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セムたちの父=ジウスドラは毎日人々に神のお告げを吼え歩き、セムやハム、ヤペテもどんどんと共感してくれる仲間を増やしていった。
物質的に恵まれている今の世の中だからセムたちの話に耳も貸そうとしない人びとが多い中、やはり物質の豊さゆえに魂が枯渇して潤いを求めていた人々も少なくなく、かなりの人数がセムの父ジウスドラのもとに集まってきた。
人生を謳歌し尽くして、あとは来世のことを考える老人も多かったし、比較的時間が自由になる家庭の夫人たちもかなりの割合でいたが、なんといってもセムたち兄弟が父の話を説いて回って集めてきた若者が圧倒的数にのぼった。
ほぼ毎日父の話を聞きに来るものはもう延べ2500人ほどにもなっていたが、時々来るものも加えれば3000人は越えている。その人びとがまた自分の周りの人脈を利用して聞いた話を説くのだから、人数はかなり膨れ上がっていった。
この人数ならとセムの父のジウスドラは数ヵ月後に、ようやく船の建設に着手した。
御神示では山の上ということだそうだが、この地方はどこまでも平坦な台地が続き、山というのは丘としか呼べないようなものしかない。そこで、その丘の中でもシュルッパクにいちばん近い比較的高い丘が船の建設現場に選ばれた。
ここに船を人力のみで建設するわけだが、労働力は若手が担う。老人は労働力の代わりに資材を提供するものも多く、船を建設する丘の上の土地もジウスドラの話の信奉者からの提供だった。また、女性たちは主に町に出て、ジウスドラの話を説いて人々の魂を目覚めさせるという役目を負った。
まずは底板である。船だから柱を地面に打ち込む必要はない。敷地に木材を隙間なく並べ底板を敷いて固め、その上に柱を建てていく。柱と壁の間はアスファルトで固める――これも御神示である。
そうして多くの人の労働の力で、まずは一階部分ができた。ジウスドラもまた、若者たちとともに肉体労働に当たっていた。すでに着工から、半年がたっていた。
そんな時、町の方から立派な服装をした男たちの一団が数台のスペースジェットに分乗してやって来て、ジウスドラへの面会を求めた。ジウスドラは彼らを木の匂いのする船の一階の部屋に通した。終始キョロキョロと船を見わたしながら、その一団は中へと入って行った。
難しい顔をしたその五人ほどの一団と木のテーブルをはさんで対座したジウスドラは、ニコニコと満面の笑みを浮かべていた。一団の代表はひとつ咳払いをした後、
「私どもはこの丘のふもとの住民の代表です。私はその意見をまとめて申し上げることになっております市議会のものです」
壁の向こうで聞いていたセムとヤペテは、予想通りの一団だと納得していた。つまりは、地元住民の反対運動家たちなのだ。
「時に、何だか突然大きな建物を、しかも木だけで人力で造っておられるようですが、だいぶ形ができてきましたね」
「はい、お蔭様で。まだ一階の部分ができたばかりですけど」
「一階の部分とおっしゃいましたが、ではもっと高くなるのですか?」
「はい、三階建てになります」
一団は互いに顔を見合わせて、少しざわついた。ジウスドラは笑顔を崩さないまでも、
「市の建築許可はとってありますが、なにか不都合な点でも?」
と言った。一団の代表は、また一つ咳払いをした。
「実はですね、そういう問題ではなく、やはり地元住民の感情というものもありますから、書類上許可を得ていたとしてもですね、ええ、まあ、その何と申しますか」
「はっきり言いますとね」
と、横から口をはさんだのはそれほどあらたまった服装でもない人なので、この人が本当の地元住民なのだろう。
「市の許可を取ったといっても、まず我われ地元住民に対しては、何の挨拶も説明ありませんでしたね。それに朝早くから夜遅くまでトンカントンカンやられては、生活にも支障をきたすんですよ。だいたい今どき、このくらいの建物なら業者の最新建築設備で、あっという間にしかも静かに建ってしまうんじゃないですか? それを木材で、しかも人の力でだなんて、原始時代じゃあるまいし」
父は笑顔のまま、黙ってそれを聞いていた。
「だいいち、この建物は何なんですか? あなた方のお仲間はしきりに町へ行って家々を訪問して、神のお告げがあったとかなんとか盛んに勧誘活動をなさっているようですけど、やはりあなた方は宗教団体で、この建物はその祈祷所か何かですか?」
