第51話 愛の真証(三)
重なり合った唇は柔らかく、まだ生きているという錯覚を起こしそうになる————そう思った時だった。
ラピスの指が触れている自分の腰の部分に、ぴくり、と、微かな動きを感じた。
衝動的に顔を離すと、ラピスの頬にはほのかに朱が差している。白味を増していた唇には元の桜色が戻ってきており、触れる肌は熱を帯び始めた。胸元の珠が小さく揺れ、細く開いた口から吐息が漏れる。
目にしているものが、五感が感じているものが、何なのか、理解が追いつかない。
「ラピス……?」
思考とは関係なしに、その名が溢れ出る。すると長い睫毛が小さく動き、二、三の瞬きののち、ラピスの瞼がゆっくりと開いた。
「……クエルクス……?」
瑠璃色の瞳が眠そうにこちらを見て、何度望んだか知れない声が、自分の名前を呼んだ。そしてもう一度目を
「やだクエル、どうして泣いて——きゃっ」
急に抱きつかれて体の動きを封じられ、ラピスは驚いて小さく叫んだ。
「えっ? ちょっ……クエル⁉︎」
しかしクエルクスにその声はもはや聞こえていなかった。腕の中にラピスの細い体を余すことなく入れようと、きつく抱きすくめる。
ラピスの鼓動が脈打っているのが肌に伝わり、耳に息遣いが聞こえる。
夢ではなく、幻でもない。
ラピスだった。
「貴女を……また、失うかと思ったっ……」
自分に与えられた命を告白したときにも、ラピスが離れてしまうと恐れた。それでもラピスはそばにいたのに、今度はどんなに手を伸ばしても届かないところまで、永遠にいなくなってしまったと思ったのだ。
だが手に感じる温度はもう消えなかった。それとは逆に、温もりがこちらに移る。包み込んだ胸の内で、自分のものではない拍動が、自分の拍動と入り混じる。
自らの命に代えても守ると誓った——なのにその誓いを守れず、消えてしまったのではなかったか。
クエルクスは、自分の顔のすぐそこにあるラピスの首元にそっと口づけた。触れたところが呼吸で確かに震え、錯覚ではないと知らせる。もう抑えることなどできなかった。耳元に、額に、
「もう二度と、二度と離しません——」
ラピスの吐息を間近に感じ、それを自分の唇で塞いだ。もう一度重ね合わせたそれは先とは違って温かく、いまにも消える夢ではないかとまた思いそうになる。だがそれでもやはり、確かだった。
ラピスがそこにいた。
——もう決して、失うものか。
「ん……んっ……んんーっ…………っはぁっ!」
どのくらいそうしていたのか。ラピスに渾身の力を込めて押し返され、クエルクスは我に返った。目の前でラピスが呆然として寝台の上に座り込んでおり、色白のはずの顔が真っ赤である。
「あ……す、すみませ……」
初めて自分のやったことが理解され、クエルクスの全身が指の先まで一気に熱くなる。
「……すみませんっ……林檎を食べた貴女が……息を、引き取ったと……」
「林檎を、食べて? 私が?」
しどろもどろに、とにかく思いつくままに弁明する。
「あ、はい、ええ、船の上で倒れたのは覚えてらっしゃるでしょう。どんどん体が危うくなって……どうにかしようと、神の果実を口に含ませたのです。そしたら、逆に、脈まで確かに止まって……それなのに、目を覚ましたので……」
言葉を並べるものの、どう話しても弁解にしか聞こえない気がしてくる。いや違う。ありのままを説明しているこの内容はどこをどうとっても微塵も言い訳にならない。
まともにラピスの顔が見られない。無意識に視線が合うのを避け、顔が斜めを向いてしまう。
——控えめに言って、いまこそ死にたい。
だがそんなクエルクスとは逆に、耳に入ってくるラピスの声音の方がむしろ落ち着きを取り戻しているように聞こえた。
「それで……? どうして、私は生き返ったの?」
「それは……僕が…………」
ラピスの視線を感じ、もはやクエルクスは完全に顔を横に逸らした。言い淀み、手で口を覆い、やっと小さく、「口づけを」、と呟く。
反応がない。
——奇跡がもう一度起こるなら、この場で消えたい。
どんな怒りの形相かと、恐る恐るラピスの方を盗み見た。
しかしラピスは、自分の唇に軽く二本指を当て、じっと布団に視線を落としている。そしてそのまましばらく思案顔で黙っていたが、やがて同じ姿勢のまま呟いた。
「クエルクス、父様は」
その言葉にクエルクスの思考が一瞬にして現実に引き戻された。打たれたように剣を掴み、口走りながら扉の方へ身を返す。
「宰相が林檎を陛下に——ラピスは絶対にここを動かな」
クエルクスが言い終わるよりも早かった。
「ラピス!」
寝台を飛び降りたラピスは、背中に投げられたクエルクスの制止も聞かず、裸足のまま廊下へ飛び出した。
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