第3話 ただ殴りたかっただけ

 朝から続く嫌な気分は、放課後になっても消えなかった。

 なんだかわからない悪夢、大沢に蹴られた痛みと悔しさ、そして意味なく武田に絡む自分、全てが気に入らない。

 胃を締め付けるような不快感が、ますます募ってゆく。

 タケルはムカムカする胸に手を当てた。


 今朝の新聞を思い出す。

 次々に自殺していった、中学生のことを思った。

 アイツらはなんで死んだんだろう、あの学校で何があったんだろう、と思いをめぐらせる。自分もつい四ヶ月前までそこにいたのだが、極普通の学校で何も変わったところなど無かったと思う。

 不思議だった。

 死んだ一人は、部活の後輩だった。自殺などとは縁遠い、朗らかで快活で友達も多くて人気のある奴だったと思っていたのだが。

 もっとも、内側に何を抱えているかなんて他人には解りはしないのだが。


――アイツなりに死ななきゃならない、何かがあったんだろうさ。だから死んだんだ。


 そう結論づけ、ふと死んだ後輩に何の憐憫もわかず、自殺も否定していない自分に気づき身震いした。


「神崎ィ! 帰ろうぜ」


 柴田が呼んでいた。

 おうと答えて足を向けると、背中を固くして座っている武田が目に入った。

 タケルより先に教室を出ることに失敗したらしく、できればこのまま何事も無く、タケル達が教室から早く出ていってくれるのを願っている姿だ。


 またイライラがこみ上げてきた。

 黙ってカバンを肩まで持ち上げ、タケルはわざと武田の後ろを通る。そして、カバンをブンと振り回して、彼の横っ面に思い切りぶち当てた。


 バチン!


 予想したよりも派手な音が響き、タケルは思わず舌打ちする。

 武田は、小さく悲鳴を上げ耳を押さえて机に突っ伏してしまった。その背が震えている。


「あ~あ。またやってんのかよ」


 柴田は、軽く笑うとタケルの肩に腕をまわして言った。いつもニヤニヤと軽薄な笑い方をする柴田だったが、さり気なくタケルをエスカレートさせないようにしてくれている。


「あんま、アイツに構うなよ。そのうちチクられるぜぇ?」

「チクらねーよ。なあ、武田ぁ……」


 タケルは背を向けて言った。

 今武田がどんな顔をしているか、タケルにはよく解っていた。

 口と目をぎゅっと閉じている。微かに唇が震えている。思い切り首を垂れ、誰にも顔が見えないようにして、歯を食いしばっている。

 その後、全く逆らう気はありませんといった媚びる表情を作ってから、顔をあげるのだ。

 それは、いつもタケルが大沢の前でする顔なのだ。


――こんなことをして何になるんだろう、気が晴れるわけでもないのに……。


 グッと拳を握った。そして、わざと大きな音を立ててドアを開け、タケルは柴田と共に教室を後にした。

 校舎を出ると、ジリジリと太陽が照りつけてくる。雲ひとつなく、明るく澄み渡る空は、タケルの胸のうちとはまるで正反対だった。

 グラウンドでは運動系クラブの一年生たちが、部活の準備を急いでいた。上級生が来るまでに、用意しなければならない。

 タケルは立ち止まると、野球部の方を眺めた。白いユニホームが、太陽の光をはね返して眩しかった。

 倉庫から多量のボールの入ったバケツをもった野球部員が出てきた。

 と、ふいにその部員はつまずき、バケツのボールを辺りにぶちまけてしまった。慌てて、ボールを拾い集めている。


「うわ、ダッセぇ」


 柴田が吹き出した。

 タケルの足元にもボールが一つ転がってきた。そのボールを拾い上げ、見つめる。土と汗が染み込んだ、使い込んだボール。

 野球部員がタケルに気がついた。


「あ、神崎」

「投げるぞ」


 柴田にカバンを押し付けると大きく振りかぶり、部員に向かってグンと直球を投げ込んだ。

 腕がしなる。

 ビュンと空気を切って、ボールが走った。

 速い。

 グッと顔をしかめて、部員は素手で受け取った。


「ひ! 痛ってー。何、本気で投げてんだよ、お前」


 部員は、さも痛そうに赤くなった手をブラブラと振った。


「別に本気じゃねぇし……」


 タケルはくるりと背を向けて歩き出した。

 柴田がヒューと口笛を鳴らす。


「すげーなあ。お前、なんで野球部入んなかったんだよ」

「さあなぁ……」





 柴田と別れてから、タケルは家には向かわずに、目的もなくふらふらと歩いていた。大きく陽が西に傾いている。長い影を引きずりながら、駅前のアーケード街に入っていった。

 しばらく歩いていると、ゲームセンターからけたたましい音楽が流れてきた。まるで頭を殴られたような不快さを感じる。ゲームに興じる少年たちの笑い声が、さらに追い打ちをかける。


――あああ、うるさい! 頭が割れる!


