第6話 彼女と雪の話

「まっさらな雪といえばね」


 空になっていた湯飲みにお茶を注ぐと、マリーさんはその湯気に視線を向けてぽつりと語り出した。


「学校の帰りとか、友達と並んで歩くんだけどさ、ほら、雪で道が狭くなってるからね? 横に並ぼうと思ったらどうしても誰かが端の方の誰も踏んでないところを歩かなくちゃいけないのよ」


 その声がちょっと寂しそうで、僕はどきりとした。僕は友達と横に並んで歩くことなんてそんなになかったし、女の子は僕の隣を歩きたがったけど、誰かが僕の隣に来ると後ろの子達と喧嘩が始まったりして居心地が悪く、走って逃げたりしていたので、その辺のことはよくわからない。


「雪がしっかり踏み固められている真ん中の道はグループの中心の女の子でね、その両サイドはナンバー2っていうのかな、そんな感じの子。そして私みたいなのは、まっさらな雪の上を必死に歩いて、どうにかその輪に加わろうとするわけ」

「そうなんだ」

「でも途中からね、何か馬鹿馬鹿しくなっちゃって。大して仲が良いわけでもないのに、ブーツの中を雪まみれにしてまで、私、何がしたいんだろうって」


 最後の一個もらうね、と言って、マリーさんはよもぎ餅に手を伸ばす。僕は、どうぞ、とそれを勧めた。そのために新しいお茶を淹れたんだから。


「それで、すっぱり止めてね。そしたら気は楽になったけど、それでもやっぱり寂しくてさ」

「そうなの?」

「あの子はまっさらな雪の上を歩いてでも一緒にいたいって思ってくれるような友達がいたのに、私にはそんな人いないんだな、ってさぁ」


 そこまで言うと、マリーさんはよもぎ餅にかぶりついた。これでその話はおしまいなのか、それとも続きはあるけど話したくないのか。


「マリーさん」

「何?」

「僕がつけるよ」

「は? 何を?」

「足跡」

「どこに?」

「雪の上に」

「は? 何の話?」


 と、マリーさんは眉をひそめた。


「僕はまっさらな雪の上を歩いてでもマリーさんの隣に行くよ」

「えぇ……? あぁ、うん、ありがと?」

「ちょっと待って。マリーさん、引いてない?」

「ぶっちゃけちょっと引いてる。何、然太郎ちょっとキモいんだけど」

「嘘。キモいわけないよ。僕、いままで可愛いとか恰好良いとかしか言われたことないもん」

「うっわ……。事実かもしれないけど、自分でそれ言う……?」

「言ったって良いじゃん」


 まずい。

 マリーさんが僕から少し距離をとり始めた。


「どうしたのよ、然太郎。今日何かおかしくない?」


 そう言って、怪訝そうに僕の顔を覗き込む。


「心なしか顔も赤い感じするけど、風邪とか?」

「違うよ」

「熱測ってみたら?」

「大丈夫、それはほんとに」

「なら、良いけど。でも、うん、まぁ、そろそろ帰ろっかな」

「えっ?」


 まだ16時にもなってないのに。


「帰るの?」

「うん。何か然太郎疲れてるみたいだから」

「全然そんなことないんだけど」


 とは言うものの、確かにちょっと今日の僕は変だ。


 マリーさんを見送ってから、僕はひとり、お茶を淹れ直して、ぼんやりと窓の外を見た。

 早く雪がどさっと降って、積もってくれないだろうかと思いながら。


 


 その日の夜、久しぶりに子ども時代の夢を見た。かくれんぼをしている夢だ。何だ、自分にも同年代の子と遊んだ思い出があるんじゃないか。


 最初は僕が鬼で見つける番だった。だけど、女の子達は皆ひょこひょこと顔を出して僕に見つけてもらおうとする。それじゃかくれんぼにならないと男の子が怒り、今度は僕が隠れる番になった。鬼を女の子にすると僕を一番に探してしまうので、鬼は男の子だ。


 すると、今度はまったく見つけてもらえない。みぃーつけた、みぃーつけた、という声が何度も聞こえてくるが、それはちっとも近づいてこない。


 もしかしたら誰も見つけてくれないのかもしれない。


 何歳なのかはわからないが、身体だけ子どもの僕はそう思った。


 そんなに難しいところに隠れたわけじゃないはずだったのに、気づけば僕の周囲は闇に包まれていて、どこから潜り込んだのかも思い出せない。わずかな光さえもなく、やがて音も消えた。


 僕はずぅっとひとりだ。

 女の子達は僕をちやほやしてくれるけど、それは僕の見た目が彼女達にとって好ましく出来ているというだけで、僕の全部が好きなわけじゃない。だから、僕はずっとひとりなんだ。いままでも、きっとこれからも。


 身体が子どもだからなのか、急に寂しさが襲ってきた。普段はそんなことを考えても別に平気なのに。誰かに見つけてほしい。手をとってほしい。一緒に遊ぼうって言ってほしい。それから――、


 本当に僕のことを好きになってほしい。


 泣きそうになっていると、視界の隅にぼんやりと『青』が見えた。闇の中なのに、それはなぜか『青』だと認識出来たのだ。光っているわけでもないのに。その『青』はどんどん大きくなっていく。それに合わせて僕を呼ぶ声も少しずつ大きくなっていく。どうやら近づいてきているようだ。


「おーい然太郎、いたいた。やっと見つけた」


 そこでやっと気づく。この『青』はマリーさんだ、と。そう認識した途端に、ぼんやりとした『青』は青いワンピースを着たマリーさんになった。差し伸べられた手をとる僕のそれも大人のものに変わっている。


「本当に和菓子が好きだよね」

「え?」

「だってここ、よもぎ餅の中だよ? 探すの結構大変だったんだから、もう止めてよね」


 どうやら僕は今日のおやつに食べたよもぎ餅の中に隠れていたらしい。そりゃあ見つけられないはずだ。


 そうして、二人であんこを食べながら脱出する、という何ともわけのわからない夢だった。


 

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