堕神録 ー神の巨人と人ならざるものたちー

裏瀬・赦

第1章 神葬・七光-1

 空に光輪が掛かった。厚い雲層を通してようやく薄っすらと光を通す太陽よりも眩く、灰雲の中から幾条もの光は放たれていて、それは真っ直ぐに地上へと降りてくる。もはや朽ちるのみとなった巨大建造物の残骸だけが文明の痕跡を留める、荒廃した大地へと。

 ギャアギャアと鳥が叫ぶ。おおう、おおうと獣が鳴く。異変を感じ地上の生き物はその場所から少しでも離れようと動いていた。虫も鳥も低空へ留まったまま羽根を広げ、獣は頭を垂れて足を速め、みな光を見なくて済む彼方へと急いでいる。

「今日は、また一段と大きいですね」

 その光景を離れた建物から見ている男がいた。長く背中まで垂れた髪は黒く、頭の後ろで一度高く束ねられている。顎髭は短く切り揃えられそれ以外に顔に余計な毛は無い。しかし、薄い目を強調するようにまつ毛は濃く、眉毛も整っている。髭が無ければ女とも見える面相はこの空の下にあってさえ異様とも言えた。

 光は輪となり、ついに雲から抜けようとしていた。何かの先端が二つ、雲の下に顔を出す。

「光輪は平均より2割ほど大きい。2人か、3人必要かもしれません」

 虚空に向かって話しかける。その実、通信機に声は捉えられていて、しかしその声はすぐに焦りへと変わる。

「え? 1人しか寄越せないってどういう──いや、最低2人での行動は基本でしょう。最強だからといって不測の事態はある。そうでなくとも──」

 彼が何を言っても無駄だった。通信機の向こう側は既に結論を出していて、彼には決定事項が伝えられるだけだった。

 疑念を残したまま通話は打ち切られる。同時に光も雲の中を抜けてその全容を現した。それは、大気中に落ちた途端に落下速度は増して、幾ばくも無く地上に立つ。

 男は諦めたように左目を閉じ、片眼鏡型の汎用端末機マルチプロセッサーを通した景色を遮断する。実の眼が見たものは巨人。雲の遥か上より降りてきた神の子、ネフィリム。

 ネフィリムは巨人の名の通り、約300メートルの背丈をした人の形をしている。目を閉じてうっすらと微笑んだ顔に、人のそれより直線的な腕と脚と身体。裸のようでもあるがじっと見ていると衣服を纏っているような感じもする。しかし纏っているのは神光、人類を拒絶する、太陽にも似た清浄の光。

 それは世界を滅ぼす使命を帯びて天界より地上へと遣わされた破壊の化身。実際に天界などというものがあるのか誰にも分からないが、ネフィリムは現実にいる。ここで、地上を滅ぼそうとしている。

 対して人類側がネフィリムを倒すために取り得る手段は驚くほど少なく、対応できる者も同等にしかいない。人数を集めろと言うだけ無駄なのだ。むしろ、よくこれまで2人以上も出していたとも言える。

 それでも。これまで連合は最低条件は守ってきていた。ここにきてそれが果たされないというのは、見限られたか。見捨てられたか、と男は思う。過疎地域を放棄するのは理にかなっている。

 それとも他にもネフィリムが降りてきたというのか。しかし他からの連絡は無く、裏切られる予兆も無い。では、一体何が。

 もはや地上に人類の安息の場所は無く、ネフィリムの到来での人的被害は皆無である。しかし、その巨体が動くだけで地面は荒れ、文明の痕跡は拭われ、数千年の歴史が無に帰していく。放置しておけばいつまでも活動を続ける上に、そのうち地下を標的に定める。放っておいていいものではない。

 地下と海中は人類が見つけた最後の安全圏である。大地の活動が安定している陸地では人類は地下に移住し、地盤が不安定だったり火山活動が活発だったりする場所では海中に身を潜めた。それでも高みからの侵略者への対抗は続いている。いつか人類が地上を取り戻し、再び地球を我が物とするために。

