そば

端音まひろ

そば

 慣れない土地での営業は大変だ。それでも、この仕事が辞められないのは、その土地土地でのおいしい食べ物を食べるためである。

 今回の出張は福井である。福井と言ったら、個人的に蕎麦が一番おいしいと思っている。

 さて、今回はいつもの店は定休日だったため、全く知らない蕎麦屋に入ることにした。

 元気の良い「いらっしゃいませ」を言う店主はかなり若い。清潔感あふれる男前で、おそらく三十代前半だろう。

 お昼のラストオーダー直前に駆け込んだためか、客はおれ以外誰もいなかった。

 こんなに若い奴にそばが打てるとは到底思えないが、とりあえず、物は試しと言うことで、おろし蕎麦を注文した。 

 蕎麦が来る間、おれは手持ち無沙汰になったため、割り箸入れの上にある複数のパンフレットのうち、一つを手に取った。

 そのパンフレットは鯖江市のものだった。

 そしてびっくりした。

 鯖江市にパンダがいるだって?

 しかし、写真を見ると、よく見るパンダと様子が違う。なんか茶色い。一見すると狸や狢、アライグマに似ている。

「ああ、レッサーパンダですか。可愛いですよね」

 店主はおろし蕎麦が載ったお盆をおれの前に置いた。

「レッサー……? パンダ?」

 おれは首を捻る。

「上野動物園にいるのは、ジャイアントパンダって言うのです。でも、元々パンダと言ったら、レッサーパンダのことを指していたんですよ」

「詳しいんだね」

 おれはそう言うと、割り箸を割る。

「ぼく、福井でも麻生津近辺……鯖江寄りの福井市出身で、よく彼女とこのレッサーパンダがいる西山公園に遊びに行っていました」

 店主はうつむく。おれは気にせず、蕎麦に出汁をかけ、一口すすった。

 予想と反して、かなり美味い蕎麦だ。あとで、おかわりを注文しよう。

 店主は玄関ののれんを下ろし、片付けると、カウンター席に座っているおれの隣に座った。

「ちょっと昔話、聞いて貰っても良いですかね? お兄さんから見たら、まだ昔までは行かないとは思いますけど……」

 店主は自虐に見える笑みを浮かばせる。おれは面倒くさいなあ……と思いつつ、蕎麦をすすった。

「今から十五年前……ぼくが高三の時の話です」

 店主はそう言うと、頬杖を突いた。

 ★

 こう見えて、ぼく、県模試……福井以外では進研模試って言うんでしたっけ? そのテストで、毎回県の学年で一桁台をとっていたんです。お前なら東大や京大も簡単に行けるって言ってくれていました。

 ぼく自身も東大へ行けたら行くつもりだったんですけど、親父が倒れましてね。末期ガンでした。それでこの店を開いた先々代である祖父が大学なんて道楽だ、お前の親父は使い物にならん、一刻も早く店を継げ、と好き勝手に言ってきたものだから、今思えば、反抗すれば良かったんですけど、進学は断念して、高校卒業を待たずに祖父の元で蕎麦打ちの修行を始めました。

 ぼくには歌が上手い彼女がいました。彼女は歌手になりたい、って会うたびに行っていました。

 その彼女にぼくの親父が倒れた。だから進学を諦め、店を継ぐことになったと話したんです。

 そうしたら、彼女、猛烈に怒りましてね。誰の人生なの、あなた自身の人生でしょ、なんであなたはおじいさんの言いなりなの? と。

「あなたはあなたでそういう人生を選ぶのね。あたしもあたしで自分の夢を追うわ」

「どういうこと?」

「あたし、春に行われるオーディションに応募したの。音源も送った」

 その当時は呆れてかえってしまいました。何を考えているんだ、コイツ、としか思えませんでした。

 そんなぼくの顔を見て、

「そう。あなたってそんな人だったの。見る目がなかったわ」

 それから一切彼女と口をきかなくなりました。

 そして、そのまま高校を卒業。それからずっとコンタクトは一切取れていないです。

 でも、全くの音信不通っていうワケじゃないんですよ。今の朝の連ドラの主題歌を歌っているの、この彼女なんですよ。そう、彼女は夢を叶えたんです。

 ネットの情報によると、あのオーディションでは落ちたみたいですが、それがキッカケで名プロデューサーに認められたとかで。今ではミリオンヒットメーカーですよ。

 彼女を見ていると、ぼくも東大に行っていたら、こんな田舎に燻っていなかったのかな、著名人になれたのかな、とか考えてしまいます。なんてね。

 それで、この話をお兄さんに話したかというと、ぼく、レッサーパンダを見るたびに、彼女を思い出すんですよ。

 昔、鯖江にいたメスのレッサーパンダのミンファという子がいましてね。脱走して、大捕物になったことがあったんですよ。今は神戸へお嫁に行ったみたいなんですけど、あっちでも結構脱走しているみたいです。賢い子ですよ、きっと。飼育員が作った仕掛けをことごとく打ち破っていると聞きますから。

 ミンファを見るたび、彼女を思い出すんです。ミンファのように檻を……福井という檻から抜け出した彼女を。

 祖父も二年前になくなりました。畳もうと思えば、この店も畳めるんですよね。ぼく自身ももう縛られるものはないはずなんです……。でも……。

 テレビで彼女を見るたびに、ああこんなはずじゃなかった、と思うんですよ。

 未練がましい男ですね、ぼく。

 正直、会って謝りたいです。きっともう叶わないですが。

 すっかり蕎麦を食べきってしまった。本当に美味しいおろし蕎麦だった。

 店主も若いのに、色々あったんだなあ、とかあまり深く考えずに話を聞いていた。

 あまりにも美味しかったので、おかわりをしようと思ったときだった。

 ガラガラと引き戸が開いた。

「まだやっています?」

 地味な服装の女性だった。グラサンは派手なものだったから、ファッションに疎いおれにとっても、これは似合わないと思う。

「すみません。夕方まで待って貰えますか?」

 店主は立ち上がると、頭を下げる。

「ああ、やっぱりキミだったんだね。久しぶり」

 女性はグラサンを外した。芸能に疎いおれでも紅白で何度も観た顔がそこにあった。

 店主の目は思い切り見開いていた。

 女性はテーブル席に座ると、

「色々謝りたいことはあるけど、とりあえず用件から言って良いかな?」

 と店主に向かって微笑む。

「な……なんだよ……」

 店主はおれから見ても戸惑っている。

 おれは、

「会計」

 と伝票を店主に渡す。

 女性は不満そうにこちらを見る。

 レジで千円札を出したおれは、

「兄ちゃん。さっきおれに話したことを、もう一回、次は自分に言い聞かせてみな。そして、彼女にも言いなよ。東大に行ける頭があったのなら、きっと答えは見つかるはずだぜ。彼女のそばにいてやんな」

 店主のおつりを渡す手は、少し震えていた。           

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そば 端音まひろ @lapis_lazuli

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