第16話 待ち合わせはヨコハマ午後七時。

 待ち合わせは午後六時。だが時計は七時を指している。


 遅いーっ! 何やっとんじゃあの馬鹿は。


 FAVは苛立たしげにポケットから煙草を出すと、辺りを見渡した。横浜駅。

 珍しく彼女の方からTEARを呼び出していた。別に用件は言ってない。ただ週末。それでもって暇が急にできたから遊ぼう、と言っただけだった。


 そういえば、昔こんなふうにここで誰か会ったんだっけ。


 ふと思い出す。

 まだ子供の頃で、もちろん今のように金髪ではないし、もっと身体もぷくぷくしていた。

 と、すると、あれは十年くらい前ってことになるよな。

 十年前には、まだ今のように音楽をやる人間になるとは思ってもいなかった。今の自分のような、こんな派手な奴は滅多にいなかったと思う。だけど今は。

 何本目かの煙草をアッシュケースに突っ込みながら、不意にその光景が浮かび上がってきた。きゃぴきゃぴと騒いでいる、可愛い、ブランドものの子供服の少女。


 あ、そうか。


 思いだした。ここで昔、ずいぶん可愛い子と話したんだ。

 塾に通っていた日曜日、東京や上野よりはずっと簡単だけど、地方の簡単な駅に慣れている子には横浜は迷路だ。とりあえず広いし、私鉄や地下鉄との連絡もある。

 その頃から周りの子よりは背は高かった。そして横幅もあった。

 泣いていたんだっけ。その子は。

 記憶をたどる。柔らかそうな髪がやや固めにウェーヴしていて、ここぞとばかりにリボンが飾られていて。着ているものも、「よそいき」という言葉が当時だったらぴったりの、淡い色のワンピースだった。そして買ってもらったばかりのような赤いエナメルの靴。

 自分よりずっと小さくて、大きな目がうるうるとしていた。そういうのに捕まってしまってはたまらない。

 日曜で塾の時間はあったけれど中学生、今にも母親探して走り回りそうなガキを見ては、放ってはおけなかった。

 放っておくとどっかの悪い奴に連れていかれるんじゃないか、と錯覚するくらいだったのだ。よりによって、その子は赤いエナメルの靴を履いていたのだし。

 泣くな、と一喝すると、その子は泣きやんだ。別に怒って言っている訳ではないのはすぐ判ったらしい。泣いたから迎えが来るって訳じゃないだろ? と言うと、案外素直に納得した。

 あんた名前なんていうの、と泣きやんだその子は当時の自分に訊ねた。

 どうも外見と言葉が一致しないガキだった。察するに、この可愛い恰好は、親が無理矢理させたようだ。

 だからとりあえずFAVはこう答えた記憶がある。


 人に名乗る前に自分が名乗るのが礼儀ってもんでしょう?


 別に本当にそう思っていた訳ではないけれど、当時のマンガやTVではよくそういうことを言っていたような気がするから。

 こざくらさくこ、とその子は答えた。花の名前だ、と思った。でもやや桜という雰囲気の子ではなかった。むしろ薔薇やら蘭だののバタ臭い顔だった。

 名乗ったよ、と「こざくらさくこ」ちゃんは言った。

 そうならこっちも名乗らないとまずそうだったので、FAVもまたながさわめいこ、と名前を言った。

 めーこちゃん、と彼女は発音した。山羊じゃあねーんだよ、とFAVは言って頭を軽くこづいた。

 それから二十分くらい待ったのだろうか。何やらごちゃごちゃと他愛ない話をしたような気がする。塾の方はこのままでは遅刻では済まない、と思って、こうなれば駅の事務所へ連れていこうか、とそういう心配をし始めていた。

 でもその心配はわりあいすぐに解消した。母親が探していたから。

 確かにこの子の母親だろうな、と思えるくらいに、彼女も美人だった。そして良かった良かったと抱きついて泣く姿がまるで絵のようだった。

 意外にその子はその時は泣かなかったんだけど。ひどく不敵な笑いになっていたような気がする。


「赤い靴、履いていた女の子、か」


 FAVはつぶやく。


「おーっす」


 はっと気がつくと、友人が来ていた。いつもの恰好にプラスして、黒い帽子を乗っけている。


「遅いっ!」

「済まねえ済まねえ」


 そう言ってTEARはくしゃくしゃと彼女の髪を撫でる。


「あんたねえ」

「何見てたの」

「え?」

「結構真剣に見てたじゃん」

「んなこたねーよ」

「いーや真剣だった」


 あれ、と小さく指を指す。


「ああ、可愛いね」

「お人形みたいだなあ、と」

「あんたの方がよっぽど人形みたいに見えるけど……」


 TEARは当たり前のようにさらっと言う。


「何処がじゃ」

「あれ、知らなかった?」

「……」


 FAVは黙る。会ってこの方、この友人は自分に誉め(少なくともTEARはそう言っている)言葉を雨あられのように降り注いでいる。

 バンドを始めてから、まあそれなりにそういう言葉はその逆の言葉と一緒に浴びてはきたが、こうも会うたびに言う奴は初めてだった。

 それも実に臆面もなく。

 普通面と向かって目の前の相手を誉めまくるというのは珍しいことだし、あまりにもその言葉が安売りされていると、価値が落ちるのでははなかろーか、と彼女も思うのだが。

 つまりは「だが」という所が問題なのだ。

 どういう才能か知らないが、その言葉がいつも本気で言っているように聞こえるのだ。それも普通のお定まりの誉め言葉ではなくて、何かしらひとクセあるような言葉で。


「で、今日はどーしたの? FAVさんから呼び出すなんて珍しい」

「んにゃ、別に…… 給料出たし…… たまにはおごろうかな、と」

「あ、食事?」

「ん。まあこっちへ来させたくらいだし」

「じゃあ中華街でごはん」

「いーよ」


 おおっ太っ腹、と言ってTEARはFAVの肩を引き寄せた。


「何じゃいったい」

「ん? 何か?」


 ああそう言えば、とFAVは思い出す。

 この女は何だかんだ言ってスキンシップが好きだったっけ。

 最初の打ち上げではMAVOを引っ付かせていたし、その後もP子さんと肩組んだり、スタッフのエナちゃんを「なでなで」していたこともある。


「暑苦しいからよしなさーい」

「へいへい」


 多少惜しそうな顔をして、TEARは空いた手をポケットに突っ込む。そのまま何となく歩いていたが、不意に自分の帽子を取ると、ぽん、と横を歩く相手の頭に乗せた。


「?」


 いきなりの行動という奴にFAVは弱い。急に頭に手を置かれたので多少焦って胸が騒いでいる。


「何」

「ん、いやぁやっぱり似合うわ」


 関西人のようなアクセントでにっと笑って言う。


「あーそうですか」


 FAVはそう言ってかぶせられた帽子を取ろうとする。と、ひらひらとTEARは手を振り。


「あげる」

「はい?」

「服というのは似合う奴の所へ行くのがいいのだよ」


 まあそれはそうだ、と思った。だがその黒いフェルトのやや固めの帽子は正直、元の持ち主も充分似合っているような気がしたのだが。


「中華街はどっち?」

「あ、電車で……」

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