Gratia≠Gratias!

YU+KI

プロローグ≠断崖絶壁の夜での事

 ──ふぅ、と息をついた彼は薄いマットレスのベットにうつ伏せになりながら、スマートフォンのSMSアプリに指を触れさせ、ゴロリと仰向けになる。


(かったりぃ……)


 高校生活までまるで平凡に、夢も何者になるかもろくに考えず、せめて今の学力で行けると進んだ大学も中途退学。とりあえずの繋ぎで入った居酒屋のバイトを続ける事約一年。


(眠い……)


 一体自分は何者なのか。何になりたかったのか。家賃七万共益費四千円の都心にしては良心的なアパートにようやっと身を寄せる彼、柏木春人かしわぎはるとは低い天井をぼんやりと見詰めながら、


「あ……ライターどこいったよ」


 手探ぐりで枕元に放ってあるはずのライターを探していた。無論、彼愛飲のメンソールシガー“ラッキーライク緑印”を一発吹かすためである。


 ごそごそと起き上がり辺りを物色していた春人は、ふと、何かに気付いたように窓を開けると簡単な造りの柵の根元に転がしていたライターを拾い煙草に火を付けた。


「ふーー……はぁ……」


 煙草の煙と溜め息が混じり合ったなんとも言えない煙い息を吐き出す柏木春人は、向かいのマンションの白壁が視界一杯に広がる窓の景色を上へ上へ追い、真っ暗で星一つ見えない東京の夜の空の漆黒に白煙をもう一つ吐き出す。


「休みてーー……めんどくせーー……」


 日本に生まれた人間が、全てまともな企業に就職し、安定を得られるわけではない。少なくとも彼、柏木春人は月末の通信料の口座引き落としと家賃の工面で頭を悩ませる程度には不幸な、まともではない側の日本人の若者ではあった。


 否、それは不幸だと言えるのだろうか。


 結局のところ、彼は思考停止状態で学生時代を謳歌し、その代償として今がある。なんの事はない。当たり前田のクラッカー状態なのだった。


「ふーーッげほッげほッくぁっ」


 目を潰って歩けば犬も電柱に当たる。そんな誰もが当たり前にわかり得ることくらいに、煙草を馬鹿のように吸いすぎればそれはむせる。


 何もしなければ何の結果も得られない。むしろ、何もしなければ万人に平等に与えられるであろう不幸、天災は、何かを成し得た人間よりも遥かに大きなモノになり牙を剥く。


 ただ人間にとって死に至る病とは、そう、何もしないこと、そのものなのかもしれない。


『あっ』


 柏木春人、今生こんじょう最期の言葉である。


 笑えばいい。しかし笑えない者も多いはずだ。こんな死に方しか出来ない人間も必ずこの世にはいるのだ。

 

そんな死に方があるはずがない。しかし、そんな事ははない。ここにいるのだ。


 散々前置きを長くしてあれではあるが、


 柏木春人は、もたれていた窓の柵が外れて……。


 落っこちてしまったのである。


 余談ではあるが、最期の言葉が『あっ』であるとすれば、最期の彼の思考は、



 馬鹿野郎、死ねよ俺



 で、あった。

 

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