承の巻 桜の苗木

「そこの若者。桜を探しておるのかね?」


 そう言って僕を呼び止めたのは穏やかな目をした1人の老婆だった。

 長く真っ白な髪とその顔に刻まれたしわの多さから、彼女がかなりの高齢だということは分かる。

 背すじはシャキッとしているけれど、どこかはかない雰囲気のおばあさんだった。

 僕はいきなり声をかけられて戸惑いながらうなづく。


「は、はい。苗木なえぎを買おうと思ったんですけど、どこも売り切れで」

「ワシが苗木なえぎを譲ろう。ついて来なされ」

「えっ?」


 静かだけど不思議な迫力のあるおばあさんの言葉に驚く僕をよそに、彼女はさっさと歩いていってしまう。

 もしかして花屋関係の人なのかな。

 僕は半信半疑でまゆを潜めながらも、そのおばあさんの後について行くことにした。


 そしておばあさんについて5分ほど歩き続け、たどり着いたのは街外れの一角にある材木置き場だった。

 といっても、もうだいぶ長いこと使われていないようなさびれた場所だ。

 その材木置き場の脇には、ちかけた住居がいくつかのきつらねているけれど、人が住まなくなってから随分ずいぶんと時がったかのような様子だった。


「ここは?」

「ここはのう、ワシが子供の頃に暮らしていた場所じゃ。ワシの親が亡くなってからは誰も住まなくなってこの通りよ」


 そう言うとおばあさんはゆっくりと家の裏手へ回っていく。

 僕もその後に続いた。

 すると意外なことに廃屋となった住居の裏手は綺麗きれいに整理された庭となっていてちょっとした椅子いすとテーブルがある。

 そしておばあさんの言った通り、その庭には鉢植はちうえの桜の苗木なえぎが置いてあった。


 それは僕の背丈くらいしかない小さな幼木だけれど、立派な桜の花を咲かせている。

 その綺麗きれいな花の様子に僕は思わず目を見開いた。


「すごく綺麗きれいじゃないですか。おばあさんが育てたんですか?」


 そう言う僕におばあさんはニコリと笑みを浮かべたけれど、どこか寂しげだった。

 一体どうしたんだろう。


「この子の親木はもう枯れてしまってのう。ワシが子供の頃は本当に可憐かれんに咲いてくれたんじゃが」


 そう言うおばあさんが見上げているのは、鉢植はちうえのとなりに立つ古木だった。

 綺麗きれいな花を咲かせた苗木なえぎに目を取られて気付かなかったけれど、そのすぐとなりにある古木は枯れてしまった桜の木だった。

 これがこの苗木なえぎの親なのか。


 おばあさんの話によれば、桜の苗木なえぎは親木の枝を正しい方法で切除して、その枝をはちに植えて育てるんだって。

 その際には切除した枝の切り口に薬剤を塗って、親木の枯死を防ぐらしい。

 その処置をしたにも関わらずこの親木が死んでしまったのは寿命だったんだろうと、おばあさんは物憂ものうげに言った。


 満開の季節だというのに、花びらひとつつけていない桜のその姿はさびしげだ。

 さっきおばあさんが垣間かいま見せた微笑みのようにはかなげだった。


「よければこの苗木なえぎを花見に使ってもらえんかね?」

「い、いいんですか? ありがとうございます。御代はいくらですか?」


 そう言って代金を支払おうとすると、おばあさんは少し困ったように首を横に振る。


「この苗木なえぎはもう人様から御代をいただくようなものじゃないよ」


 どういうことだろう?

