#6
小寿は待った。
彼らの名前は
一週間後、焦燥感に焼け焦げそうになっている小寿に加賀野井から連絡があった。F.Y.D.介入システムの調整がある程度整ったから来るようにと。
場所は都内のとあるマンションの一室、広々とした室内には所狭しと様々な機材やコンピュータが並んでおり、一種の秘密基地の如き様相を呈していた。
「来たね、山入端さん。」
加賀野井はソファに前かがみになって座り、真剣な面持ちで小寿を迎えた。その奥にはディスプレイを前にオフィスチェアに座る紋田がいる。
「本当は部外者であるキミを巻き込むのは遺憾なんだけれど、F.Y.D.介入システムの調整を行っているうちに、キミにどうしても協力を要請する必要が出てきた。」
「私は部外者ではありません、消えた彼、良明の家族と言っても良い関係です。私は何としてでも彼を連れ戻したい。」
その言葉に加賀野井は深く頷くと、分厚いハードカバー本のような機材をテーブルの上に置いた。
「これがF.Y.D.介入システム。まだプロトタイプだが対象の夢世界に侵入することができる機械だ。これを使って彼の世界に行く。」
「夢世界っていうのはね、便宜的に呼んでいるだけで、本当に夢の世界ってことじゃあないわ。でも当人の夢エネルギーを使っているから、必ずしもその人の深層心理に無関係ってわけじゃないけれど。」
「話は戻るけれど、F.Y.D.介入システムは現状、対象となる夢世界の座標を固定できないでいる。そこでキミだ、彼と関係が深く、精神的にも繋がりがあるキミを楔として座標を固定し、夢世界へダイブする。」
「私が、楔……。」
「ああ、難しく考えないで、F.Y.D.介入システムを通じて精神感応を検知させるだけだから。何もせず座っていてくれれば済む。でもそうね、彼のことを強く想ってくれれば成功率が上がるかも知れない。」
「わかりました。頑張ってみます。」
加賀野井がF.Y.D.介入システムを起動する。高音の駆動音が部屋に響く。紋田が機械の上面に付けられたディスプレイを覗き込む。
「安定、した……!」
「これで行けるぞ!」
加賀野井と紋田が興奮している。お互いに手を合わせて喜んでいる。
「山入端さん!これから僕らは夢世界に降りる。最後の確認だ、キミも一緒に来るで良いんだね?」
小寿は力強く頷く。
「はい、お願いします!」
「よし、では行くぞ!」
加賀野井が機械の側面にあるカバーを開けるとスイッチが見える。それを勢いよく押し込む。すると周囲の様子が変わった。部屋の機材や調度品など少しずつ水のような質感に変化していく。三人は不安になって辺りを見回していると、突然それらが水しぶきとなって破裂する。
「きゃあっ!」
「うわっ!」
頭部を守りながら思わず目を瞑る一同。次に目を開けると、そこは巨大な全展望監視状の建築物。しかし監獄施設というよりは観覧施設と言ったほうが良い絢爛さである。ここでは一望監視施設を囚人側が見る、というような趣もある。全てを監視する、或いは全てから監視される中央の施設には管弦楽団とピアニストがおり、音楽を演奏している。
「良明!!」
そのピアニストというのは良明であった。
「これが、良明くんの夢世界……!」
「こんな、こんな感情を抉る音があるかしら……。自分の奥にある悲しみの感情が溢れ出て、それに押し潰されてしまいそうになる。」
「良明、今、行くからね!」
小寿は勇んで飛び出そうとするが、扉を開けると別の部屋に通じていた。明らかに空間の繋がりがおかしい。その部屋には泣きながら床を食べる半裸の男がいた。男はこちらのことなど気にもかけず、ただひたすらに床を剥がしては食べ続ける。まるでそれが自分に唯一与えられた生の意味であるかのように。
「ここにいる人も現実の世界から来た人なのですか!?」
「いえ、違うはずよ、現実世界からの訪問者は良明くんも含めた私たち4人だけ。ここの人たちは夢世界の一部。」
「ここの空間は、凄いな。なんと言うか、心が抉られる。音楽も恐ろしく感情に訴えるものだが、人もまた不気味だ。得体の知れない使命感に囚われているような。」
「良明は一種の虚無主義的な思想に片足を突っ込んでいるような子なので、ここにいる人たちが彼の深層心理の反映ならば、逆に何か一つのことに意味を見出すようになっているのかもしれません。」
「全員が悲しみを背負っているようになっているのは、何故だろう、彼の演奏の影響だろうか。」
「恐らくそうだと思います。彼は傷付きやすく繊細で、人々を信頼していない。しかし彼は自分のあふれる感情を音に乗せるのが非常に巧みで、その音楽は人の心の深い部分まで突き刺すのです。」
「私たちもこの音の影響を受けている、急がないと精神が持ちそうにないわ。」
「ええ、この音は異常です。彼の音楽はいつも必ず優しかった。しかしここには心を凍らせるような悲しみしかない。良明、どうしちゃったの?」
いくつもの扉を通っても次の部屋に繋がるだけで良明に近づくことができない。しかも移動そのものも、横や縦に隣接する部屋に繋がるわけではなく、まるで法則性がないように様々な位置に出る。
そこには虫を手に持ってジッと眺める人。砂で山を造り、その山崩し、また別の場所い山を作る人。鉛筆を使って部屋を隅から黒く塗りつぶし続ける人。口を開けて上階から滴り落ちる水を飲み続ける人などがおり、皆一様に悲しそうに泣いているのである。
泣いている人はピアノの音に反応して、頭を破裂させて死んでいく。死ぬとその頭の中からまた人が生えてきて、死体を食い、血をすすり、床や壁を綺麗に舐めて拭う。そしてやがてまた単調な一つのことに集中し始める。
ここに蔓延っているのは悲しみだけではない、まるで狂気の揺り籠だ。
加賀野井は暫く前から片目から涙が止まらない状態になっていた。この空間に感応して悲しみに引っ張られている。人は溢れる感情を止めるすべがないのだ。壊れた蛇口のように胸の奥から感情が溢れ出し、それに突き動かされるようになる。
「はは、悲しみのせいで人は死ぬことがある。というのを証明してしまいそうになる。これはマズい、マズいよ。この悲しみは、マズい……。うまく言えない、感情が暴れて、言葉にできない。選べない。」
「気をしっかり持つのよ加賀野井!男でしょう!」
「早く演奏を止めないといけませんね。早く良明の元に……。」
「もしかして全ての部屋を巡らなきゃいけない、とかじゃないよね。一体何百部屋あるんだ?」
「何か仕掛けがあるのかしら。」
「私たちが囚人側ではなく監視側に回るしかないということでしょうか。」
「あり得るね、でも囚人と看守の違いとは何だろうか。」
「それは……、見るものと見られるもの?」
「このパノプティコンは妙です。見られる側は無関心に自分のことばかりしているのはいいとして、見る側である良明たちもまた何も見ていない。」
「パノプティコンね、高校生なのによく知っているね……、しかしここは囚人側も見ようと思えば看守側を見れる時点で、破綻している。」
「いえ、彼らの精神状態こそが関節的なブラインドであると言うならば、破綻も矛盾もしていないわ。」
「となるとあと不自然なのは、看守側が見ることを放棄している点でしょうか。」
「彼らに見られることが、こちら側とあちら側を繋げることになる?」
「試してみる価値は、あるわね。」
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