01-05

 オーク特有の藻のようにくすんでいた緑の肌は清められた白さに変わっていた。

 焼き畑のように荒れ果てていた頭は、初夏の花園のように美しく咲き誇る薔薇色のストレートヘアが肩まで伸びていた。


 整った目鼻立ちは宝塚の男役のようなりりしさと可憐さを兼ね備え、長い睫毛の奥にある瞳はファイヤーオパールのように力強い光を宿している。唇はぽってりして血色がよく、これまたぷるんとした芳醇さをたたえていた。


 ぶよぶよだった身体はムダなく引き締まり、かわりにむっちりとした肉感に変わっている。

 身体を覆う、鏡面仕上げの金属鎧はオークの時はひたすら無骨な印象であったが、今はまるで輝く銀色のドレスような優雅さ醸し出している。

 隙間からチラ見えする肢体からは、目眩がするような色香が滲み出ていた。


 ……それだけで十分すぎるほど魅力的だったが、まだ終わりではない。


 特筆すべきは胸。金属の胸当てに覆われているにも関わらず、これでもかというほど主張していた。

 溢れんばかりのボリュームを型取りして作ったような、胸をピッタリと包み込む形で成型されている。

 いわゆる乳袋……いや、乳鎧となっているのだ。


 全方位どこから見ても、トップモデルのような完璧な美しさ。誰もが見惚れ、そして、胸に目を奪われる……!

 それが伝説の騎士『烈震のキリーランド』の正体であった……!


「も……戻った……! 戻った! 戻ったぞぉーっ! やった、やった、やった! ついにやった……やったぞぉおおおーーーっ!!」


 ダルシロワから渡された手鏡で自分の姿を確認したキリーランドは、突き上げた拳と共に快哉を叫ぶ。

 オークの時の低いダミ声とは異なり、軍隊ラッパのような高く引き締まった声だった。


 ジェリーは喜ぶ女騎士の姿を黙って見つめている。

 視線は冷ややかだかったが、実は胸部をチラ見していることは誰も知る由もなかった。


(うわぁ、すんごい喜んでる。元に戻れたのがそんなに嬉しいのかな)


(きっと、長いあいだオークで苦しい思いをされたんでしょう。それにしても、綺麗なお方ですね)


(うん、おっぱいおっきい! 触ってみたいなぁ……ね、ね、ジェリーくん、ちょっと触ってみてよ!)


(ん……あ、ああ、そうだな……って、そんなことできるか!)


 すっかり見とれてしまっていたジェリーは我に返り、慌てて平静を装う。

 表情だけ依然として変わらず、ふてくされた帝王のように不機嫌なままだった。


(うーん、キリーランドちゃんにもびっくりしたけど、ジェリーくんにもオドロキだよ、頭の中はおっぱいにメロメロなのに、顔は全然変わらないなんて、いったいどういう身体のつくりしてんの!?)


 頭の中にいる天使と悪魔は、いくら外見を取り繕っても無意味で、ぜんぶお見通しのようだ。

 ジェリーは(バレてたか)とあきらめ気味に白状する。


(……女の色香は、『初めて』と同じくらい危険なモノだ。英雄色を好むというが、それで失脚した者も多い。俺はそうならないように、いくら女に誘惑されても顔に出さないようにしてるんだ)


 (ふーん、そうなんだ)とプルは興味なさそうに相槌を打つが、逆にルクは惹かれるものを感じたのか、プルの言葉を遮る勢いで割り込んでくる。


(あ、あの……ようは、女性に興味がないように振る舞っていたということですよね? そんな感じですと、ホ……同性愛者だと間違われたりはしませんでしたか?)


(ああ、前の世界では誤解してた奴らもいたな)


(お、襲われたりはしましたか?)


 この話題を引っ張るルクに、プルは(こんなに真剣なルク、初めて見た)

とちょっと引き気味だった。


(ああ、何度かあったな)


 ジェリーはそう答えながら、キリーランドとダルシロワに背を向ける。

 堂々たる足取りで、岩山の階段を降りはじめた。


 ルクはまだ聞き足りない様子だったが、移動を始めたのでやむなく言葉を濁す。


 キリーランドは離れていく後ろ姿に気付き、慌てて追いかけてきた。

 二段抜かしで石段を降り、ジェリーの前に回りこんだあと、立膝で座り込む。


「この上なく高潔で、気高き、全能の王よ……!」


 顔をあげ、まっすぐにジェリーを見つめるキリーランドは、決意に満ちた表情をしていた。


 その容姿はすっかり変わっていたが、身長はオークのときと同じのようだった。

 階段の下段のほうに立膝でいるというのに、上段で立っているジェリーと同じくらいの高さがある。

 さながら、牛若丸にかしずく弁慶のようであった。


「……あなた様の正義を守り、それを打ち砕こうとする者に剣を振るうのを、我にお許しを! あなた様の前にいるこの卑しき者の心を正し、この剣をあなた様のため以外には決して使わないように、お導きを! この下僕が、あなた様の左手の剣となれるよう、一生つき従うことを、どうか、お許しのほどを……!」


 なにか宗教じみた宣誓をしはじめたので、ジェリーは若干たじろいだ。


(……急にどうしたんだコイツ)


(騎士の誓いですよ。ああやってキリーランドさんは、ジェリーさんに忠誠を誓ってるんです)


(すごーい! 美人の下僕、ゲットだぜ!)