 こんなに綺麗きれいに咲いているのに。

 お店で買おうと思ったら、それなりの額になるはずだ。

 怪訝けげんに思う僕におばあさんは言った。


「御代はいいから、その代わりワシもその花見に参加させてくれないかね? 誰かに見てもらって喜んでいる苗木なえぎを見たくてのう」


 なるほど。

 じゃあ御代をもらわない代わりにおばあさんの分の食事も用意させてもらおう。


「そういうことでしたら喜んで。でも花見の場所はこの街の外なんですけど大丈夫ですか?」


 そう言う僕におばあさんは嬉しそうに笑ってくれた。

 今度は陰りのない穏やかな微笑みだった。


「かまわんよ。どうせヒマじゃから」

「じゃあ馬車を用意しますね」


 僕らだけならやみ洞窟どうくつまで歩くのなんてどうってことのない距離なんだけど、おばあさんには大変だろう。

 僕は苗木なえぎはちを両手で抱えると、おばあさんをともなってさっきの公園へと戻った。

 だけど僕がヴィクトリアとの待ち合わせ時刻に公園に到着すると、そこでは騒ぎが起きていた。

 騒ぎの主は案の定、ヴィクトリアだ。


 花見の席を譲ってもらうと言っていたヴィクトリアは今、花見客と言い合いをしていた。

 す、すぐに止めないと。

 僕は慌てて公園へと足を踏み入れた。

 そこで気が付いたんだ。


「ん? あれは……」


 僕はヴィクトリアのケンカ相手を見て思わず目を見張った。

 ヴィクトリアと言い合いをしていたのは、小さな子供のようだ。

 長い金色の髪のその人物を見て僕はそれが誰であるのか一目で分かった。


「ノア……」


 そう。

 それは僕の友達である竜人ノアだったんだ。

 ノアとヴィクトリアは犬猿の仲だ。

 顔を合わせればしょっちゅうケンカをしている2人なんだけど、それにしてもどうしてノアがここにいるんだろうか。

 僕はとにかく2人の間に割って入った。


「ちょ、ちょっとちょっと2人とも。何をケンカしているの?」


 ヴィクトリアは僕の姿を見るとすごい剣幕でまくしたてる。


「聞いてくれよアルフレッド。このガキが因縁いんねんつけてきやがるんだ」


 ノアも負けじと僕の腕をつかんで青い瞳を僕に向け、不満をあらわにした。


「アルフレッド。ノアは悪くないぞ。せっかく母様と花見を楽しんでいたところに、そのイノシシ女が邪魔してきたのだからな。ノアが怒るのも当然であろう?」


 ノアの言葉通り、彼女の背後には地面に敷かれた茣蓙ござの上に座っている女性の姿があった。

 この城下町の平民姿をしているけど、彼女はNPCじゃない。

 プレイヤーだ。

 ノアが母と呼ぶそのPC《プレイヤー・キャラクター》は、かつてこのゲームのスタッフとしてノアのキャラクター・デザインを務めた女性だった。

 事情があってノアとは離れ離れになっていたんだけど、今はこうして再会し、交流を深めているみたいだ。


 先日の天国の丘ヘヴンズ・ヘルでの騒動後、僕はノアのお母さんを探す約束をしていたんだけど、その帰り道にノアのお母さんは僕らを待っていてくれた。

 探すまでもなくノアがお母さんと再会できたのは神様の配慮だったんだ。

 神様っては……ああ、その話はまた今度にしよう。

 今は2人のケンカを止めないと。


「とにかく2人とも。周りの人たちに迷惑だから、これ以上モメないで」


 といっても2人が言い争う様子を花見の酔客すいきゃくたちはどこか楽しんでいるようだった。


「ニーチャン止めるな!」

「もっとやれ!」


 無責任にあおらないで(涙)。

 止める方はまるで闘犬の戦いに割って入るくらい大変なんだから。


「そ、そうだ。2人とも僕のところで一緒に花見しよう。ね?」


 僕が必死になだめながらそう言うと、2人は渋々といった感じで互いにそっぽを向く。


「フンッ。アタシは元々アルフレッドのところに遊びに行くつもりだったからいいけどよ、このガキはいらねえだろ」

「何を言うかイノシシ女め。そなたに花をでる心などあるはずもなかろう。アルフレッド。ノアだけで良いぞ。この無粋ぶすいな女は置いていけ」

「ま、まあまあ。2人とも」


 僕がケンカの仲裁に苦労しているのを見かねたようで、そこでノアのお母さんが助け舟を出してくれた。


「ノア。私はそろそろ仕事の時間だから行くよ。今日は楽しかった。でもあなたはもう少し人見知りを直したほうがいいわよ。アルフレッドさんをあまり困らせないでね」

「母様……分かりました」


 ノアはお母さんの言うことはちゃんと聞くようで、それ以上ヴィクトリアといがみ合うことはせずに、おとなしく引き下がってくれた。

 た、助かりました。

 ノアのお母さんは僕に笑顔で挨拶あいさつをしてくれ、ログアウトしていった。


 さて後は馬車を手配しておばあさんを乗せ、4人でやみ洞窟どうくつに戻るだけだ。

 桜の苗木なえぎも手に入ったし、ミランダにはこれでカンベンしてもらおう。


 念のため通信でミランダに連絡すると、どうやらやみ洞窟どうくつにはすでにジェネットとアリアナが来ていて食事の準備や手配を済ませてくれているらしい。

 僕は苗木なえぎを提供してくれたおばあさんの話をした。

 苗木なえぎしか持って帰れないことをミランダに責められるかと思ったけれど、彼女は特段怒ってはおらず、さっさと帰ってくるようにとだけ言って通信が切れた。


 あれ?

 もしかして僕、許された?

 ビンタされずに済む?

 そんなことを思いながら、僕らは馬車で家路についた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る