第七話 私服姿の巫女

   

 ナイフ投げの芸人というのは、モノク・ローにとって、オモテの顔に過ぎない。裏では暗殺を生業なりわいとしており、むしろ、そちらが自分の本質だと理解していた。

 ただし「金次第で誰でも殺す」というタイプとは異なり、彼女自身が「これは死んでも当然の悪人」と思える相手のみを標的にする、選り好みの激しい殺し屋だった。

 そのため、別の殺し屋と組んで仕事をすることは難しく、一匹狼を貫いてきたのだが……。最近では、オモテの顔が女占い師である魔法使いゲルエイ・ドゥや、昼間は都市警備騎士として働いている凄腕剣士のピペタ・ピペト、そしてゲルエイが別の世界から召喚する少年――みやこケン――と共に、復讐屋ウルチシェンス・ドミヌスとして活動するようにもなっていた。

「だが、先ほどの男のことは、彼らも知るまい」

 再び歩き出しながら、頭の中では相変わらず、怪しい坊主頭について考える。

 同じ裏稼業ではあっても、復讐屋の三人は、暗黒面にどっぷり染まっている、という感じではなかった。だから彼らは、殺し屋の噂にも、あまり詳しくないはずだ。

「あの男が誰なのか……。こういう話は、やはり、おやっさんに聞くのが一番だろう」

 独り言を口にしながら、オモテの仕事場である『アサク演芸会館』へと急ぐモノク。

 今日の舞台が終わったら、久しぶりに、裏仕事の仲介屋に顔を出してみよう。彼女は、そう考えていた。


――――――――――――


 走りの月の第五、水氷の日。

 つまり、月日としては十番目の月の五番目であり、曜日としては一週間の中で三番目となる日。

 朝の南中央広場で、いつものようにゲルエイは、客足の鈍い占い屋を開いていた。

 周りを見回すと、早くも混雑し始めた露店もあるのだが、

「よそはよそ、うちはうち。とはいえ、他の店が賑わうのも、悪くないはずだね。広場全体の活気が上がれば、ひとつ占ってもらおうか、という客も出てくるだろうさ」

 と、ゲルエイは苦笑しながら、自分に言い聞かせる。

 軽く首を振って、通りを歩く人々を眺めていると……。

 こちらに向かう一人の少女が、目に留まった。

「……おや?」

 ゲルエイが不思議そうな表情になったのも、無理はないだろう。

 清楚な水色のワンピースを着て、複雑に編み込んだ黒髪を、後ろでアップにまとめている。つまり服装も髪型も異なるのだが、その美しく整った顔立ちは、見間違えようがなかった。

 昨日も一昨日も広場に来た娘。神託の巫女とも呼ばれる、アデリナ・オレイクだったのだ。

「三日連続でお出ましとは……。今日は単なる道案内じゃなく、ちゃんとした客であることを願うよ」

 苦笑しながら、ゲルエイは小さく呟いた。


 確かにアデリナは、三日連続で広場を訪れたが、昨日はゲルエイの店には立ち寄っていない。昨日のアデリナは、ディフィッチレの飴玉キャンディ屋へと、直行したのだった。

 その前日にゲルエイに言伝ことづてした『神託』を、直接ディフィッチレに伝えに来たのだろう。一応ゲルエイも朝のうちに、託されたメッセージをディフィッチレに話してあったのだが……。

 その際、ディフィッチレが腕に包帯を巻いて吊っている姿を、ゲルエイは目にしていた。忠告は一日遅かったらしく、アデリナが神託として見た通りに、飴玉キャンディ作りの機械は故障し、ディフィッチレは怪我をした後だったのだ。

 その対応で一昨日は店を休みにしたが、機械ではなく手作りで飴玉キャンディを用意することで、昨日からディフィッチレは商売を再開している。

 そんな飴玉キャンディ屋へ赴いた神託の巫女が、具体的には何を話していたのか。詳しくは、ゲルエイのところまで聞こえてこなかったが……。どうやら、周りの露天商の誰かが不満を口にしたようだ。「今ごろ神託を告げに来ても、もう手遅れではないか」というような文句を。

 それに対して。

「アデリナ様を非難するのは筋違いです!」

 南中央広場に、坊主頭の従者の声が響き渡った。

「もしも、あなたがたが毎日寺院に参拝するような敬虔な信徒であれば、その場でアデリナ様の言葉を伝えることが出来たのですから!」

 ゲルエイの店まで届くくらい、しっかりと力強い声だ。聞き取りやすい口調も、いかにも弁舌に向いた宗教家という感じだった。

「しかし勇者教とは縁もゆかりもない生活を送っていたため、こうして、私どもの方で探し出す手間が生じました。こちらから神託を告げにやってくる、そのタイムラグが発生したせいで、未然に防げたはずの事故も防げなかったのです!」

