中恋の雨は穏やかに

ろーくん

前編



 40も半ばを超えた。



「―――――――……ふぅ」

 ため息が出る。すると、1mは離れているはずの右側にある外を望める窓ガラスに、白いくもりが現れた。


「(……。そんなに強く(息を)ついたつもりはなかったんだけどなぁ…)」


 カフェの2階。


 何十年か昔なら若者のたまり場になっていたそこは、掃除しても拭いきれない年月がもたらす汚れをまとって、今では自分のようなどこか枯れた雰囲気を醸している客ばかりの店。


 木造感のある、明るめの木材の色合い。それゆれに時代と共に古くなっていく様がより感じられる店内は、それでも急に降り出した雨に濡れないだけ、居心地よくも寂しく感じられた。



「……。一人、か……ハハ」

 不意に店内を見回しても自分以外に誰もいない。1階には誰かしらいるかもしれないが、夜の帳が降り始める時刻に、古くなっていくばかりの喫茶店を利用する客は少ないだろう。


 再び、窓の外を見る。

 先ほどよりも暗くなったのは、夜に向かって時間が進んでいるせいではない。急に湧いて出た雨雲が、夕暮れを完全に遮ってしまったからだ。


 向かいのビルやその隣、どこもかしこも慌てて明かりが灯っていく。町は、ものの数分ですっかり夜の顔へと変わっていく。


「(さて…どうしようか。いつまでもコーヒー1杯で居続けるのも悪いし…)」

 若者ならば、何の気兼ねもなくフリードリンク1杯で何時間と居座るのだろう。だがこの歳になるとそんな気力もないし、何より一人ぼっちだ。

 いい歳の小太りな中年おっさんが、寂しく一人座ってる姿を客観的に想像してしまい―――――――思わず震えた。


「うん、近くのコンビニまで走って、傘を買って帰――――…おや?」

 雨の具合を確かめようと、再び窓から階下を見下ろす。

 すると急な雨に急ぎ足で各々の家路を急ぐ衆目の中、一人だけトボトボと歩いてる少女が目についた。


「(……あの娘は、まさか…?)」

 少女も何を思ってか空を見上げる。その時、二人の視線が偶然にも交差して向こうもまた、彼の存在に気付いた。



 ・

 ・

 ・


「ひさしぶりオジサン、元気…してた?」

「ああ、ま、まぁね…」

 彼女は年の離れた恋人…ではなく、友人…というほどでもなく。




 初めて会ったのは1年ほど前。


 今日と同じように、客のいないうら寂しい喫茶店で一人寂しく珈琲を啜っていた日。少女から恐れ知らずにもラフな雰囲気で声をかけてきたのが、知り合ったきっかけだった。


 なぜか会話が弾んだ縁で、たまに会ってはお茶を共にするだけの、友人とも違った、なんとなく奇妙な知り合いという程度の間柄。


 けれど彼は楽しかった。


 女性に無縁だった中年男性は、ただ若い娘とお茶して話すだけで、自然と笑みがこぼれたものだ。

 当時はそうは思わなかったが後になって振り返ってみると、そんな何気ない時間が楽しかったんだと思えた。


 けれど、そんな楽しい時は長続きしない。


 いつしか少女は同世代の彼氏を作り、そしてもはや会う事もないと互いに交換しあった連絡先も切った。

 なんて事はない。それが世の当たり前というものだ。ともすれば父親と同年代かそれ以上の中年男性相手に、仲良くお茶を酌み交わす縁など続くはずもない。


 …それでも、彼にとってただ少女と話をするだけだった時間がなくなってしまった事で、心に想像以上の大穴が空く。

 失い、そして振り返ってみて初めて “ ああ…楽しかったんだなぁ ” とその貴重さを思い知った。










「まぁ飲みなさい、ほらハンカチも。雨に打たれたままでは風邪を引いてしまうよ」

 オロオロしながらも、そこは年を重ねた男性。何があったかなんて野暮は聞かない。

 まず成すべきなのは、少女が風邪をひかぬようにケアをすること。


 もちろん飲み物も温かいホットチョコレートを注文。一瞥して明らかに気持ちが沈み切っているのが分かるし、甘いもので少しでも落ち着いてくれればと気遣ってのチョイス。


 しかし一人が長かった彼にはこういう時、自分がなかなか落ち着くことができなかった。他にどうしてあげたらいいか? 何か食べるものも注文してあげるべきか? 考えが定まらず、あくせくする。