「これは、船です」
と、ジウスドラはゆっくりと口を開いた。住民代表の一団は一瞬ぽかんとあきれた顔をしていたが、やがて互いに顔を見合わせて笑いだした。
「船? 船ですって? なんかもう少し、ましな言い訳はないんですか?」
「しかし、船なのですから」
と、ジウスドラもまた愛想笑いを浮かべていた。
「船って、船は普通大きな川や海の港に造るものでしょう? それを、こんな丘の上に造るなんて。ここは海からも遠いし、ティグリスの川からも離れていますよ。こんな所で船を造っても、どうやって川や海に運ぶのですか?」
一団の表情から、目の前の老人を狂人であると結論づけたという想念が口でこそそうは言わないが、ありありと分かった。
「それにしても、だいぶ人が集まりましたな」
一人の狂人である老人がよくもまあと、十分な皮肉がその言葉には込められていた。だが、それにもジウスドラは笑んで、頭を下げた。
「はい、お蔭様で。有り難うございます」
それと対象的に、一団の人々の顔はどんどん曇っていった。
「はっきり申し上げましょう。人を集めるのはよろしい。しかし、多くの人が集まればこのふもとの町の住民にとっては、それだけで迷惑なんです。一日中太鼓でも叩かれて拝まれた日には、その騒音だけでもすごい被害ですよ。それに、盛んにシュルッパクの市街地の方で勧誘活動をやっているようですけど、ふもとの町でもやられたら、たまったものではありませんからね」
ジウスドラの目には、きらりと光る涙が見られた。そして次の瞬間、ジウスドラは椅子から降りて床に正座し、そのまま土下座して頭を下げた。
「おっしゃること、すべてごもっともです。しかしながら我われは、どうしても救世の基地として、この船を造らせて頂かなければならないのです。どうか、この通りです。お願い申し上げます」
一団の人々も呆気にとられていたが、驚いたのはものかげで盗み見していたセムたちもであった。さんざん悪態をついた連中に、何もここまでしなくてもと最初は思ったが、それだけに父は真剣であり、またそこに究極の下座の姿を見た。一団の人々は互いにひそひそと長い間相談していたが、その間もずっとジウスドラは土下座したまま頭を下げ続けていた。
やがて代表の市議が、父の前に身をかがめた。
「どうぞ、頭をお上げ下さい。そういうふうにされても、話し合いができなければ何も進みません」
そう言って父に立つように手で示し、もとの椅子に座らせた。
「真剣なお気持ちはよく分かりました。ただ、先ほど我われが申し伝えた事項に対するご回答がなければ、話は進みませんでして」
「分かりました」
ゆっくり父は、口を開いた。穏やかではあったが、威厳に満ちた声だった。
「まず、工事もできるだけ早期に終わらせるようにし、またご迷惑をかけないようになるべく静かに行います。次に、我われは祈祷だとかいって、楽器を使用したりすることは一切ありません。また、人々は集まりましても教えの内容上、他人には迷惑をかけないように指導しておりますし、この近辺での布教活動は禁止と致します。まあ、あくまで我われは勧誘活動をしているわけではなくて、ただこれから世の中がどうなっていくかをお知らせしているまでで、共感を覚えて下さった方にだけお手伝いをお願いしているんですけどね、まあ、それもこの近所ではひかえるということはお約束致します」
ジウスドラはまた、にこやかに微笑んだ。一団はまたひそひそ相談していたが、やがて代表の市議は立ち上がった。
「分かりました。ではそのお気持ちを、帰って住民の方たちに伝えましょう」
一団はぞろぞろと、席を立って外に出ていった。ジウスドラも立ってずっと頭を下げていた。外に出がしらに住民の男がまた建造物を見てキョロキョロして、
「ずいぶん、お金もかかっているんだろうな」
と、つぶやいた。もう一人の男が、
「それだけ、お金ももうかるってことですよ」
と言って笑った。さらにもう一人の男が、したり顔で仲間に言う。
「だいたい過去のどの時代の人でも、どうも自分の時代に世の中は終るとみんな考えたがるようですな。人類はそういう癖があって、それでへんな宗教がどんどんできてしまう」
その会話は全部ジウスドラに聞こえていただろうが、ジウスドラは動じることはなく頭を下げ続けていた。
