第2話 おれがお笑いをやる?
「びええええ!!」
また小さな女の子に泣かれた。3歳くらいだろうか。
朝のさわやかな雰囲気の通学路には似つかわしくなく、けたたましい声を上げ泣き叫んでいる。
ただ、女の子が落としたハンカチを拾って渡しただけなのだが。
おれが「はい」、と目の前にハンカチを差し出し、女の子と目を合わせただけ。
だが女の子は一瞬にして口をへの字に曲げ、涙を溢れさせたかと思うと、この大音量だ。
原因はおれの人相の冷たさ。
繰り返すが、おれは小学校時代から「冷たい」とよく言われていた。
子供の時代から、お世辞にも明るい性格とは言えず、ついたあだ名は「ガリガリ君」。
痩せていたこともあるが、それ以上に「ガリガリ君アイスのような冷たさ」という意味だろう。
いつもおとなしく、表情が変化しないことに加え、無駄に目つきだけは鋭い。まるでゴル〇13のようだ。
普通に相手を見ているだけでも、怯えられることがよくあった。
というわけで、子供に泣かれることは悲しいかな慣れている。
女の子がハンカチを手に持っていることを確認すると、おれは学校に向かって歩き始めた。
学校へ着くと、いつものように誰と挨拶を交わすでもなく、黙々と靴を履き替えて教室へ向かう。
高校生には泣かれはしないが、いずれにしてもおれは不人気だ。
入学して半年近く経っても、友達も少なく(というかゼロ)、クラスではいつも一人だった。
こんなおれに近づいてくる人間もいるが、友好を求める人種ではない。
「おりゃ!アイスブレーイク!」
いつものように、ガラガラ声とともに攻撃を仕掛けてくるのは、同じクラスの荒谷勝治。
どこのクラスにも一人はいる、いわゆる「いじめっ子」だ。
何も部活はしてないくせに体格はいいから、ガリガリなおれに抵抗する術はない。
いつもされるがままに吹っ飛ばされたりしている。
今朝の荒谷は、おれが教室に向かって廊下を歩いていると、前から3人の男友達としゃべりながら歩いてきた。
すれ違いざまに、肩を思い切りぶつけてくる。
おれは廊下の窓ガラスに叩きつけられ、派手な音を立てて転んだ。
その音に、近くわ歩いていた何人かが振り向くが、我関せずとすぐに顔をそむける。
おれはさすがにイラッとして、荒谷を睨んだ。
「おー、こえこえ、その目つき。夏にはちょうどいい涼しさだなオイ」
大げさに肩をすくめながら荒谷は去っていく。
「おい、宮門にあんま絡み過ぎない方がいいんじゃね?あいつナイフとか普通に持ってそうだよ」
「んなわけねぇだろ?持ってたってなんもできねぇよ」
他の男子が荒谷を諌めていたようだが、彼は無論言うことを聞かない。
諌める、というより、その男子は本気でおれの報復を怖がっていたようだ。
おれがそんなことするはずもなかろうに…
そんな誤解を生んでしまうのが、おれ自身の雰囲気。誰からも必要とされず、マイナスの効果のみを周囲に及ぼす。
ため息をついて壁から離れて立ち上がり、歩き出そうした次の瞬間。
「うお…」
おれはギョッとして足を止めた。
「何?今のリアクション。それって驚いたの?」
おれの目の前には、同じクラスの福田絵美が立ちはだかっていた。
うん、立ちはだかるという表現が一番しっくりくる。
まるで、おれの進行方向を妨げるかの如く、おれの目と鼻の先に立っているのだ。
「うーん、驚いているんだろうけど…ほーんと宮門君て、顔変わらないよねぇ…むしろ少し冷めてるような」
福田はおれの顔をじろじろ覗き込む。
彼女はいわゆる「カワイイ系」の女子。
どのクラスでも、なんとなくカースト制のように一人一人に序列がついているが、彼女は間違いなく上位に食い込む存在だ。
よく笑う明るい性格で、休み時間の教室は、どこにいても彼女の笑い声が聞こえた。
自然友達も多く、いつも周りには福田を囲う取り巻きが、男女問わずにいた。
ショートカットがよく似合い、振り向くと柔らかそうに揺れる髪に、男なら誰でも一瞬目を奪われるだろう。
生徒会書記、演劇部部長といった肩書も、彼女の魅力にプラスされている。
「おれに何か用?」
荒谷にちょっかいを出された後だ。彼女もおれをからかいに来たのかと不審に感じた。
友達もいないおれと福田の接点は、当然のように一切なく、言葉を交わしたことも数えるほどだろう。
おれにここまでの興味を示す彼女が、不気味に見えた。
「ね、いきなり提案なんだけどさ、私とお笑いやってみない?」
「…………………………は?」
こんな長い間をとったことがないほど、おれはしばらく絶句した。
「だからさぁ、お笑いだよ。漫才とか見たことない?テレビとかで」
「そりゃあ、あるけど…」
「それをやろうって言ってるの!私と」
「……………は?」
再び聞き返しても、全く彼女の真意が見えない。本気で言っているんだろうか。
「知ってる?お笑いって、ギャップがあればあるほど面白いんだよ。ハイテンションの私と、ローテンションの宮門君が組むと、そのギャップがガッツリ生きて、面白い漫才ができると思うんだよねぇ」
「……………はぁ」
「私、小学校の高学年くらいからお笑いにはまっててね、いつか自分でもやりたいと思ってるんだぁ。演劇部入ったのも、発声練習とかがお笑いに生かせると思ったからで」
「……………はぁ」
「もうすぐ文化祭があるじゃん?体育館で誰でも出場できるテーマフリーの発表会があるから、そこにエントリーしたいの!」
「……………はぁ」
「だから、組もう!」
福田の発する言葉の一つ一つに、おれはいちいち口をあんぐり開けるしかできない。
彼女の言っていること全てが、突拍子もなく訳が分からない。
しかし、無邪気にお笑いについて話す彼女は、冗談を言っているようには見えないのも事実だ。
「………えっと、まずさ、本気?」
「へ?これだけ迫って、ウソに見える?」
「いや、おれにそんなこと言う人がいるとは思えなかったからさ」
「あー。まぁ言ってることは普通じゃないことは分かってるよ。でも、回りくどく言っても仕方ないからねぇ。単刀直入に私の想いをぶつけてみた」
福田は腕を組んで、自慢げにふん!と鼻を鳴らす。
「でも、悪い。おれにお笑いなんて無理だよ。そういうので笑ったことないし、まして人を笑わせるなんて…」
「へ?宮門君が笑う必要ないよ?周りが笑ってくれれば、自然に自分も笑えるもんだよ」
「…は?」
福田は心底不思議そうな顔をするが、不思議なのはおれの方だ。
「まぁ、いきなり決めてなんて言わないよ。でも考えておいて。じゃね!遅れないようにね」
福田はそれだけ言うと踵を返し、短い髪を揺らしながら教室に走っていく。
おれはしばらくその後ろ姿を茫然と眺めていた。
おれが…お笑い…?人から冷たいとばかり言われるおれが、人を笑わすことなんて…
おれは、今起きたことが受け入れられないまま、ふらふらと教室へ向かった。
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