8.6.異変、水の中から


 綺麗な音が聞こえている。

 いや、実際には音と言っていいのかは分からない。

 自分が動いてぼんやりと聞こえているだけのくぐもったものだ。

 もっと綺麗に聞こえないものだろうかと思いはしたが、この環境ではそれは難しい話だ。


 青い空に、白い砂。

 周囲もぼんやりと青く、そして視界がぐにゃりと歪んでいる。

 だがその奥には美しい景色が広がっていた。


 数々の色とりどりの魚が、珊瑚を周回して漂っている。

 生命が珊瑚をよりどころにして生活しており、時たま弱肉強食の世界を感じさせた。

 空からは光が屈折しながら、ちらちらと陽光が差し込んでくる。


 そして、ここでは息ができなかった。


「ボッォ!?」


 事態を素早く飲み込んだ人物は、一気に上へと向かって泳ぎ始める。

 随分と深いところにいたようで水から顔を出すのに暫くの時間が掛かってしまった。

 だが何とか息は続き、急いで酸素を肺の中へと送り込む。


「ハァー! エッホゲホエホッ……。ぜぇ、ぜぇ……」


 死ぬかと思った。

 だが何とか息を落ち着かせて、周囲を見渡す。

 どうやらここは海のようで、近くには浜辺がある。

 それを確認した後、急いで地上へと向かっていく。


 水を吸った重い服は、泳ぐのに相当な労力を要したが意外と問題なく地上へと足を付けることができた。

 しかし息は既に上がっている。

 重い物をぶら下げ、水を吸って重くなった服と一緒に泳いできたのだ。

 これで息が上がらないのであれば、人間ではない。


 ぐっしょりと濡れた上着を脱ぎ、乱暴に絞る。

 この美しい服を存外に扱ってしまうのは心苦しかったが、今はそんなことも言っていられない。


 だが幸い、季節は夏であるようだった。

 寒くない時期でよかったと、少しだけ安心した。


「はぁー……。本当に死ぬかと思った……。ていうかここ何処よ……」


 今一度周囲を見渡してみるが、そこには誰もいない。

 見えているのは砂地だけだ。

 遠くの方には山もあるようで、そこには街道が通っているらしい。

 それを目で追って行くと、一つの街がある。


 ここでくたばらずに済みそうだと、彼女は絞った服を肩に担いで歩いていく。

 こうなってしまった理由はまったく分からないが、もしかしたら弟と何か関係があるかもしれない。

 もしあいつも同じように復活したのであれば……。


「……またこの世界の人間殺そうとしてるんじゃないでしょうね……正和……」


 水瀬清は、怒気を含んだ声でそう独り言ちた。

 もしそうだったら今度こそこの手で殺してやろうかと思いつつ、腰に携えている鏡面鏡に目をやる。

 一度抜刀し、鞘の中に溜まった水を出そうとしたが、どうやら中には入っていなかったらしい。

 水を吸って鯉口の締まりが良くなっている。

 であれば今手入れをする必要はないかと思い、納刀した。

 あとでしっかりとするつもりではあるが、今のところはゆっくりと休める場所に向かいたい。


 とりあえずは見えた街へと向かってみることにする。

 夏なのでしばらく歩いていれば服は乾くだろう。

 だが街についたら真水で塩っ気を取りたいところだ……。


「はぁ~……また知らない土地に足を付けることになるとは……」

「姉上もそう思われますか?」

「あったりまえじゃないのこの愚弟が!!」

「んぎゃああああ!?」


 急に現れた弟、西形正和に驚くそぶりを見せることなく、瞬時に片手で顔を掴んでギリギリと締め上げる。

 西形はその腕を振り払おうとするが、想像以上の力と痛みに困惑して力が出せないようだった。

 そのまま膝をついて痛みに耐える。


「でででででで!! ごめんなさいごめんなさい姉上ちょっとマッ……っぐおおおおお!」

「あんたまた人様に迷惑かけてないでしょうね!」

「かけてないです! 誓って! いやほんとに! 僕は木幕さん探して方々を旅してただけですぅ!」

「なら良し」


 そう言ってからようやく手を離す。

 西形は顔を両手で押さえてさすった。

 本当にどうして自分の姉はこう乱暴なのだろうか……。


「で、貴方はどうしてここに?」

「木幕さんたちが最後にいたライルマイン要塞ってところで情報収集して、足取りが掴めたからここに向かって来たんです……。アテーゲ領とかいうらしいですよ」

「んー、となると木幕さんたちはもう居ないかもね……」

「やっぱりそうですか~……。足取りを追うのって結構大変なんですねぇ……」

「そうよ。そうなのよ? 愚弟?」

「あ、ご、ごごめんなさい……」


 そういえば水瀬は自分を追って旅をしていたことを思い出して、素直に謝った。

 自由に逃げる分には好きにできるが、追いかけるとなると難易度は非常に高くなる。

 加えて西形の持つ奇術は移動に長けていた。

 その足取りを追うのは相当な胆力が必要だっただろう。


 睨まれて委縮した西形を無視して、水瀬はアテーゲ領へと歩いていく。

 まずは情報を収集しなければならない。

 彼らを知っている者は恐らくここにもいるだろう。

 その人物に話を聞けば、向かうべき道は見えてくるはずだ。


 しかし、どうにも腑に落ちないことがある。

 首を傾げて西形に声を掛けた。


「正和。どうして私たちはまたこの大地に足を下ろしたか、心当たりはある?」

「……ないことはない、ですが……」

「聞かせて」


 まだ確証はないものだが、自分と姉の共通点はある。

 それは……。


「僕の場合は槍ですが……武器を壊されているからではないかと」

「ふーむ……。となると、武器を託した人は復活できない?」

「その可能性は高いと思います。しかし、あの女神がそのようなことをするかどうかと言われると……疑問ですがね」

「なるほどね……。じゃあ槙田さんもいずれ復活する?」

「恐らく。何処でかはまったく分かりませんが」


 二人は槙田の奇術を知らない。

 使う奇術によって復活場所が指定されることを、西形は既に掴んでいた。

 自分は光。

 であれば空から降ってきたということにもなんとなく納得できる。

 水瀬は水の奇術を使用するので水……今回は海だった。


 槙田も自分の使っていた奇術に関連した場所で復活するはずだ。

 だがそれを知らないので、探すことは難しいだろう。

 なので木幕を探すことにする。

 彼であれば、知っているはずだからだ。


「方向性は決まったわね。じゃ、木幕さんを探すことにしましょうか」

「はっ!」

「ところで正和。お金は持ってる?」

「盗賊から奪ったものが少し……」

「じゃあ路銀も集めないとね」


 やることを軽く確認してから、二人はアテーゲ領へと向かったのだった。

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