彼らが去ってから父に詰め寄ったのは、末のヤペテだった。
「お父さん。どうしてあんなやつらにぺこぺこしなきゃいけないの! あんなヤツら、天変地異で滅んでしまえばいいじゃないか」
父は穏やかに笑って言った。
「おまえにはまだ難しいかもしれないけどな、どんな時にも対立の想念、つまり争うという心を持ってはいけないんだよ。どんな人だってみんな等しく神の子だ。神様からご覧になれば、みんな神様の魂を分け与えられたかわいい子供なんだよ。そんな神の子を『滅んでしまえばいい』なんて言うのは、それは裁きとなる。いいかね。神の子が神の子を裁くということは許されていないんだ。それは親である神様に対して、越権行為になる」
若いヤペテにはまだ、よく分かっていないようで首をかしげていた。その姿を見て、
「おまえもすぐに分かるさ」
と、父は声を上げて笑った。
市議や地元住民たちの代表は、それから二度と来ることはなった。船もようやく二階部分が形作られていった。それを見上げて、ある日セムが父に聞いた。
「お父さんは船を造るって言ったけど、これじゃあ長っ細いだけのただの四角いビルじゃないか。ぜんぜん船らしくないんだけど、どうして船の形していないの?」
父は笑っていた。
「船の先端の部分のことを言っているんだろ。あの形は船が進む時に水の抵抗を受けないように、ああいう尖った形になるんだ。でもこの船はどこかに向かって水の上をすべって進む訳じゃないし、ただ浮かんでいればいいだけだから四角い箱でいいんだよ。船の形はしていなくてもいいんだ」
セムはそんな説明を聞いて納得したようだったが、実際はもっと深刻な懸念があって、それを紛らわすためのはっきりいってどうでもいい質問だったのだ。
セムの懸念とは、あの数ヶ月前の地元住民の反対どころではないもっと深刻な事態で、それはサイバーネットを通してであった。
父の造る船とそこに集う人々の集団が世間でもかなり有名になってきており、注目を集めるようになってきたのだ。マスコミにも何度も取り上げられたし、テレビで報道もされた。おおかたの人はただの宗教団体と感じているようだ。
父は「我われは直接の神様からのお告げで動いているのだから、人知で造られた宗教というものとは違う」とかねがね人々に言ってはいるが、世間が宗教とみなすことについてはあえて反論したりはしていなかった。それだけに、やはり宗教なのかと人々は見てしまう。
メディアも「ジウスドラの船」などと勝手に教団名までつけて報じているが、一応は紳士的に取り上げてくれていた。だが、それだけならいいのだが、サイバーネットというバーチャルの世界では、世間の表面とはまた違う動きがあった。人びとが匿名で自由に発言できるだけに、いわれもない中傷がまことしやかに蔓延してきたのだ。
≪船を造らせている頭の狂った老人、ジウスドラがいう神は邪神であって、天地創造神ではあり得ない。天地創造の神が、特定の教団に属する者だけをひいきするだろうか。ジウスドラは「この団体から離れれば、天変地異で滅びる」などと言っているそうだが、そんなことを言わせる神のどこが人類の親神様なのだろうか。天地創造の親神なら、太陽のように全ての人にその恩恵は降り注がれるはずであり、特定の教団のために働いた人間だけを救う神などまさに邪神である。救われたという人間がいる陰で被害を訴える人間たちが絶えず、教団はそれを無視し続ける不誠実さは邪教の証拠である。ジウスドラの言う天変地異など来ない≫
こんな文章が書きこまれ、それを誰でも閲覧できるのだ。セムがそれを見た時、ふつふつと反論が湧き起こってきた。
そもそも父は「この団体から離れれば、天変地異で滅びる」などとは、ひと言も言っていない。因縁の魂で、浄まった魂は救われると言っているだけだ。「天地創造の親神なら、太陽のように全ての人にその恩恵は降り注がれるはず」、これなどむしろ、父のいつもの主張なのである。
この文章は父の真意を、完全に誤解している。だが、ネット上でセム反論したりはしない。かつて父がヤペテに「対立の想念を持つな」と言っていたことが、心に刻まれている。反論したところで、水かけ論になるだけだ。真理は議論から生まれるものではないということも、確かに父は言っていた。