(そういうことか……)


 主人の愛撫を待つ犬のように、期待に満ちた瞳を向けるキリーランド。

 しかしジェリーはスパルタ調教師の鞭のような、ピシリとした視線を返した。


「……いつまでそうしている。こんな薄汚い場所にいつまで居るつもりだ。身体は元に戻っても、心は豚のままか? そうでないなら、俺様にふさわしい場所に案内しろ!」


「は……はっ! 日暈にちうんの賜り!」


 キリーランドは打ち据えられたように立ち上がり、重ねた拳で胸を叩く騎士の敬礼をとった。

 その拍子に玉座が目に入り、「あーっ!」と思い出したような声をあげる。


「そうだ、ジェリー様っ! ダルシロワは捨て置くつもりですかっ!? あの悪逆非道、邪智暴虐なる魔術師を!?」


 ダルシロワは玉座の陰に隠れて様子を伺っていた。言いつけられた瞬間、ビクッと肩を震わせる。

 キリーランドは背中に担いだ大剣の柄に手をかけつつ、再びドスドスと階段を上がった。


「いや、ジェリー様の御手を汚すまでもない、我が剣でひと断ちにしてご覧にいれましょう!!」


 威勢よくアピールしながら振り返ったが、ジェリーは一顧だに値しないとばかりに、背を向けたままだった。


「……貴様のその力は、蟻を踏み潰すためにあるのか?」


 少年はそれだけ言うと、再び階段を降りはじめる。

 呆気に取られるキリーランド。


 最初は意味がわからず立ち尽くしていたが、理解が及ぶと、胸の内がふつふつと熱を帯びはじめる。

 ずっと忘れていた感覚。心の中で長い間くすぶっていた火種に、油が注がれた瞬間であった。


 キリーランド・ソン・ドロワ……。

 彼女はパーシアル王国の騎士ではあったが、ヒート族が支配する王国にそれほどの忠誠

心はなかった。

 腕っ節を見込まれてスカウトされ、正義の名のもとに大暴れできると思って騎士の道に入ってはみたものの、国王は争いを嫌う人物だった。

 こちらから戦争を仕掛けることはなく、防戦に駆り出される毎日だった。


 国を守ることは楽しくもあったが、国を攻め落として手柄を得る喜びはなく、物足りないものを感じていた。

 ダルシロワを追っていたのも、国を滅ぼした報復という大義名分もありはしたものの、本当は自分にかけられた魔法を解くことが目的だった。


 そして今……彼女は出会ってしまった。


 100を超える武装したオークを相手に一歩も退かない度胸、出会ったばかりの自分を下僕と見なすほどの横柄さ。

 圧倒的な力を持ち、その片鱗だけでオークの手下たちをあっさりと制圧した。

 敵の親玉は国を滅ぼすほどの力を持つ魔術師であったが、取るに足らぬ存在、蟻同然だと言い放った……!


 なんという、雄大さ……!


 荒々しくて攻撃的、気高く傲慢……そして、底知れぬ強さと寛容さを持った男、ジェリー……!


 なんという、刺激的な男……!


 見つけた……ついに見つけた……!

 我が忠誠を誓うべき人物は、このお方だ……!


 このお方についていけば、強大な敵と相対することができる……!!

 くすぶっていたこの腕を、この剣を、存分に振るうことができる……!!


 我が力は、蟻を踏み潰すためにあるのではなかった……!!

 偉大なる王、ジェリー様に捧げるためにあったのだ……!!


 欠けていた歯車がカチリとはまり、全てが勢い良く回りだしたような興奮に包まれるキリーランド。

 気持ちを抑えきれなくなってしまい、ついには滝のような涙を流しはじめた。


「う……うおおおーっ!」


 雄叫びとともにジェリーの脚に体当たり。小さな身体をさらい、肩に担ぎあげる。


「ジェリー様っ! あなた様こそ……あなた様こそっ! 真の王……! 天衣無縫の強靭さ、狷介孤高の頂きにある心……! この世界を治めるにふさわしい、神が遣わしたお方……!!」


 感激の極地にいる伝説の騎士は、神輿のようにワッショイワッショイと新たなる王を祀っていた。

 一緒に盛り上がって囃し声をあげるルクとプル。物陰のダルシロワですらリズムに乗って身体を揺らしている。


 しかし肝心の少年はというと……寝起きを叩き起こされた猫のようにムスッとしたままだった。

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