第13話 退場する奴へのはなむけ

「ふーん」


 何回か、二人しかいない練習日があった。

 だいたい週の半分はある訳だが、何故かそのたびに、FAVは新しいPH7の情報をイキに話しているような気がする。

 その都度彼はあまり気のない返事をする。

 話していると練習にはならない。そもそもとりあえず先の見通しが立たない状態であったことも確かだった。


「可愛い服でねぇ」

「着てみたい?」

「まさかぁ。だいたい似合わない」


 FAVはひらひらと手を振る。


「追っかけの子達さぁ、結構似合わなくても着てるぜぇ」

「そりゃ全体的美意識ってのがねーんだと思うけれどな」

「美意識以前にさ」


 イキは少し真面目な口調になる。


「可愛いものだから、着たいっての、ない?」

「ない」


 FAVは即答断言した。


「別に着てる子を責める訳じゃないけどさ、あたしにとって、『可愛い』と自分は別モノなんだもの」

「そぉ?」

「何あんた、あたしに着せたい訳? それだけはよしてよ」


 まずい、とFAVの中で危険信号が鳴る。つとめてふざけた口調にしなくては。何か他の話題を探さなくちゃ。

 どうも最近変だった。イキと会話していると、これまで決して口に出すことのなかった妙な方向へ行きかかるのだ。

 FAVは慌てて話題を元に戻す。


「でさぁ、何っか変だったのがさぁ、彼女、MAVOちゃんのブレスレット。いや別に結構恰好いいものだったんよ、エスニな店で買うよーな。でも普通、あーいった服のときもする?」

「ああ、あれね」


 そういえば、とイキはふと思いだしたように、


「ハルシが言ってたなぁ」

「何て」

「あ、いや、ちょっと良くない噂なんでね。お前も聞きたくないだろーかな、と」

「何」

「だから、あーいうブレスの下に、隠したいものがあるんじゃないかって」

「リスカ跡でもあるっての?」


 FAVは眉をひそめる。


「噂だよ。確信はない。だから、基本的には俺も信じないんだけど」

「だけど?」


 妙に含みを持った言い方だ。


「んー… だけど、あそこって、謎が多すぎるんだよな」

「謎? なんてあったっけ」

「お前HISAKAとMAVOマヴォの本名知ってる?」

「え?」


 言われてみればFAVは聞いたことがない。

 別に聞いたこともないし、さほど必要だと感じたこともない。

 遊んでも話しても楽しかったし、根の部分が合ったので、下手な詮索をする必要もなかったのだ。

 そしてたいてい彼女の家に行く時には、あのベースの派手なTEARテアが一緒だった。

 FAVは最近TEARとは妙によく顔を合わせる。例えば観るために行ったライヴハウス。例えば呑みに行った居酒屋。

 派手な女だから、意味もなく視界に入ってくる。FAV自身も派手だったし、どういう訳か相手もすぐFAVを見つけてしまうのだ。

 だからついつい行動をともにしてしまい、次の約束をしてしまう。

 珍しいこと、だった。

 どちらかというと、FAVは自分が人見知りする方だと思っている。

 端から見て違うというなら、それは生活費稼ぎの、一応客というものが存在する社会で生き抜いてるおかげである。

 嫌いで嫌いで仕方のない相手にも仕事と思えば(短時間なら)笑顔を向けてやることだってできる。もちろん心の中ではどれだけ悪態をついているかは知れぬが。

 そして自分に合った人を自分のペースに巻き込んでから行動したり、つきあったりすることはあっても―――

 そうやって、わざわざ自分の時間裂いてまでペース無視してまで会いたいな、という人は老若男女ひっくるめて、ほとんどいない。


 妙な気分だった。


 TEARといると、容姿コンプレックスがふりかえすんじゃないか、と思っていたけれど、意外にそういうことはなかった。

 むしろ彼女の無性に大きい胸の上で大柄なエスニックなペンダントが飛び跳ねてる様は見ていて妙に楽しくなるくらいだった。

 そしてFAVはTEARの本名、佳西咲久子かさいさくこは知っている。ギターのP子さんの本城亜紗子ほんじょうあさこという名も知っている。だが、あの二人の名は知らない。

 まあおそらくHISAKAは日坂ひさかさんなんだろうが。取り立てて真偽を訊ねる気もない。

 彼女達もわざわざ言わない。

 だいたいFAVはそれをここでイキに指摘されるまで、さほど不自然に思わなかったのだ。


「知らない」

「俺だって知らんよ。まあ名前のこともそうなんだけど、何かあの二人って、得体が知れなくて」

「……」


 そしてイキは、目を逸らして一呼吸置くと、


「それに、俺やっぱり、自分より上手い女って、見てて嫌だわ」


 これじゃ、また、同じ、パターン、だ。


 頭の中で声が響く。


 この間と、同じ。


 彼の口調がいつもより作り事めいたものであったことを薄々気付いてはいたけれど。

 FAVは瞬間、かっとなって、イキに殴り掛かろうとしていた。と。

 それを予期していたかのように、彼は振り上げたFAVの腕を掴んで、引き寄せた。彼女はバランスを崩す。ドラマー殿は頑丈だった。そのままぎゅっと抱きしめる。

 何するの、とFAVは少しばかりもがく。だが彼の腕はびくともしない。


「彼女たちのために、怒れるんだろ?」

「え」


 FAVはもがくのを止める。


「ハルシが電話してきた。ゆうべ」


 シャツごしに体温が伝わってくる。


「何て」


 目をそらしてFAVは訊ねる。


「FAVさんに、ごめんね、とさ」

「あの子は悪くないのに」

「だけど、奴は、ヨースケの声が、下手でも好きなんだと」


 ああ、そうか。


「欲しいものが全く違ってたって、ことだよね」

「そう」


 悲しいけれど。で、この構図は何なんだ、と。


「どういうつもり? イキ?」


 この雰囲気は、時々している冗談めいた、即物的な行為とは違う。


「こないだ理由は言ったと思うけどさ」

「あたしは、駄目だよ。三年前じゃあないんだ」

「判ってるよ。俺、家に戻るんだ」

「え」


 慌てて顔を上げる。視線が合う。

 彼の顔がかなり近い距離にあった。優しい目だった。高校の頃から、友達をやってくれていた奴。いつからその目が変わったのかは知らないけれど。


「親父があんまり身体良くないんだってさ。だからここしばらく言われてはいたの」

「おじさんが…… あの頃あんな元気だったのに」


 昔はちょくちょく遊びに行った。

 実に物わかりのいい父親だったが、FAVを「ガールフレンド」と見なしていた感もあったので、それに気付いてからは彼女は家へ遊びに行くことはなくなっていた。


「でも四年は長いよ」

「……」

「あのさFAV。俺はお前好きだったけれど、走らないお前は、好きじゃないの」

「どういう意味?」


 彼女は眉を寄せる。


「判んなきゃ、あとでじっくり考えな。で、俺はお前の加速度にはついていけないし、速度を緩めたお前も見たくないの。言ってもいいかな? お前が、標準体重よりも二十キロは多いってわめきだした頃から、好きになったの。妙な話だとは思うけど」


 ……!


「知ってた?」

「知らない」


 FAVは目を丸くする。


 そんなこと、知らない。だってその頃の自分なんて。


 彼女の動揺を予想していたかのように、イキは軽く苦笑する。


「だから、一つだけ、逃げていくお馬鹿に、いただけませんかね?」


 それはいつも冗談のように彼に与えて、自分ももらっているものとは違う。

 判っては、いるけど。

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