しかし、そのような書きこみは序の口で、日数がたつにつれますます自分たちを中傷する人々の書きこみは増えた。中には父の過去の経歴まであげつらって、しかもそのほとんどが根も葉もないでっち上げだったが、その過去の経歴を「嘘に塗り固められている」と言い、「そうである以上、その主張すべて信じられない」というのもあった。
≪「ジウスドラの船」の信者は勧誘する時ばかりニコニコ、へらへらしているが、一度集団に加盟すると手のひらを返したように冷たくなる。あの作り笑いは、あやつり人形みたいで妙に薄気味悪い! その笑顔の裏には腹黒い本性が隠されていて、 「自分たちは助かりたい!」と妄信して世間に悪の種を蒔いている。 悪魔教といってもいい≫
もう、何をか言わんやである。
父はかねがね町に出て人々に説法するメンバーには、「決して勧誘じゃないぞ」と釘をさしていた。まずはこれから起こることを告げ知らせること、そして我われと協力してくれる人を探すことということで、因縁の魂なら神が自然と吹き寄せる。つまり、因縁の魂を探してこいということであって、とにかく人を集めればいいという訳ではない、枯れ木も山の賑わいでは困ると父は力説している。
マスコミでも、ジウスドラという男はかつて事業に失敗し、借金返済で苦しんでお金に困っているはずなのに、なぜあのような馬鹿でかい「自称・船」を建造できるのかということで、「そのお金は天から降ってきたのか?」「ジウスドラの話に騙された人が寄付したものなのか?」「信者の奉納か援助金があって買ったのか」と、大きなお世話だと言いたくなるようなことまで突っつかれる。
そして「『ジウスドラの船』の信者は、このような現実の事実には触れない傾向にある」とまでいう。「そもそも天変地異を表に出しているのは完全に信者達を対象に危機感を煽るもので、カルトがよくやる手法、つまりマインド・コントロールだ」とも言う。「新宗教のお約束の終末思想」と喝破する人もいる。「神の怒りが原因で『大天災』が起こる。神の怒りにより、大天災に人類は向かっていると信者に語ることで、信者の恐怖心を奥深いものにし、そこに『ジウスドラの船こそ、唯一の救いである』と誇張している」とも言う。
≪・・・世の終末が迫っている、一刻も早く船をと声を大にして叫んだジウスドラは信者に最大限の奉仕と奉納を要求している。金を出せ、金を出せと、文字通り連呼した訳ではありません。信者の信仰心に巧みに入り込んでしまうのです。ジウスドラの船だけに限らず、根拠のない神による天罰だのなんだのと喋っているバカ教団は多いが、一体そんな「神」の何を信じろというのでしょうかね。救う人間を取捨選択する? 差別的なことをしているということに全く気が付いていないカルトは恐ろしいものです≫
そしてとうとう「ジウスドラの船・被害者の会」なるものまで、バーチャルの世界で生じてきた。そこには、今自分たちと一緒に船の建設に汗を流している若者の書きこみさえ見られた。
≪俺はジウスドラの船が怖い。今もジウスドラの船で船の建設をしてますが、このみんなの情報をサイバーネットで読んで一気に冷めたよぉ。天変地異はいつくるの??≫
セムは、父の耳には軽く入れるくらいで、危機感を感じてはいたが正面からその内容を伝えるということはしなかった。また、その必要も感じなかった。今は父の言う通り、船の建設だけに邁進すればいい時期だ。一度、弟のハムとだけは、話題にしたことがある。
「ひどいよな、あいつら」
ハムは憤慨していたが、セムは優しく、
「確かに根も葉もない中傷も多いけど、言われても仕方がないよなと思う所もあるにはあるね。だからわれわれには反省材料にして、考えなければいけない部分もあるよ」
と、諭しておいた。
これだけ人が集まれば、実際おかしな言動をする人もその中には現れる。だが、それが世間の一市民なら「○○という人が変なことをした、言った」で済むが、この集団の一員ということになればその変な言動が個人ではなくこの「ジウスドラの船」全体の言動ととられてしまう。
だが、たしかに世の中が唯物思考で固められて物も豊かになった半面、精神が枯渇した人々は宗教の門を叩く。だから、「ジウスドラの船」に来る人も減ったは減ったが、それでも毎日若干名は新規に集まってくる。
だが、実際にそういった精神の渇いた人々を食いものにする金儲け目的の宗教団体も雨後のたけのこのように乱立しているのも事実で、それだけに世間の「ジウスドラの船」に対する非難、中傷もセムが言った通り仕方のないことだともいえた。
