第76話 田舎暮らし3連休終了!記憶ではなく、記録に残すということ
田舎での3連休は日本人男性の私はヨモギもちを作るためにヨモギの葉を探しに行ったり、家庭菜園で大根の種まき、うどんなどの食べたことのないものを実験的に燻製作りをしたり、穏やかな時間が流れた。
一方、ベトナム人女性のトゥイは2日間仕事が休みになり、実家に帰り一泊してきたみたいである。トゥイが姪の写真をたくさん送ってくれた。
姪の写真を見て感じたのは、モデルみたいにポーズをしていることである。幼少の頃からカメラ目線でポーズをとるのが当たり前なのかもしれない。
大人のベトナム人がFacebookで自撮りをたくさん載せるのが大好きな国民性が分かったような気がした。おそらく幼少時から自撮りの英才教育を受けているのかもしれない。
実家に戻ったトゥイはハンモックでだらだら眠っていたみたいである。私は家族団らんとも言えるプチ田舎暮らしの模様をアクションカメラ(HDR-AS300)で撮影し、編集作業をしていた。
編集後、家族に動画を見せたのだが、自分たちが登場しているシーンを見てニヤついている家族の姿があった。
不特定多数の人たちが閲覧することのできるYouTubeとは言え、こうやって家族動画をアップロードしてよかったと思える瞬間であった。自分たちが見て、感じたことを記憶しておくのも大事かもしれないが、文章や映像を記録として残すことも大事なのかもしれない。
記憶はうろ覚えなのだけれど、たしか私が小学生の頃、飛行機の墜落事故があった。飛行機に乗っていた妻子と子供を持つ男性も飛行機に乗っていて、自分が乗っている飛行機が墜落する。もう2度と家族に会えないと悟った男性は、手帳に家族への手紙を飛行機墜落中に書いたのである。
飛行機墜落後、手帳が見つかったのだけれど、記録として家族への手紙は残っている。家族に向けてのさいごの手紙であった。私のおじいちゃんにしても今はもう亡くなってしまったのだけれど、以前、使用していたiPhone5sにおじいちゃんの動画ファイルが残っている。そのうちのひとつはYouTubeにアップロードしている。
おじいちゃんの動画ファイルはまだあるので、いずれまた編集し、YouTubeにアップロードしようと考えている。そう考えると文章でも映像でも記録に残しておくって大事なことなのかもしない。ふと、そんなことを思った。
トゥイのお父さんにしても、トゥイが高校生の時に交通事故で帰らぬ人となった。トゥイの母親は悲しんでいて、今でも夫が使用していた古くなってしまったバイクを形見代わりにし乗り続けているそうだ。
私にしても今は元気に暮らしているが、いつどうなるか分からない。でも、こうやって文章を書くことやYouTubeに自分の足跡を日々、つけている状態である。もしも自分の身に何かあった時は、家族の人たちに自分が足跡代わりに書いてきた文章や動画をたまには思い出してほしいなと思った。
放し飼いで飼っているうさぎも現在、8年生きている。人間の年齢で計算するとりっぱな高齢者うさぎである。もっと早くからうさぎの動画を撮っておけばよかったと今にして思うのだ。うさぎとの想い出がいつまでも色あせないように、記録としてうさぎの動画も撮っている。
こうして田舎での3連休が終わり、また都会での生活が始まる。私に限っては、いよいよベトナムのホーチミンでの生活が待っている。ふと、すぐ横にいるうさぎを見ると、うとうとと眠たそうな表情をしていた。
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