第14話 うだうだと考えてしまう日

 ……だるい。


 何がだるいったって、月の一度の客が来た時くらいだるいものはないとFAVは思う。

 それでもって、下半身が重苦しく、痛い。痛み止めは、効いているうちはいいが、習慣性になるのが恐いから、なるべく彼女は止している。


「だけどホント、きつそう……」


と、見舞いに来たPH7のリーダー殿は心配そうに言う。「お見舞い」と入ってきた時に言った。

 ちなみにその時もベース女は同行してきた。もの好きだな、とFAVは思ったが、口には出さない。

 そのままでいいから、というHISAKAの言い分に甘えて、FAVはベッドの上で半ば丸くなったままである。


「あたしなんざ全くそーいうこととは御縁がなくって」


 TEARはぬけぬけとこうほざく。

 小憎たらしくFAVは思う。力が出るようなら枕ぶつけてやるところである。だが悪気がないから始末が悪い。全くもう、とつぶやくのが関の山だ。


「じゃあこれも今は無理ね」


 クッキーの缶をHISAKAはFAVに差し出す。一応起きあがって何かな、と確認する。新品じゃなくて、空き缶利用のようだ。


「パウンドケーキだけど?」


 う、と口を押さえて、


「ごめん今パス…… 匂いがきついから」

「うん。日持ちのするタイプだから、まぁ元気になったら食べて」

「あんがと。あれ、あたしケーキの類好きって言ったっけ」

「ああ、まえに家に来た時に結構誉めてたじゃない。でもって、うちで料理するひとが、誉められると嬉しがって作る人だから」

「あ、じゃ、冷蔵庫に入れといてくれない?」

「こっちね」


 HISAKAは缶を持って立ち上がろうとした。と、


「ちょっと待てHISAKA、あんたが台所に入ると必ず何か壊れるから」


 缶をあっさりHISAKAから取り上げると、TEARはすたすたとFAVの部屋の中の狭いキッチンへ入り込んだ。

 は? 何か壊れる? 何の事だ、とFAVが目を丸くしていたら、少し照れたように苦笑いをしながら、HISAKAは彼女の言葉を補足した。


「実はあたし、その手のことは全く駄目なのよね」

「はあ」

「いや、ガキの頃、そういうことする暇がなくて。一応ピアニスト志望だったんで」

「はあ」


 そう答えるしかなかった。なんだ、別に隠している訳じゃないじゃない。FAVは何となくもやもやしていたものが少し晴れた気分だった。

 そうしているうちにTEARも戻ってきて、冷蔵庫の中身についてひとしきり文句をつけた。


「何にも入ってないじゃないー」


 確かに大してものは入ってないが…… 大きなお世話じゃ。


 そう内心言い返すがコトバにはしない。

 それから多少は馬鹿話をしたが、やはり体調の悪さというのは、たまらないものがあり、限界かな、とHISAKAもTEARも気付いた。そこでFAVの枕元にカセットテープを一本置くと、HISAKAは言った。


「それじゃ、これ」

「何?」

「うちらの新曲。良かったら聴いて」

「いいの?」

「仮にも引き抜こうとしている人にはその位の礼は尽くさなきゃね」


 そしてその整った顔でにっこりと不敵に笑った。


「それじゃまたね」 


 来た時もいきなりだったが、出て行き方もいきなりだと思う。自分のペースでものごとを運ぶ奴だ、とFAVはHISAKAについて思う。この世界でやっていくなら、そういう性格のほうが良いのだが。



 誰もいなくなった部屋で、のそのそとFAVはヘッドフォンステレオに手を伸ばした。新しい曲ねえ。

 彼女達はまだ、F・W・Aまえのバンドが解散したことは知らない。そりゃそうだ。つい一昨日のことなんだから。それでもって、結構FAVは精神的にダメージを受けてたらしい。

 それがそのまま身体にきて、その前日に何をしていようが、結果はシロ、という体質を露骨にFAV自身に見せつける。結果はシロでも、出てくるものは真っ赤。

 イキには悪いかな、とも思う。

 彼とは以前にも冗談のように何度か寝たことはある。最初は成り行きで、その後も成り行きだった。最後以外は全て。

 だが遊びだということはお互い承知していた。純粋に、肉体的快楽だけ追求のSEX。けらけらと笑いながらする類のソレ。相手の挙動にときめくものはない。新しいゲームを買った時と同じ感覚でやっていたにすぎない。


 何しろどう間違えても子供はできないのだから。


 だけどあの夜のは違うものを彼は求めていたように思えた。少なくとも彼は。

 彼は何かのけじめをつけたがっていたように見えた。

 だったら応えてやりましょう、とも一応FAVは思った。彼が欲しがっているものを最後くらい与えてあげたかった。何しろ長い付き合いなのだ。

 だが思ったからと言って、理性が感情に勝てる訳はない。

 いくら昔は好きだった男とは言え、その時期を通り越してしまって、仲間としか見られない奴にときめきは感じない。それがどういうものかも自分が忘れかけているようにもFAVには思える。

 だからいくら表面的に「気持ち良」くても、それで気が遠くなるとか幸福感に包まれるといったものとは無縁だった。

 相手がどれだけ絶頂感を持ったとしても、それを共有することはない。いつも自分はその相手を見ているのだ。ひどく冷静に。

 それはそれでいい。その方がいいと思っていた。

 だってそんなこと得たいと思って得られる訳じゃない。音楽を最高に愛してる彼女にとって、「その感覚」は最高に気持ちいいライヴをしている時にある。SEXの時ではない。

 だから「困る」。

 突然ときめきを求められたって「困る」。その時相手に夢中になっているような心を求められたって「困る」のだ。

 彼が好きだったのは、ギタリストでもある「FAV」であって、本名「長沢めいこ」の彼女ではなかった。

 だが彼にときめいていたのは「めいこ」の方である。

 「FAV」は「めいこ」がそうなりたくて、自分で努力してなった結果だ。

 そして「FAV」は、イキのことは仲間にしか見えない。

 「FAV」は彼と寝たとしても、一緒にその瞬間を得ることはできないのだ。

 堂々巡りだ。結局それをイキ自身も気付いていただろう。彼は初めから期待はしていなかったような気もする。

 だが、もしそれが恋愛として成立していたとして、FAVにはそれがハッピーエンドであるとは思えない。

 だがそれでは幸せとはどういう意味か、と問われると、FAVには答えられない。恋愛関係に本当にハッピーエンドがあるとは信じられないのだ。


 自分一人だけ、なら、幸せの定義は簡単だ。

 その時一番欲しい音を自分のものにすること。

 瞬間であり、その瞬間がずっと続けば、永遠。それは、自分の力だの努力だの環境だの、いろんなことで変わるけれど、それを追い続けている瞬間も、また幸せ。それが音楽畑、というところにずっと居座っている理由。失くしたらどうやって生きているのか判らないくらいの。

 その定義でいくと、こんな風にあれこれ考えているこの瞬間は、あまり幸せじゃない、ということになる。

 いろいろなことが頭の中でうじゃうじゃと回り始める。音どころではない。下半身のもやもやした痛みは時々熱っぽく、時々昇ってきて、吐き気さえもよおさせる。


 ああ嫌だ嫌だ、と彼女は思う。こんな時にまで状況を冷静に見てしまう自分も嫌だし、一昨日の自分も嫌だし、このままじゃ、明日からの自分まで嫌いになってしまいそうだった。

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