どうしても世間の目は、そういういかがわしい宗教団体と十把一絡げに「ジウスドラの船」をも見てしまうのだ。「どこも結局同じことを言う」、「終末論を振りかざしての脅しによる金儲け」、そんな声がセムたちの耳に届くのも、そういう教団も世間には実際にあるから致し方ない。
だが、敵意を持って反論してくる連中は、まだいいといえる。世間の大部分の人々はまず神を信じない、宗教というだけで胡散臭い顔で見る、つまり目に見える物がすべての彼らにとっては日常生活に追われる方がよほど重大で、御神示などひとかけらのパンの値打ちもないようだ。
≪私は「ジウスドラの船」が憎い! 夫は仕事もろくにしないで、自分の趣味の道楽である船造りなんかに精を出している。そのためにまともな収入がなくなったら、お金がなくってどうやって生活していけっていうのよ! 生まれたばかりの子供の将来は、どうするの? 子供が一人前になる前に、生活が干上がっちゃうのよ! 「ジウスドラの船」が食べさせてくれるとでも言うの? これだから、本当に宗教は恐い。宗教にかぶれるって、恐ろしいこと!≫
生活に追われている人はまだいい。この町には仕事もせずに悪に手を染め、毎日遊び暮らしている若者も多くて、夜の繁華街などは目も当てられない風紀の乱れなのである。
だが、船で働く男の妻から見れば、仕事をしないで遊び歩く連中と船の建設に精出す自分の夫が同じレベルに見えるらしい。ある時、船で働く男から、セムは相談を受けた。セムよりもずっと年配の人だ。その人は、
「実は家内からこんなサイバーメッセージが来ました」
と、自分の腕の装置を操作して、壁に現れたスクリーンにそのメッセージを投影してセムに見せてくれた。
「あなたとの生活には、何の保障もないです。なんでここまでジウスドラの船ばかりですか? 理解できません。遠い未来じゃなくて、近い将来どうやって生活していくのか、動けなくなった時どうしますか? 子どもはまだ小さいんだよ。成人まであなたの責任だからね。ちゃんと自覚を持って生きてください。今までしっかり貯金をしてると思ってた。なのに本当にショックでした。なんで子供と妻のために一生懸命仕事しなきゃ~と思わないのですか? 私だってやりたいことがたくさんあるんだよ。だって、趣味はお金かかるからよ。それ以外、洋服もほしいし、年2回ぐらい旅行にも行きたいし、せっかくこの世に来て、仕事と節約以外なんの楽しみもないです。職場だって、いやな人もいるし、でも生活して行くために我慢してるから。みんなそうだと思うよ。
もうあなたとの喧嘩はしたくないです。何の意味もないです。私との考えは違うし、生まれた環境も違いますから、仕方がないですね。ただ今後のことを頭に入れて行動してください」
最初にセムが感じたのは、この人の妻の考えはかつて自分が父について思っていたことと同じだということだった。そこで、
「あなたはこの船のために、仕事を辞めたのですか?」
と、質問してみた。父はかねがね、「この世で現界的にやるべきこともやらないで船造りばかりに精出しても、神様はお喜びにならない」と説いていたからだ。セムがそれを聞いた時は、自分の父がかつてはどうだったかということは別問題だった。セムとて昔は違う。父は御神示を受けて、たった一人から立ち上がったのだ。今、船で働いている人たちとは次元が違う。
「いいえ。確かに仕事はしていませんけど、この船造りのためではありません。前の職場の都合で、人員整理されたんですよ。だから、今は船造りと同時に必死で仕事を探しているんです。でも、歳が歳だけになかなか仕事が見つからなくて、そのへんをどうも妻は分かってくれない」
男は、ただぼやくように言った。そして目を上げて、セムを見た。
「でも、いくら一所懸命働いてお金をためたって、天変地異が来たら元も子もないじゃないですか」
それも一理ある。セムは、父ならどう言うだろうかと考えた。すると、自然と答えは口をついて出るのだ。
「まずは奥さんに、対立の想念を持たないことですね。今、仕事を探しているといっても、収入がなくて奥さんに食べさせてもらっているというのは事実でしょう? だったら奥さんに下座して、徹底感謝することですよ。そして、自分がまず神様の教えに切り換わってしまう。自分が変われば、奥さんも変わってきます。神中心の想念を確立して、魂を磨いて下さい。幸せというのは自分が幸せなだけではなく、周りも幸せでないといけないのです。
