8話≠夜の森での乱痴騒ぎの事1
──リサは一人、自室のベッドに横たわって天井を仰ぎ見ていた。
「お兄ちゃん来ないのかな……」
窓から差し込む月明かりが内部を照らし、薄目を開けるリサの表情を浮き彫りにする。
(あの人……何してたんだろ)
思い出すのは一昨日の紅の髪の女の事だ。
(お父さんのお墓参り……かな)
まだ年端もいかない少女のリサには、細やかな想像が出来ない。
(自分で殺したくせに……)
ぎゅう、と握り締めた毛布に力を込めたリサは、ぽたぽたとやっぱり流れ出てくる涙に構わず、漏らす様に呟く。
「お父さぁん……」
兄がまだ来なくて良かった。明かりも無くて良かった。こんなくしゃくしゃの泣き顔を見られたら、きっと心配をかけてしまう。リサは閉めきった部屋の中で一人、嗚咽を殺していた。
「ザワ」
「?」
葉擦れの音か。けれどもそんな遠くから微かに聞こえる様な音ではなかった。
「ザワザワ」
「……なに」
不安気に身を起こしたリサは、人の発する明確な声、に似た葉擦れの様な怪音にビクリとする。
「ザワザワザワ」
「ど、どこから?」
音が近い。まるで見えない相手に自分の背後や目の前の距離感で喋りかけられているかの様な違和感だ。と、
──ゴンゴンと、木造の扉を乱暴に叩く音が聞こえた。
「り、リサ」
「……お母さん?」
扉の前にいるのは母親だ。しかし、様子が明らかにおかしい。
「にげ、にげて」
ゴンッと一際大きな音がした瞬間、勢い良く開いた扉と一緒に、母親が倒れ込んできた。
その背中に、小枝の様なモノを無数に突き刺されながら。まるで、背から木の枝を生やしているかの様に。
「あっあっ」
硬直するリサは、背筋に滲む冷や汗と目の前に広がる血溜まりの絶望感に、堪らず、
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
古城を囲う森全体に響き渡る様な悲鳴を上げた。
────────────────────
「リサ……!?」
その悲鳴をいの一番に聞いたハルトは、
「待ちなさね!!」
駆け出すところを白猫に制止された。
「なんだよ!リサが……」
「……満ちてんさね」
「なにがだよ!」
訳のわからない事をのたまう白猫に、若干の苛立ちを隠せないハルトは、
「なにかあったんだろ!盗賊みたいなのだとしたら!ちっ!」
言って最悪の光景を想像した自分を後悔する。頼む、虫が出た!とかちっぽけな理由の悲鳴であってくれ、とハルトは自分に言い聞かせて唇を噛む。
「まぁ聞きなさね。ここで今起きている事は、アンタの想像しているモノの百倍は悪い事実さね。アンタが今一人で行っても……」
「ちっ!」
真面目な表情で語り出す白猫に痺れを切らしたハルトは、そんな暇は無いとばかりに部屋を飛び出してしまった。
「あっちょっと!待つさね!」
「待つも茄子もへったくれもあるか!あとで話しは聞いてやる!」
「それじゃ遅いのさね!!」
廊下を駆けるハルトの遠くなる背中に向かって、白猫は確認をする様に声を荒げた。
「アンタの名前、教えなさね!!」
何の事か、この緊急時に名前を聞かせろと言う。付き合ってられるかとばかりにハルトはひりだす様に口を開いた。
「柏木春人だよ、馬鹿野郎……!」
それっきり見えなくなってしまったハルトの姿に、白猫はやれやれといった風にその場にうずくまると、どこか遠くを見詰める様な表情となり、
「……先生……そこにおられるのですか」
絶対誰にも聞かれてはならない台詞を一つ、吐いた。
────────────────────
「ザワザワザワ」「ザワザワザワ」
「お母さん……あかぁさん」
ソレ達には見覚えがあった。人間の子供程度の体躯に、草の腰巻き。顔を大きな一枚葉で仮面の様に覆ったソレらは、父親が殺されたあの日、辺り一面に転がっていたモノだ。
森に生息する魔獣達とは程遠い、異なる雰囲気を纏わせた異様な亜人。ソレらから放たれるものは、すなわち殺意。赤く光る歪んだ眼光が十、二十と扉の向こうや窓の外から覗き、リサはもう逃げ場が無い事を知った。
「いやぁ……やだぁ……しんぢゃ、やだぁ……」
ズリズリと這うように倒れ込む母親の体へ向かうリサは、生暖かい血溜まりに浸りながら母親の温もりを感じていた。
「あかぁさん……お母さん」
触れた母親の頬は驚く程冷たい。命を紡ぐ何かが抜け出した様に、母親の体は急速に物へと変化しつつあった。
「ザワザワザワ」
ギシギシと室内に入り込んできた小人達は、母親の体に突っ伏すリサの髪を乱暴に掴み上げると、覗き込む様に、その恐怖と絶望に歪む表情の顔を、ブツブツとした突起のある舌で舐め取った。
「おと……さん。お母さん」
殺される。幼い少女は確信を感じてその褐色の双眸から涙を溢す。
「なんで……どおしてぇ……みんなみんな死んじゃうの……」
父親が死に、母親も瀕死。自身も今まさに絶命されるだろう。そして兄は。
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……」
最近様子の変わった兄の姿が沸々とリサの頭に甦る。今までの兄だったら、こんな場面でも頼りにしなかっただろう。だが。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」
「ザワザワザワ」
小人がニヤァと笑う顔が、草の仮面越しに伝わる。リサが溢す涙を啜る様に舌を這わせる。そして、
「おにーーちゃーーん!!」
リサの断末魔の叫びだった。聞こえてくれればそれで良い。私はここに居るよ、と。リサは既に殺されているであろう兄の死体の耳へ、最期の言葉を聞かせたかった。それだけだった。しかし、
「ゴラァッ!!」
返って来た返事は、怒りに満ち満ちたリサの兄、ベルンハルトのそれだった。
「おにい、ちゃん……?」
姿は見えない。しかし、扉の向こうで何かが折れる様な凄まじい音と、ドタバタと響く足音が目まぐるしい。
「ザワザワザワ」
リサをいたぶる事に夢中になっていた小人も、異変を感じて扉の先に視線を移す。
「リサァ!部屋か!?」
「う、うん!!」
「出れるかぁ!外!」
咄嗟に振り向くリサの背後、窓の外を見たが例の小人の姿はなかった。
「窓から出れる!」
「いけ!出ろ!」
ガキン、ガコッ、重々しい鈍い音が頻発するリビングから、ハルトは叫ぶ。
「古城へ走れ!」
「はい!」
思わず敬語になってしまっていたリサは、身軽にベッドに跳び移ると、バタンと窓を開け放ち、視界の端に映った母親に一瞬凍り付く。だが、
「リサ!行ったか!?」
「いまいく!」
兄の絶叫に思考を停止させると、凍てつく様な冬の夜気の中へ跳び去った。
(お母さん……ごめんなさい)
古城へと走り出すリサは、チラっと横目で流し見た我が家を囲う数十の小人の赤い眼光がこちらを凝視している事に気付き、兄の身を案じて止まる。
「お兄ちゃん!外にいっぱいいるよ!」
「いいから行け!馬鹿野郎!」
「う~~」
馬鹿野郎と怒鳴られて、リサは仕方なく走り出すしかなかった。もう何もかも駄目なのかもしれない。そんな困りに困った時のリサの口から出る言葉は、いつものそれだった。
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