 ブルブルと頭を振った。

 前から来た買い物帰りの主婦とぶつかりそうになった。無言で立ち止まると、主婦は迷惑そうに眉をひそめ、タケルを横目で見ながら通り過ぎた。

 自分の周りを通り過ぎる人たちは、みんな他人だ。

 こんなに大勢人がいたって、誰もかれも自分とは無関係で、誰も自分のことを知らない。何を考えようが、泣こうがわめこうが、誰も知ったことじゃない。

 そんなのは、当たり前のことだ。誰だってみんな、孤独なんだ。


 本屋の前にくると、買ったばかりのマンガと金を大沢に取られたことを思い出した。大きなため息をついて、本屋を通り過ぎた。




 昨日、タケルは大沢に呼び出された。場所はいつも通り、あまり人気のない河川敷だった。

 指定された時間よりも早く着いたのだが、大沢の方が先に来ていた。彼はタケルを見るなり俺を待たせるなと怒鳴り、突き倒して土足でグリグリと頭を踏みつけてきた。

 大沢はタケルよりもさらに上背があり、いかにもガテン系といった力強い体躯をしている。とても敵う相手ではなかった。


 タケルはひたすら謝った。

 だが大沢は、タケルの髪を掴んで起き上がらせると、何度も腹に膝蹴りを入れてきた。ぐったりと倒れると、遅れたわびとして金を出せと言う。そして勝手にタケルのカバンを探り、財布から金を抜き出しマンガと一緒に自分のカバンに放り込んだ。

 タケルは抵抗しなかったし、何も言い返せなかった。ただこれ以上暴力を受けないで済むようにと、卑屈に従うしかなかった。


 怖いのだ。大沢が、暴力が。

 大沢は、そんなタケルをせせら笑って立ち去っていった。

 その姿が見えなくなると、タケルは心底ほっとした。結局何のために呼び出されたのか分からなかったが、きっとただ殴りたかっただけなんだろうと思う。

 タケルは、妙にそう納得していた。

 殴りたいから呼び出したんだ。それだけなんだ、と。


 惨めだった。なぜ、抵抗できないんだろう。

 勝てないまでも、少しはやり返せばいいと自分でも思うのに、大沢を前にすると萎縮してしまう。無力な小さな子どもに戻ってしまったように、恐怖に体が支配されてしまうのだ。それが情けなくてたまらない。

 武田にイライラするには、自分を見ているような気がするからなのだ。単なる八つ当たりでしかない。そうと分かっていて、なお武田に暴力を振るうことを止めない、卑小な自分を呪わしく思う。


 タケルは、大沢に裏切られたのだと思うとキリキリと胸が痛んだ。

 大沢は、中学時代に野球部で一緒に練習した一つ年上の先輩だった。当時から先輩風を吹かしてはいたが明るく冗談が好きで、キャッチャーとして活躍し後輩たちに丁寧にアドバイスもし、悩みも聞いてくれる頼りになる少年だった。

 タケルは先輩たちの中で、大沢のことが一番好きだったのだ。

 だから大沢が中学の部活を引退した後も、彼が高校を中退してからもよく訪ねて行ったのだ。大沢も快く迎えてくれていたはずだ。


 それが、タケルが大沢が通った同じ高校に入学した途端、状況が一変した。それまで仲間だと思っていたのに、急に暴力の対象にされてしまった。

 なぜそうなってしまったのか、全く分からなかった。いろいろ理由を考え、自分が何かまずいことをしてしまったのなら謝ろうとも思った。

 大沢にも尋ねてみた。しかし、それは反対に彼の怒りに火を付け更なる暴力を呼び込んだだけで、結局理由はわからずじまいのままなのだった。

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