話しながらもセムは、かつての自分なら到底言いそうもないことをすらすら言っている自分に自身で驚いていた。しかも、自分よりもずっと人生の先輩であるような人に対してだ。だから何か大きな力に言わされているという、そんな感じさえ受けていた。
あとで父に報告した時に、父は、
「それが神様の
と、言って笑っていた。
さらには、この地方で最大の信者数を持つ既成宗教団体であるニヒト・ニベル会のサイバーネットでの公式サイトでは自分以外の各教団の教義をあげつらって、それを自分たちの教義に照らして少しでも違うところをピックアップして、いかに邪教であるかなどという論述を展開しているが、「ジウスドラの船」も槍玉に挙げられていた。
自分たちは時間の流れとともに存在するニベルの神を宇宙最高神とし、ほかの神はあり得ないから、ほかの神の御神示を振りかざす「ジウスドラの船」は邪教なのだという。そして、こう締め括っている。
≪「ジウスドラの船」の教義についてその邪教である理由を述べました。どうか皆さんは、このような邪教の教義に振り回されませんよう、くれぐれもご注意下さい≫
それこそ大きなお世話という感じではあるが、やはりサイバーネットの中傷記事の影響は深刻だった。実際に船の建造で働く若者の親が息子を連れ戻しにきたのを、セムは目撃したこともある。
「あんたは騙されてるんだよ。いいかげんに目を覚まして、普通の暮らしに戻ってくれよ」
と、その母親は涙で訴え、力づくで息子を連れ戻そうとしていた。
「いいかい、宗教なんてものは、目的は金儲けなんだ。これまでの宗教というのを見てごらんよ。どこもみんなそうじゃないか。信者を騙して金を巻き上げる、そういうシステムが出来上がっているんだよ。今に、社会的大問題を起こすよ。そうなってからじゃあ遅いんだ。人生が台無しだよ」
その息子も黙ってはいない。
「ジウスドラ
「そんなこと言っていても、今に裏が見えてくるよ。全部、裏があるんだよ」
「だって御神示だよ。天変地異が来るんだよ」
「神様なんて、どこにいるのよ。神様がいるんなら、天変地異が来たってパッと人類を救えばいいじゃない。人間はいつかは死ぬんだから。このまま何事もなく日々が続くに決まっているでしょ。もう、洗脳されてしまっている人は、何を言っても通じないね」
母親にそう言われてもその息子は断乎抵抗してなんとか船に残ったが、親不幸をさせてしまったことには変わりがない。それを考えると、セムとて心が傷む。
かつて、ほんの二、三年前に世間を騒がせた教団があった。そこは本当は宗教の隠れ蓑をかぶったとんでもないテロリスト集団で、実際に町中の公共の交通機関の中で毒ガスをまいて多くの死傷者が出た。その団体に浸りきった息子を救出に来た親たちの姿を、その時はセムも
実際、世の中の人々が宗教と聞くと顔をしかめるようになったのは、全くその事件がきっかけであったともいえる。
また、ある男が直接父の所に怒鳴りこんできたこともあった。
「あんたんとこは人の女房を働かせて、家のことなど何もするなと教えてるのか! 女房があんたんとこに行くようになってからは、ろくにメシも作らなくなったし、だいいちほとんど家にいない。家の中のことは何もしないから、もう家中ひっくり返したような状態なんだ!」
ジウスドラは冷静に、ちょうど町への戸別訪問から喜々として戻ってきたその男の妻を呼び寄せた。そしてまず生活をきちんとするのが基本だからと優しくサトし、それができるまではここに来ないようにと出入りを禁じる言い渡しをした。その妻は夫に引っぱられるようにして泣く泣く帰っていったが、この場合は不思議な現象が起こったケースとなった。
なんと半年後には、その妻は夫とともに船に戻り、夫も熱心な協力者となったのである。妻が生活を正し、その夫への感謝と下座の姿を見せたことで、夫をも導いてしまったのである。
またある時セムが船の建設現場の周りを視察していると、セムよりも若い青年が休憩時間で休んでいた。彼は膝を抱いてぼんやりと遠くを見つめている。そしてセムに気がつくと、慌てて立ち上がった。
「何をそんなに考えていたんだい?」
と、セムの方から話しかけてみた。
「はい、実は」
青年は、言いにくそうだった。
「ジウスドラ
「どうぞ。なんでも遠慮しないで、私はそんな『偉い人』ではないんだから」