 酷い理屈だ、とゲルエイは思ってしまう。

 とはいえ、勇者教の二人にしてみれば「わざわざ手間暇かけたのに全て無駄になった!」という悔しい気持ちがあるのだろう。ならば、これくらいの発言は仕方がないのかもしれない、と考え直した。

 実際。

 夕方になって広場から帰る際、ディフィッチレがゲルエイに対して、

「もともと俺は、教会神教の熱心な信者ではなく、先祖代々が教会神教だったから何となく、という程度でした。ならばいっそ、これからは、勇者教にお参りに行こうかと思っています。今さら遅いのでしょうけどね」

 と言っていたくらいだ。巫女と従者の言い分を、完全に鵜呑みにしたらしい。

 もちろん、彼自身が「今さら遅いのでしょうけどね」と口にしたように、今になってディフィッチレが宗旨替えしたところで、一文の得にもならないはずだが……。

 それよりも。

「こういうことが起きないように、私も寺院に通ってみようかねえ?」

 と言い出した、周りの露天商たち。彼らの方こそ、純粋な信仰心ではなく、見返りを求めているのだろう。神託のおかげで災いを事前に阻止できるような機会が、自分にも来るかもしれない、と期待しているのだろう。

 そうした人々の様子を見て、ゲルエイは感心してしまった。

「なるほど、神託の巫女は、こうやって勇者教の信者を増やしているのかい」

 同時に、何か胡散臭い空気も感じたのだが……。

 今回の話は、別にマッチポンプではないはずだ。わざわざ勇者教の関係者が、露天商の家に忍び込んで飴玉キャンディ作りの機械に細工をした、とは考えにくい。ならば、神託は本物に違いない。

 ゲルエイは、そう納得するのだった。


 昨日の出来事を思い返していたゲルエイは、

「あのう、もし」

 と声をかけられたことで、頭を現実に切り替える。

 一昨日と同じ娘が、同じように呼びかけてきたのだ。ついゲルエイは、あてこすりを口にしてしまった。

「はい、何でしょう? 今日は、どこのお店をお探しで?」

「あら、違いますわ。今日は普通に……」

 と言いかけてから。

 水色のワンピースに包まれたアデリナは、まるで内緒話をするかのように、ゲルエイに近づき、声のトーンを下げる。

「ええっと。この格好でも、私のこと、わかるのですね。今日はプライベートで来ているのですが」

「変装でもしてるつもりですかい? あたしじゃなくても、あんたが神託の巫女ってことくらい、一目でわかるよ」

 相手が『プライベートで』と言っている以上、それに合わせておくのが無難だろう。勇者教のお偉い巫女様としてではなく、一般庶民の客として扱うことにしたため、ゲルエイの口調も、自然にフランクなものとなった。

「いえ、さすがに『変装』というつもりはありませんでしたわ。でも、名乗らなければ気づいてもらえないんじゃないかな、とは思っていました」

「あんた、少しは鏡を見た方がいいよ」

 神託の巫女のような目立つ人物ではなくても、同じ場所で前日まで三日連続で顔を見かけたら、簡単には見忘れないものだ。ましてやアデリナは、美しい容貌の持ち主なのだから、特に印象に残りやすい。だが、そこまで詳しく説明するのも面倒で、ゲルエイは先を促した。

「それより、あたしの店に、わざわざプライベートで来てくれたってことは……。今日こそは、占い屋の客なんだろ?」

「はい、そうです。占ってもらいたいことがあって……。いえ、正確には、相談したいことがある、と言うべきかしら?」

「へえ、相談事かい。いいよ、話してごらん。話を聞いた上で、この水晶玉で占ってあげるよ」

 そう言いながら、商売道具の水晶玉を指し示した。

 ゲルエイの仕事は、カウンセリングではない。あくまでも占い屋だ。だから占いという体裁でお金をもらう。

 とはいえ、ゲルエイの占いは本格的なものではなく、それっぽい仕草と格好に合わせて、適当なことを言うだけだった。『亀の甲より年の功』という言葉があるように、実は老婆であるゲルエイが、長年の人生経験に基づいてアドバイスや予測を述べる……。それが彼女の『占い』の正体だった。

 だから、今回も。

 占い始める前に色々と聞かせてもらうのは、ゲルエイとしても、むしろ好都合だったのだ。


「はい。実は……」

 ゲルエイに水を向けられたアデリナは、話しにくそうに、いったん視線を落とす。

 だが、すぐに再び顔を上げて、まずは質問を投げかけるのだった。

「占い屋さんは、勇者様の世界って、占ったことあります?」

   

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