第020話 『その日、彼女と話した』

 暗闇に私は降り立つ。この空間には私と、『白い靄』しか存在しない。靄は人の形になろうとしては霧散し、一定の形を保てないでいた。

 ああ、ほんとうに……見ていられないわ。


「はぁい、マスター。元気にしている?」


 私は『白い靄』に話しかけた。不定形な存在。本当なら、そこにあるべきは本来の『彼』の肉体だろう。

 けれど『彼』は、自分のことが好きではなかった。興味すらなかった。今の彼は、自分を見失い、自分が何者なのかもわからない。

 その結果が今の、姿かたちを維持できない、虚ろな靄となってしまったのだろう。

 ……本当に、可哀想な人。


「こんな姿の相手に、元気もなにもないかな?」

「……きみは、だれだい?」

「こんにちは、貴方のシラユキよ。……忘れちゃったかしら?」

「しら、ゆき……?」


 『白い靄』が私の姿を模る。でもまだ鮮明じゃない。輪郭がそう見えるだけね。

 ここで貴方は誰、と問いかけても答えは出ないだろう。むしろ、また集まった靄が霧散するだけだ。

 まだ、急ぐタイミングではない。


「貴方が全身全霊をかけて作り上げた最高にカワイイ娘よ。ほら、触ってみて」


 頭と思しき場所に、手をかざしてみせる。すると、ゆっくりと靄は集まり、私の手を模り、手合わせをしてきた。

 まだ、片手だけだけれど、

 私はその手を、そっと掴む。


「そうよ、マスター。もっと触って。もっと感じて。片手だけじゃ足りないわ。全身で私を認識して」


 手から腕、腕から肩、肩から胸、お腹、腰……『彼』の手を誘導し、『彼』の靄をハッキリとさせていく。

 次第に『彼』の輪郭が『私』となり、最後には顔が出来る。一部がぼやけているが、『私』の姿をした『彼』と目が合った。

 そこで『彼』は慌てたように目をそらしてしまう。


「……っ! そうだ、こんなことを、しているばあいじゃない。あのひとの、めいれいを、きかなきゃ」

「……あら、どうして?」


 思い出したのは私ではなく、命令の事だった。

 この返事は予想はしていたけれど、言葉にされると思いのほかイラッとした。

 あの道具、ムカツクわね。私よりも優先度が高いだなんて。製作者は挽肉にしてやるわ。


「どうしてって、それは……。なぜかわからないけど、そうしなきゃ、いけないきがする」

「そう……なら、私もアイツの奴隷にならなきゃいけないのね」

「え?」

「だってそうでしょう。貴方の体は今、私なんだもの。貴方が命令を受ける奴隷になるのなら、私も奴隷になるしかないじゃない」


 改めて『彼』は自分の体を見て、体が『私』になっていることに気が付いた。


「それは……だめだ」

「どうして、ダメなの?」

「きみは、ほかのだれかのものじゃない」

「そうね。……なら、私は誰の物なのかしら?」

「えっ?」


 あら、わかってて言ったんじゃないのね。今のは無意識だったようね。

 無意識で言ってくれるのも中々ポイントは高いけれど、今はそうじゃないわ。ちゃんと思い出してもらわないと。


「わからない? 私が誰の物か、よーく思い出して。というかさっき、私が貴方に言ったばかりなのよ? 私が誰の物なのかってね」

「えっと……わたしのもの?」

「惜しいわ。私は、私の物じゃないわ」

「……」

「私はシラユキ。貴方は私のマスターよ。ほら、復唱なさい」

「キミはシラユキ……わたしは、キミの、マスター……」


 答えはおそらく、喉まで出かかっているはず。でも、不安で仕方がないのかもしれない。口が、言葉を紡ごうとして、また失敗してを繰り返す。

 もう、まだるっこしいわね!