「はい。つい、妄想してしまうんです」
「妄想?」
かつて父の御神示の話や天変地異のことなどをこの「妄想」という言葉で考えていたセムだけに、妄想と言われて思わず耳をそばだてた。青年は目を伏せて言った。
「もしかしてこのまま何事もなく、自分はこの今の世界で今の生活の延長として年とっていくんじゃないかって」
青年は目を上げた。
「でも、そんなの、妄想ですよね。このまま何事もないなんて、妄想ですよね」
かつてのセムが使った妄想という言葉とは、同じ妄想でもベクトルが正反対だ。セムは一瞬唖然としたが、すぐに笑顔を見せた。
「最初から、信じられる人はいないでしょう。むしろ世間はそう考えているよね。本当なら天変地異なんか来ないで、君が言ったようになればいちばんいいんだ。でもね、御神示だからね」
「分かっています」
青年もまたぱっと笑った。
「そうですよね。このまま何事もないなんて方が、やはり妄想ですよね。有り難うございました」
青年は微笑んで船造りの仕事に戻っていったが、セムの心の中には一種複雑なものがあった。
また中には、迷いを直接ジウスドラに訴えかけた家庭の主婦の女性もいた。その人もやはりその友人から、危ない、騙されているとさんざん説得を受けたと言うのだ。セムもその場に同席していたが、
「失礼ですがそのお友だちは、少なくとも百人でいい、人を救った経験をお持ちですかな」
と、父はその相談者に慈愛の笑みを絶やさずに優しく尋ねていた。
「いいえ、そんな経験はぜんぜんない人です」
ジウスドラは笑みながら、黙って二度ほどうなずいた。
「まあ、そのお友だちは無知なのだから仕方がないとしても、あなたは私と
その女性ははっとした顔をして、恥ずかしそうにうつむいて退出していった。
そんなある日、ジウスドラが全員に話があるということで船の中の一階の会議室に作業中の人も含めて集めたが、その人数の少なさにセムはあらためて唖然とした。もう、最盛期の半分ほどの数ほどしか残っていなかった。
「皆さん、だいぶ船の建設も進み、本当に皆さんのお蔭と厚く感謝御礼申し上げます」
父は開口いちばん、そう言って深々と頭を下げた。
「皆さんもご承知のように、我われのこの事業は今たいへん切羽詰った厳しい状況に置かれている訳でありまして、しかし私が与えられた聖使命は、今の世の中の人類を全員というのは無理だが、とにかく一人でも多く救いの輪に入れて差し上げることであります。まだまだ、多くの因縁の魂が神のミチに目覚めず眠っておる。それと同時に、この船を建築もしなければならん訳ですから、もう神様の後押しがないと何もできない。しかし、天変地異は確実に起こる、それはもう私が一年も前から予告していることであります。一年前に初めて私の話を聞いてここに来られた方は、明日にでも天変地異が起こるのではないかというつもりで来られたんじゃないかと思いまするが、もう一年もたつのに一向に何も起こらない。だから、天変地異なんて嘘じゃないかと、こう考えて離れていく人もいるようです。しかし、これはもう神様のお示しですから、必ず来る。私は一年も前から天変地異が来るぞ、天変地異が来るぞと叫んでまいりましたけれど、最近になって、今月に入ったくらいからようやくアカデミーも重い腰を上げまして、いよいよ気象が異常だ、地熱が上がり始めたと大騒ぎして動きだしておる。動きだしてはおるんだが、あまり一般の人には知らせないのが彼らの体質でして、だから世間の人々はのんびりしている。一年もたつのに何も起こらない、結局はインチキだったのかなんてね。しかし実際はそうではない。神様は待って下さっている。この船ができるのを待って下さっている、猶予を与えて下さっているんです。それは何かというと船だけじゃあなくて、人類の改心の度合いを見て下さっている。今の人類の状況では天変地異をやめて頂くということはこれはいくらずうずうしくてもお願いはできませんが、言ってまいりましたようにその時期を延ばして頂くとか、少しでも小さくして頂きたい、せめてシュルッパクの人たちが改心する間の時間を頂きたいという祈りに変えなきゃならんというので、そういう責任がまず私にありまするが、このお約束を果たさねばならん。それだけに、相当切迫した状態にある訳であります。今まで私はソフトにお伝えしてきましたけれどもね、この間もニュースを見ておったら、どこかの教団の教祖さんがしょっ引かれましたね。なんと、もうすぐ大地震が来るなんて、ビラを二十万枚もまいちゃったんですよね。その教団にもどこかの神様からお伝えがあってその
