第11話 妖精とは

 それからしばらく、二人は無言になった。

 タケルは自分の中にある木のことを考えていた。

 ハクは、まだ悪果が実っていないと言ったが、あれは嘘だったらしい。見逃してやるという餌を与えるための嘘だったのだ。あかりの話を信じるなら、そういうことになる。


 大沢や武田のことを思えば、何も無かったはずがない。怨みや怒りといった、薄暗い感情が自分の中に確かにあるのだから。

 そして、自分の命と引き換えに身代わりを差し出す行為によって、ハクはこの黒い果実をより大きく育てようとしたのだろう。

 タケルは、自分の中の悪意の果実を想像する。きっとグロテスクな、醜いものに違いないと。自分は醜いのだと。


 それをあかりに見られてしまった。心の奥を他人に覗かれたのだと思うと不安に駆られるが、不思議と彼女ならいいかとも思う。彼女に隠し事をしても、無意味なような気がするのだ。

 なんだか彼女は特別な存在で、人ではないような気さえしてしまう。

 あかりは冷静でハクを全く恐れていないように見えるし、タケルの知らないことを色々知っているようだし、その上で助けようとしてくれるのだから。

 まさしく守護天使だと思う。

 窓の外を眺めるあかりの横顔をそっと見つめた。

 どんなに醜い自分を晒しても、彼女なら平然と受け入れてくれるのではないかと思ってしまうのは、少し甘えすぎなのだろうかとタケルは目を伏せた。


 と、膝に何かが乗った気配がした。

 足とテーブルの間に目をやると、ぬっとトキが顔出した。


「うわ!」

「し! 声がでかいわ!」


 トキがビョンと跳ねて、口に張り付いた。


「な……!」


 思わず立ち上がり叫ぼうとすると、ますますトキが口に密着してくる。不気味すぎる。

 すぐさまトキを剥ぎ取ろうとしたが、隣のテーブルの女性が不審げに見ているのに気づき、平静を装って静かに椅子に座り直した。


――早く、離れろ! 気持ち悪い!

「ふん! 罰じゃ。学校ではわしを叩き落としたんじゃからな」


 タケルが苦虫を噛み潰したような顔を上げると、あかりがポカンと目をまん丸くしている。

 どうやら、トキが見えているようだ。それならば、驚くのも無理はない。タケルの顔面に、二十センチほどの小さな人間のようなものが両手両足を広げて張り付いているのだから。