 私は『彼』に抱きつき、耳元で囁いた。


「マスター。……世界で一番カワイイのは、だあれ?」

「それは……きみだ」

「なら、私を世界で一番愛しているのは、だあれ?」

「それは……わたし? ちがう、そうじゃない。……おれ?」


 不安そうに『彼』が問いかけてくる。


「そう、そうよ! ほら、自信を持って! ……マスターに問うわ。私は、シラユキは、誰の物?」

「シラユキは……オレの、俺の物だ!」

「正解よ、マスター! 私は貴方の物よ」


 そう言うと、『彼』の朧気だった姿が、私と瓜二つになる。まるで鏡合わせのよう。

 暗闇に光が差した。光は一気に広がり、世界から闇が消え去った。


 『彼』……ううん、マスターは私をしっかりと見つめている。もう、目は覚めたみたいね。世話のかかる人なんだから。

 でも、ここで現実のマスターの姿にならないところが、マスターらしいわね。

 私は、よく出来ましたとばかりにマスターの頭をなでる。いい子いい子。


「シラユキ、俺は!」

「はーいストップ。続けて問うわ、貴方は誰の物?」

「え、俺? 俺は……俺の物?」

「ふふっ、自信なさげね。そんなんだから操られたりするのよ」

「うっ、ごめん……」


 ホント、自分に興味ないんだから。どうせきっと、現実での自分の姿も、もう覚えていないんでしょうね。

 しょうがないから、私が代わりに、貴方を覚えていてあげるわ。


「覚えておきなさい、マスター。貴方と私は一心同体。私は貴方の物であり、貴方は……私の物よ」

「……そっか、俺はシラユキの物なんだ」

「そうよマスター。それで? 貴方はこれから、誰かさんの命令を受けるんだったかしら?」

「いやいや、冗談! 勘弁してくれ! 俺に命令できるのは、俺か……シラユキだけだ」

「フフフ、もう心配は無用ね……んっ」

「!?」


 唇がかすかに触れ合う程度の、軽いキスをする。


「こっちでキスしても、何も熱量を感じないわね。早く肉体が欲しいわ」

「……シ、シラユキ。あのさ、今日の冒険の中で、カワイイ子の体に触れたいとか、キスしたいって考えが強かったんだけど……」

「ああ、それ? 安心してマスター。それは私の欲求よ。我慢されると余計にしたくなるから、ほどほどに消化することをオススメするわ」

「なっ……お、俺はそんな子に育てた覚えはないぞ!?」

「あら、子供は親の知らないところで勝手に育っていくのよ? フフッ」


私は驚愕するマスターの後ろに回り、背中を押した。


「それじゃ、私の代わりに、アイツぶっ飛ばしておいてね」

「シラユキ!? ま、まだ話したいことが」

「またすぐに会えるわ。今は、いってらっしゃい」

「……ああ、行ってくる!」


『ほんと、手のかかる親ほどカワイイってところかしら?』




◇◇◇◇◇◇◇◇




「素晴らしい、なんという強さだ! あのシェリーがまるで赤子のようではないか!」


 ゼルバの歓喜の声に、ハッとする。

 そうだ、シラユキの体は俺の物だ。そして俺のすべてはシラユキの物だ。

 こんなモブの命令を聞くだなんてゾッとする。


 ……いや、少しの間、命令を聞いてしまっていたらしい。その結果が目の前に、転がっている。


「ぐっ……」

「お姉ちゃん! もうやめて……!」


 シェリーは、呼吸はしているようだが、うつ伏せになって動かない。血は……出ていない。

 リリちゃんは泣きながら、シェリーをかばうようにして立っている。


 コレを私がやったのね? いや……、俺がやらされたんだな?


「お前の強さはよくわかった。さあ、こっちに来るんだ」


 まだ目が覚めたことを気付かれるわけにはいかない。振り返り、ゼルバの下へ歩いていく。

 そしてそのままゼルバの背後に控えた。


「この状態になると単調な命令しか実行できなくなるのは難点だが、圧倒的な実力者であれば些細な問題であるな。この女さえいれば、アラネスやガボルの荒くれ共など必要などない! フハハハハ!!」


