔はいつも彼女がみせる笑顔ではなかった。どこか悩みを抱えているような、暗くて悲しい。そんな笑顔だった。
「⋯⋯でも妙な動きのことと綾宮さんとのことに何か関係があるの?」
「あるよ。帰ってこない今の状況だっておかしいし」
ドリンクバーに水をくみに行ってからかれこれ十分ほど経っているのにも関わらず、一向に帰ってくる気配がない。それにまずドリンクバーに二人の姿がない。
あと行く場所といえばトイレしかないが、あんな密室で何をしているのか分からない。
「見に行った方がいいんじゃ⋯⋯」
オドオドと、まるで漫画のような焦り方をする鷺ノ宮。しかし、ユウスケは首を振る。あの二人が対立している中、たとえ鷺ノ宮が行ったとしてもまだ初対面同然。悪化するに決まっている。
「⋯⋯前嶋って、あんな顔すんのな」
この二日間、見せていた明るくて、見ていて元気の出るようなとびきりの笑顔。その笑顔はなく、何かを企んでいるようないつもと違う顔。
木原は何かおかしいと思い始めていた。
それと同時に女が二人、奥から歩いてくるのが見えた。
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