「神崎くん? 何、それ……」


 ゆっくりと探るように小声で言った。

 あかりは大きな目を見開いて、テーブルに降り立ったトキを見つめていた。

 驚いてはいたが、それは見知らぬ人に突然声をかけられた時のような驚き方で、決して人外のモノを見たことへの驚愕ではなかった。

 そりゃそうかと、タケルは思う。ハクやそのたぐいの人ならざるモノを知っているのだからと。


「おお、嬢ちゃん。さっきはこやつが世話になったのぉ。この無礼者に変わってわしが礼を言おう。世話が焼けて大変じゃったろう」


 トキはぺったぺったと平べったい足でスキップしながらあかりに近寄る。

 タケルはぐっと腕を伸ばしてトキを掴んだ。


「……おい、お前見ていたのか?」

「いかにも。そこの嬢ちゃんがハクをグルグルしてるあたりからの。ぬしは腰を抜かして泣いておったな」


 チロリと横目をくれて、プププとわざとらしく口を押さえて笑う。


「……黙れ。泣いてねえ」


 低くドスの効いた声でつぶやき、手にぐっと力を込める。

 黙らないと握りつぶしてやると付け加えると、トキはヒャーとムンクの叫びのような顔をしてカクカクとうなずいた。

 くすくすとあかりが笑っている。


「面白い、お友達ね」

「友達じゃねぇ!」「友達じゃと!?」


 同時に言った。

 あかりは微笑んで、人差し指をたてて唇に当てた。


「ねえ、紹介していちょうだいよ。神崎くん」


 タケルがトキのことを掻い摘んで話すと、あかりは興味深けに聞いていた。そして自己紹介をして、よろしくと人差し指を差し出す。

 ウホウホと嬉しそうに握手するトキを、タケルは鼻白んで斜に眺めた。


「それにしても、嬢ちゃんは中々の博識じゃな」


 頬杖をつくあかりの腕に持たれるようにしてトキは座っている。

 デレデレと鼻の下伸ばしている。スケベったらしいオヤジ妖精だなと、タケルは舌打ちした。


「じゃが、ちと補足しようかの。アヤツらはな、人間の悪果だけを喰うのではないぞ。奴ら同士でも喰い合っとる。まったく悪食じゃ。……と、わしはヤツラとは違うぞ」

「共喰いもするのかよ……」


 ますます、おぞましいことこの上ない。

 タケルは胸が悪くなった。


「そしてな、妖精は土地に縛られるんじゃ。各々が自由に行動できる領域もっとるのだが、その外には出られないのじゃよ。一歩もな」


 知っておったかと、あかりの顔を見上げる。

 彼女が首を左右に振ると、トキは得意げな顔をして話の続きを始める。


「ハクはこの辺りを中心に、半径七、八十キロ圏内をテリトリーにしていおるようだ。匂いを嗅いで回ったからの、これは確かじゃ。それにしてもなんとも狭い領域じゃな。籠の鳥と同じじゃ。ということで、一番手っ取り早い逃げ道は、このテリトリーから出ることじゃ。そう、引っ越せばよい。そうすれば、もうハクは追ってこれん」


――引っ越す? そんなことでいいのか? そんな解決法アリなのか?


 本当にそれで助かるのなら、さっさと引っ越したい。でも、なんて理由を話そうか……母にありのまま話たとしても、としても信じてはもらえない気がする。学校や母の店だってあるし、すぐに引っ越せるはずもない。

 だが、トキはタケルには構わずあかりに向かって話し続ける。


「じゃがなぁ、タケルはハクに一度悪夢を喰われておるからのお。ヤツに行動の支配されてしまうかもしれん」

「どういうことなの?」

「引越しても意志に反して引き戻されるかもしれん、ということじゃ」

「ああ、そうね。それはあるかもしれない」

「それにハクから逃れても、外で別の妖精に狙われれば、どこに行こうが同じ事じゃしなぁ。ちなみにわし土地に縛られてはおらんぞ。日本中どこへでも行けるから安心せい。どこまでも、ずーっと一緒じゃ、のう、タケル」


 トキの猫なで声に、タケルはゲエっと舌を吐いた。

 引っ越せばいいと言って期待させておいて、無駄かもしれないと希望を叩き壊す。これが守護天使と名乗ったヤツのすることなのかと、呆れ返る。


「ツレない奴じゃ」


 タケルの手を蹴飛ばしてふくれはしたが、トキはすぐに話題を戻した。


「わしはハクの匂いを追ってテリトリー内を一回りしてきたんじゃ。で、匂いの強い中心部を確かめに行ったんじゃが、他の妖精が入り込めないように結界が張ってあってなぁ、わしは中に入れなかった。そこは古い家でな、瀧本と表札がかかっておった。もしや、嬢ちゃんの家ではないかの?」

「……ええ、うちだわ……」


 あかりの家を中心にハクのテリトリーが広がっているとは、どういうことだ。

 タケルは、またあかりが別世界の者のように感じられた。

 ふと、昼休みのあかりの言葉を思い出した。


「なんでお前んちが中心なんだ。それに、悪果を喰われたらどうなるんだよ。お前も喰われたって言ってたし、アイツはいつもそばにいるとか、なんとか……」

「ええ、そうね」


 あかりは目を伏せたまま最初の問いに答えた。


「ハクは、うちの庭にある祠の中に封じられていたのよ。それが八年前に解けたの。だから、そこが中心になっているんじゃないかしら」

「なるほどのお。しかし、なんで結界をはっておるんじゃろうなあ」


 トキはあかりを探るような目で見ている。


「ごめんなさい、解らないわ。結界のことだって本当に知らなかったもの。祠を調べてみたほうがいいかしら」

「そうじゃの。少し探ってみんといかんな。早いほうがいい」


 タケルは話についていくのが精一杯だったが、あかりとトキはすっかり馴染んでしまったようで話を進めていくのだった。

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