「『浄化』『魔法解除ディスペル』」


 首回りに揺蕩う黒い靄が消え去り、『カチッ』と小さな音が鳴った。

 それに気づかず、ゼルバは笑い続けている。その隙に首輪は気持ち悪いので外しておく。

 リリちゃんが変化に気付くが、静かにするよう人差し指でジェスチャーをする。リリちゃんはその場で動かずにいてくれるようだ。


「ハハハ、この力さえあれば王国も、いや、あの御方さえ、私には勝てないだろう! その上この美しさだ。今から楽しめそうだ」


 振り返りながら、私の胸に手を伸ばしてきた。


「下種が、汚い手で俺のシラユキに触れるな! 『アイスソード』!」

「なっ!?」


 ゼルバの腕を掴み机に叩きつけると同時に、『アイスソード』で手と机を縫い付けた。

 瞬く間に手も机も、腕までもが凍り付き、簡単には外せないようになる。


「ぎあああああ!! わだ、わだじのうでがああああ!!」

「また余計なことをされても敵わん、もう片方も止めておこうか。『アイスソード』」


 もう片方の手も『アイスソード』で縫い付けておく。なぜだとか、首輪はとか喚いているが、うるさいので無視しよう。


「シェリー、ごめん。今回復する。『ハイリカバリー』」


 しゃがみ込み、シェリーを回復させる。シェリーの体を淡い光が包み込んだ。

 『プロテクション』が仕事をしてくれたのかもしれない。外傷はほとんど見当たらなかったが、衝撃までは緩和できない。それでグロッキーになっていたのだろう。

 回復を終えると、リリちゃんと目が合った。


「……お姉ちゃん、なの?」


 ニッコリ微笑むと、リリちゃんが胸に飛び込んできた。

 よしよし。なでりこなでりこ。


「んん……はっ! シラユキ、なのか?」

「うん、そうだよ。ごめんね、痛い思いさせちゃって」

「ハハ、痛みには慣れている。しかしここまで手も足も出ないとは、逆に心が痛んだよ……。しかし、本当に大丈夫か? 見たことのない奴隷の首輪だったが、まだ操られていたりとか……んむぐ!?」


 シェリーへの今までの欲求は、未知の感情ではなく、シラユキの物だと認識すると、安心して受け入れ、実行する事が出来た。シラユキの感情なら、ある意味自分の感情でもあるのだが……自分の感情がこんな欲望まみれだと思いたくないので、シラユキの感情と言われた方が受け入れやすい。

 自分でも難儀な性格だと思う。シラユキにも我慢を強いてしまった。これからはほどほどに発散してあげよう。俺……いや、私もカワイイ子とキスしたりするのは嫌じゃないし。


 うん……? あっ、シェリーとキスしたまま考え事してた!


「ぷはっ、操られてたらこんなことしないでしょ?」

「はーっ、はーっ、はーっ……」

「あら? 理解できなかったならもう一回……」

「ま、待って! もう十分わかった。シラユキは操られてないから!」

「そう? じゃあ続きは今度ね?」

「つ、続き……」


 顔を真っ赤にするシェリーは、置いといて……リリちゃん!


「リリちゃんもごめんね、怖い思いさせちゃったね」

「うん、怖かった! もう、あんなことしないでね?」


 美少女の上目遣い! カワイイ! ヤバイ!

 誰かに媚びる行為は、シラユキらしくないので使わなかったけど、リアルで上目遣いを受けると印象が変わるわね。……アリね! 私も今度使ってみよう。


「ええ、もうしないわ。約束よ」

「うん、約束だよ」


 ギュッとする。リリちゃん、ぬくぬくのポカポカね。

 抱き枕に欲しいわ。


「あの、お姉ちゃん。あの人は、いいの?」


 リリちゃんが、後ろで呪詛を振りまくゼルバを指さした。優しいのねリリちゃん。

 あんなモブは後回しでいいのよ。


「いいのいいの、そんなことより二人の方が大事よ」

「えへへ」


 でも、日が傾き始めている。そろそろカタをつけないと面倒ね。

 改めて、私に装着させられていた首輪を見る。


*********

名前:浄化された%*&$の隷属の首輪

効果:装着した相手の意思を完全に奪い、術者の意のままに操る事が出来る魔道具。解除するには作成者と同等以上の魔力が必要となる。呪いの力に穢されていたが、現在は浄化されており、触れるだけで自動装着されることはない。

補足:現在の主人 シラユキ

*********


 表示バグってるんですけど。何故かしら……もしかして私のレベルが低いせい?

