第12話 あかりの悪果
タケルが話について行けず置いてけぼりになりかけていると、あかりがそれに気付いてくれた。喋りつづけようとするトキに、ごめんねと断って、少し気まずそうにタケルに笑いかけた。
「えっと、悪夢や悪果を食べられたらどうなるか、って質問だったよね……。簡単に言うとね、寿命が縮むのよ。ハクがそう言ってたわ」
やっと自分に注意が向いて、質問にも答えてくれたと安堵しかけたのに、その内容は冷水を浴びせるようなものだった。聞き捨てならない。寿命が縮むなんて。
「ちょ、待って! それマジで?」
「うん、そうよ」
「……か、軽く言うなよ。縮むって……どのくらいなんだよ。オレ、夢喰われたけど。ハクにも、こいつにも!」
「一度の悪夢だけなら、せいぜい数日か多くても一週間ってところじゃないかしら。だから戴したダメージじゃないわ。喫煙や飲酒や肥満、生活習慣病に罹る方が、よっぽど寿命が縮むってものでしょう?」
あかりはさらっと言ってのける。
「それにタケルよ。わしはアヤツとは違うぞ。全く悪影響はない。悪夢を見ないで済む分、むしろプラスじゃな。安心せい小心者」
せせら笑うトキを睨みつけて、舌を打った。
寿命が縮むと聞けば、焦るのは当然だろうと反論したかったのだが、あかりが続きを話はじめたので、タケルは開きかけの口を閉じた。
「でもね、悪果を食べられたら年単位。何年縮むかは場合にもよるわ。多分だけど」
やはり、あかりはさらりと言う。心臓がバクバクと激しく鳴っているのはタケルの方だった。襲われたばかりの身としては、この新たな情報は恐怖と脅威でしかない。
それなのに、あかりはまるで他人事のような顔をしている。彼女は悪果を食べられたと自ら告白しているというのにだ。タケルには、あかりの心情はまったく理解不能だった。
「……お、お前も、縮んだの?」
「ええ……」
不意に、あかりは窓の外に顔を向けた。
つられてタケルも外を見た。大勢の通行人が行き交っている。あかりに視線を戻すと、彼女はそれをぼんやりと眺めていた。
どの位縮んだのか、言うつもりはないようだ。
タケルにしても、話題がセンシティブなだけにしつこく訊くこともできそうにない。質問を変えることしか思いつかなかった。
「……アイツがいつものそばにいるって言ってたのは?」
なぜ、あんなものが彼女のそばにいるのか解らないし、そもそもなぜ平気でいられるのが不思議だった。
「ハクは封印が解けてから、ずっと寝ても覚めても私につきまとってるのよ。あかりー、あかりーって。あいつはストーカー妖精なんじゃないかしら」
「茶化すな。なんだよそれ。封印が解けたって? なんで!? お前がやったのか?」
あんな恐ろしい魔物に目をつけられておきながら、なぜそんなに落ち着いていられるか不思議でたまらない。
自分はこんなに不安でならないの、このあかりという少女は胆が据わっているのか笑顔を浮かべる余裕さえあるのだ。彼女のせいではないのだが、なんだか理不公平に思った。
「違うわ。たまたま、ハクが祠から這い出す瞬間に居合わせただけよ」
肩をすくめて、やはりさらりと言うあかりに、つい理不尽な怒りさえ感じてしまう。
「だから、なんで、居合わせるんだよ。なんで、お前につきまとうんだよ!」
「こりゃタケル、何を嬢ちゃんに噛み付いてるんじゃ。恩人じゃっちゅうことを忘れちゃいかんぞ」
トキにたしなめられ、タケルはグウと唸る。
分からないことだらけということもあり、つい興奮してしまった。責めるような言い方になってしまったのは、確かに良くなかったなと少し小さくなるタケルだった。
とは言え、あかりに気にした様子は無かった。
「私の家だもの。居合わせたって不思議はないでしょ。それから、ストーカーしてるのは……私が気に入ったんですって」
タケルの焦り気味な様子は意に介さず、落ち着いた口調であかりは語るのだった。そしていたずらっぽく笑う。
「なるほどなるほど。わしも気に入ったぞ」
トキまで、カラカラと笑いだした。二人で目配せし合う様子が、かなり気に喰わなかった。
笑っている場合じゃないだろ、とタケルはドンとコップをテーブルに叩きつける。
「お前、命縮められたんだろう? 何、笑ってんだよ。バカなのか?」
「あら、そんなこと言っていいの? ハクが自由になっちゃったら、絶対あなたのところに仕返しに行くと思うけど、そんなこと言うなら助けてあげない。あなたの命も縮むわよ」
「な、なにぃ!」
咄嗟に言い返す言葉が出なくて口をパクパクさせると、クスクスとあかりが笑い出した。冗談よと言って、ポンポンと腕を叩く。
大体話がおかしい。ハクを鎖でしばって自由を奪ったのはあかりであって、タケルではない。ハクが仕返しするのなら、あかりにではないのか?