「ぷっ…あははっ、相変わらずだねオジサンっ。女の子慣れしてなさすぎー」

 少女が笑う。その恰好身なりはお世辞にも真面目なタイプではない。髪を染め、肌を焼いたいわゆる黒ギャルと呼ばれている、どちらかといえば中年男性がもっとも苦手とするであろうタイプ。

 だが笑われても、彼は一切の憤りを感じる事はなかった。むしろ安堵する。


「よかった、そうやって笑えるなら大丈夫だ」


「! ……とかなんとか言って、笑わせようと思ってたワケじゃないっしょ? オジサンがそんな器用じゃないの、よーく知ってるしサ」

「そ、そりゃあね。僕みたいなのが意識してそんな風にできるわけ――――?」

 いきなり、少女がテーブルに手をついて身を乗り出してくる。


 彼の頬に手を伸ばし、口元をナゾッた指を舐めた。


「ん、これはキリマンジャロ? …なーんてね、あはっ」

「……。は、はは、さすがにそれだけで豆の銘柄が分かったらすごいけどね」

 少女が手を伸ばした時、開けたシャツの胸元がチラ見えてちょっとだけドキっとしたのはナイショ。頑張ってみなかった風を装う。


 とはいえ、彼はそれ以前から目のやり場に困っていた。雨に降られたせいで濡れたシャツは、少女の色々なあれやこれやを透かして見せているのだ。



「(こ、困ったなぁ。ハンカチ程度では拭いきれないほど濡れているじゃないか。タオルなんて持っていないし、かといってあのままでは風邪を引いてしまう)」

 どうしようか考えていると不意に窓の外、道路を挟んだ向こう側の方にビジネスホテルの看板が見えた。


「(!! い、いやいやいやいやいや!! いくら何でもそれは…昨今はただでさえ年の差の関係に世間の目は厳しく…って、そういう事じゃなくって!)」

 よこしまな想像をしなかったといえばウソになる。だが、生真面目な彼は慌てて頭の中に湧いたイメージを振り解いた。


「! そ、そうだ。とりあえず……これをッ」

「? 何コレ、マフラー?」

 彼がカバンから急いで取り出したのはマフラーではない。少女が手渡されたモノを広げると、ソレは細長い織物だった。

 肌ざわりは上々だが、絹のように高級なものではない。刻まれている、模様は美しく色とりどりで、少し離れてみれば虹のような色彩に見えなくもない。



「お、織物関連会社の商品サンプルなんだけどね、とりあえずソレに濡れた湿気を吸わせるといい。タオル代わりとまではいかないだろうけど、少しはマシなはずだよ。その間に僕がすぐそこのコンビニへ走って、タオルとか買ってくるから!」

 言い終わるや否や、すぐにも席を立って走り出す彼。



 ――――が


「ちょい待ちっ!!」

「おわぁっ!?? な、何かね? 他に欲しいものがあるのかい?!」

 腰のベルトを掴んで引き留められる。振り返ってみた少女は、慌てて飛び出そうとしている中年男性の姿を見ながら、言いかけた言葉を一度飲み込み、一瞬考えてから言葉を紡ぎなおした。


「…じゃ、ワイシャツと、替えのパンツもおねがい。大丈夫、男物でいいからサ」

「~~~…わ、わかった、すぐに行ってくるよ! 買ってくるまで少しでも温まっていなさい!」

 正直男物はどうなのかと思ったが、新品ならばそういう形状をしているだけの同じ布だ。緊急時の最低限として少女が家に帰りつくまでの代わりが務まりさえすればいい。


「(それに、さすがに女性ものを買うのは色々と白い目で見られるし勘弁して欲しい…)」

 だが、彼は少しホッとした。なんとも言えない状況から一時的に逃げ出せ、とりあえず気持ちの整理が付けられる時間が得られた。



 とはいえ彼女の身体が冷えてしまう前に買って帰らなくてはいけない。両脚は運動不足の小太り男にできる、限界ギリギリのスピードで疾走しはじめた。









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