 あの黒くてウネウネしてるキモいのが呪いだったのね。思い出すだけでも鳥肌が立つわ。……あと、怖かった。最初から魔力で払い落とそうとせずに、浄化しておけばよかったんだわ。

 私って、想定外の事に対して、すごく弱かったのね……。


 まぁ難しい事は後にして。今は、リリちゃんを抱きしめてやる気を補充しなきゃ! スリスリ。


「よし。チャージ完了!」


 立ち上がりゼルバへと振り返る。

 無視が効いたのか、それとも両手が痛いのか、叫ぶ元気もなくなりゼルバは肩で息をしていた。

 ざまあない。


「それじゃ、話を聞きたいところだけど、首輪をハメてしまえばこちらのものよね。なにか言い残すことはあるかしら?」

「……もう少し、本当にもう少しの所だったのだ。なぜ、今になって、私の邪魔をする……!」


 まぁ確かに、本来なら明日、領主を奴隷にするつもりだったんだっけ? 頑張ってきたことを直前で邪魔されたらムカつくわよね。


「そうね……たとえ今邪魔されなくても、1年もすればきっと邪魔が入ったんじゃないかしら」


 正史では、1年後になればプレイヤーが現れ、こいつの野望は打ち砕かれた。この世界ではどうなるかわからないが……。


「ただ今回は、貴方の行動がたまたま私の目に留まった。それだけね。……それじゃ、さようなら」

「待っ」


『カチャッ』


 首輪をつけた瞬間、ゼルバの目は虚ろになり、焦点が合わなくなる。

 ああ、私もさっきまでこんな顔だったのね。想像するだけでわかる。カワイくないわ。


「さて、あなたのお名前は?」

「ぜるば」

「あなたの兵隊の人数は?」

「74にん」

「この館にいた人数は?」

「46にん」

「そんなにいたのね……。荷物の場所は?」


 肝心な部分の確認をする。もしもこの街にいなければ大変だ。


「やしきのちか」

「どこから入るの?」

「かいだんうらのそうこ」

「シェリー」

「ああ! リリも急ぐぞ!」

「え、あ、待って、お姉ちゃんは?」

「私はコレを動けるようにしたらすぐ向かうわ。先に行ってて」

「うん!」


 2人が駆けていくのを見届け、まず『アイスソード』の効果を切って様子見をする。

 この剣は、『魔法剣士』専用魔法で、それぞれの属性魔法スキルが40で生み出せる『魔法武器』だ。『魔法剣』とは異なり武器自体が不要な上、魔力がある限り使い捨てに出来る便利な魔法だ。

 その上属性ごとに専用の効果が備わっており、炎なら相手を炎上させ続け、氷なら凍らせ続ける。本来は不可能だが、今の『グランドマスター』なら、『魔法武器』を使って前衛職の技を撃つことも可能だろう。いつか試してみたい。


 アイスソードが消えた先には、凍り付いた腕と机だけが残った。

 魔法の効果が切れ、どんどん溶けていく氷を見やりながら、1つ思いつく。


「……腕を机から剥がしなさい」


『ベリベリッ!!』


「うわっ……」


 ゼルバは中途半端に残った氷結部分を無視し、無理やり机から腕を引き剥がした。当然のように皮膚はやぶけ、腕が血まみれになる。

 正直目を覆いたくなるような惨状だが、ゼルバは顔色を一切変えず、苦悶の声も発しない。

 さっきまではあんなに喚いていたのに……。この首輪、恐ろしいわね。


「『ハイリカバリー』」


 正直、この男の傷を癒すのは『モヤッ』とするが、このままでは死にかねないし、見ていて気持ちのいいものでもない。

 ヤったのは私ですけども。


 腕の傷が完全に治っても、ゼルバは感謝の一言もない。いや、感謝されても殴りかねないけど。


 うーん、まるでゴーレムね。製作者は悪趣味ですこと。

 さて、2人を先に行かせたのは理由がある。あまり遅れても心配されるし、さっさと用事は済ませちゃいましょう。


「さあ……あなたの財産は、どこかしら?」


『女の子がしていい顔じゃないわよ、マスター……』

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