最初に腕輪を投げつけたのは自分ではあるが……。
すっかり、はぐらかされてしまったと、タケルは肩を落とす。
あかりは重い話を軽く話すかと思えば、するりと交わす。どうにも分が悪いというか、太刀打ちできそうにないと思った。必要な情報は渡すが、それ以外はダメということだろうか。
大きくため息をついた。
あかりはまた、窓の外を見つめていた。
スマホ片手に歩く女子高生。
足早に通り過ぎるサラリーマン風の男。
買い物帰りの女。
自転車で走り去る中学生。
ランドセルを背負った低学年ぐらいの娘と手をつないで歩く母親。
女の子が、母に何かを話しながら笑っている。
母親も微笑み返す。
老婆が杖代わりの乳母車を押しながら、ゆっくりと歩いてゆく。
「二十……三十年くらいかしら」
ポツリと言った。
最初、あかりの言っていることが解らなかった。
が、すぐに縮んだ命の年数なのだと悟った。
「そんな……」
驚きにそれ以上言葉が出なかった。
トキもググッと顔をしかめている。じっとあかりを見上げ、そして大きく頭を左右に振った。
「もう、過ぎたことよ」
あかりの声は静かすぎるほどだった。
「もう見せられないのが残念だけど、どろどろの悪果が幾つも実ってたのよね。神崎君のまだまだ綺麗で未熟な悪果とは比べ物にならないくらい、おぞましい果実だったと思うわよ。それをハクが全部食べちゃったの」
タケルは目を見張った。このあかりにそんな醜い悪果が実っていたなんて、とても信じられない。一体彼女に何があったというのだろうか。
窓の外を親子連れが去っていく。
学校帰りの中学生の集団が通り過ぎてゆく。
電話を片手に忙しく走り去る男がいる。
誰もこちらに気付きはしない。
あかりはつぶやいた。
「今日のところは、これくらいで許してもらえる? 」
タケルはぎこちなく頷いた。これ以上無理やり話を引きだすなんてことできやしなかった。
まともにあかりを見れずに視線を窓の外に逸らすも、頭の中に浮かぶのは、どす黒く変色したリンゴのような果実を貪るハクと、死んだように横たわるあかりの姿だった。
ろくでもない妄想を消し去ろうと、軽く自分の頬を叩く。息が苦しくてならない。
トキも、腕を組んで黙り込んでしまった。
沈黙が重たい。店内はにぎやかなのに、ここだけ別世界だった。まだあかりに聞きたいことは、沢山ある。でももう、今は何も話せそうになかった。
明日の土曜、またここで会う約束をして、二人と一匹は別れた。
別れ際、あかりが言った。
「銀の物を身につけるのを忘れないでね。あいつは死んだわけじゃないから」
*
二人の様子を伺い、じっと耳を傾けていた少年がいた。
タケルの席の背後に座っていた、その少年はうっすらと笑みを張り付かせている。
二人が店を出るのを見届けると、少年も店を立ち去った。
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