 そのためにも眼前のネフィリムは倒さなくてはならない。今は余計な思考を巡らせている場合ではない。そう、ネフィリムを倒す、そのための手段がある。その手段が、たった1人だけこちらに向かっている。

 それと同時にデータが送られてきた。ネフィリムを倒す手段についての資料。だが、目を通す前に異音がした。

 ひ──ぃ────ん。遠くから音が飛んでくる。大気を切り裂く音速衝撃波を連れてやってくる。

 それは出発時は超音速だったが今はかなり減速されていた。それでも通常の人類だったら耐えられない。しかし彼女は違った。物資運搬の簡素な飛行用機体に載せられて発射され、角度の微調整を行いながらここまで来た。そんなことを尋常な人類ができるはずがない。

「──あ」

 そして、尋常でない人類の中でも型破りだった。

 飛んでいる勢いのまま飛行用機体から宙に飛び降りてネフィリムに突っ込んだ。ノイズとともに、ネフィリムの背中、肩甲骨あたりで光が吹き上がる。

『nあ、意外と刺さluもn』

「大丈夫……みたいですね」

 神光に妨害されているのか通信機からくぐもった声がする。あれで自爆でもしたらシャレにならない。それでも生きているならいいのか。

『あー……うん、大丈夫。あなたは?』

「シシェーレ・ルシャナです。そちらはイリス・アースウィですね?」

『そうじゃなくて……いやそうだけど。でも大丈夫そうだね。倒すから』

 緊張感の無い声だと思った。でも、それは間違いで。わざとそう聞こえるように気丈な声を作っているのだとすぐに気づいた。

 だが、彼女の声に偽りは無い。ネフィリムが自らの身体を攻撃していた。イリスが身体の上で暴れているからである。

 ネフィリムの背中にネフィリム自身の手が回る。身体をのけぞらせ、背中を叩いて自らに取りついた虫を落とそうとする。

 対してイリスは、いかなる体術かネフィリムの身体を駆け上ってゆく。垂直か、それより大きい傾きか、角度など意に介さず、まるでそこが平坦な地上であるかのように確かな歩みで肩まで到達する。

 その上から鉄槌が下る。空気が金切り声を上げて長大な腕がネフィリム自身の肩を叩く。肩に止まった虫を潰すような動作だが破壊の力はその比ではない。既にイリスはそこから離れているが、光と風の圧に姿勢をよろめかせる。

 通常、自らの攻撃にネフィリムはダメージは受けない。しかし神光が乱れ身体から剥離していくということはイリスが攻撃を加えたのだ。

 通信機からは細かい吐息が聞こえる。息は乱れていない。シシェーレは再び片眼鏡端末を目に掛けて情報を取り込んでいく。

 ネフィリムが動きを止めた。両手を前斜めに広げる。シシェーレは破壊を予期して身構えた。ネフィリムは巨躯により物理的な破壊を行うだけではなく、全身からの大きな発光によって周囲を融解させる。小型の太陽が歩いているようなものだ。ひとたび光れば人どころかその地域すら消えてしまう。

 しかし、消滅は行われなかった。

「……虹?」

 うっすらとオーロラのようなカーテンを作る七色の光が灰色の雲の下で煌めいている。戸惑ったようにネフィリムが頭を動かす、その首に爆発が発生した。

『そう。わたしは虹の醒者だから』

 独り言に答えが返る。その間にもネフィリムの首に爆発が起こり光が落ちてゆく。

「虹の醒者せいじゃ、ね」

 端末を操作して視界に情報を並べる。本来は事前に確認するのだが、今回は緊急だったしいきなり戦闘が始まってしまった。それでもその名前は知っていた。

 虹の醒者。虹色の光を纏い大剣を振り回す18歳の少女。ネフィリムに対する人類の最強兵器、《醒者》の最強格の一人。イリス・アースウィ。

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