手を挙げた人は、ほとんどいなかった。
「あら、案外のんきね。その日付が、昨日だったんですよ。まあ今回はのんきでよかった。それで皆さんは今も生きてここにいる訳ですから」
会場はそこで笑いが起こった。
「私もあんまり具体的に発表致しますと、またその教祖さんのように警察に捕まっちゃうでしょう、これね。今の人はそういうことを信じませんから。が、ヒシヒシと近づいていることだけは、これはどうも私も否定ができない。ずっと言ってきたことですから今さら変える訳にはいきませんが、そういうきわどい現実界に来ておりますることを考えますると、神のお示しというものは着々とご計画通りに進めておられることが分かります。ごく最近になって天変地異の前兆が出だした。言い換えますと、天地かえらくの地球の大変動の前に、いろんな予震現象が起きてきます。それがこれから、顕著になってくるでしょう。もうそれは明日起きるやら、それこそ
また、人々は笑った。父も笑っていた。
「いえ、この愛人と申しまするのは、『愛する人』という意味でして、世間一般の低次元での意味じゃあない。そういった方々、友人、知人、愛人へのお声かけ、できてますか? 無理やりここに引っぱってくるなんてことは、しないで下さいよ。まずは愛と真で、どこまでも下座の想念で、これから起こることをお伝えさせて頂くんです。また皆さんの中でも、これだけの話を聞いてそれでもここから去っていくという人がもしいましたら、それはそれで自由です。神様は、人間に選ぶという自由をお与えになっています。だから、選んだ以上はそれ相応の果が来たとしても誰も怨めないということです。まず皆さんは、次期文明の
ジウスドラは、ここで演台の上に出されていた水を飲んだ。
「それとね、ここから去っていった人を裁く想念はね、それはお持ちにならないように。これは、ほかの教団に対してもそうですよ。ほかの教団の悪口言ったり、去って言った人を裁くような想念を発する暇があったら、自分の
一度話を切って、ジウスドラは大きく息をついた。いつしか真剣な表情になっていた。
「去っていった方々はお気の毒ですが、しかし私は皆さんをおんぶに抱っこで救いのミチに入れて差し上げることは、私にだってできない。自分を救えるのは自分しかいない訳でして、自分の足で歩いて救われのミチに入って頂くしかない。そのための覚醒と自覚を、私は皆さんに説いている。砂漠の真ん中に取り残されて、どちらに行ったらいいのか分からずにさまよっているのが今の人類です。私は、そう言った人類に、方向を指し示す看板にすぎない。その看板が示す通りに自分で歩こうとしないで、ひどい人はその看板に向かって手を合わせて拝んでいる。そんなことしたって、救われるはずがない。私を生き神様のように言う人もおるやに聞いておりまするが、まあ、私のことをどう思おうとその方の勝手ですが、私を崇めている暇があったら、私の示したミチを歩んで頂きたい。つまり、教えを生活の中で実践してほしいということ。頭で理解するのではなく、肚に落としてほしいということです」
また、ジウスドラの話が一旦途切れた。ジウスドラは演台の上で、立ったままうつむいている。何しろ高齢だから、皆が心配しのも無理はない。だがジウスドラは、果たして泣いていたのであった。泣きながら、話を続けた。
「ところが神様から船の建設について、相当実は私はお叱りを受けているということは、どういうことなんだろう。要するに『遅いぞ。間に合わんぞ』ということです。一人でも多くの方をお救いしなければいけないというのに、このざまであまりにものんびりしておるぞ、おまえの指導が悪いぞと私は神様からお叱りを頂いている。それだけ切羽詰まっている。これすべて、このジウスドラの不徳と非力の致すところ……」
そのままジウスドラは演台に伏して、号泣を始めた。会場の中にももらい泣きしている声が響くが、とにかくセムの目からも涙があふれて止まらなかった。隣のヤペテも、同じように泣いていた。そしてそのまま時間が過ぎ、だいぶたってから父は再び顔を上げた。
「皆さん。この船を、この船をどうしてもお造りしないといけない。それが神様からの至上命令でありますから、皆さんもたいへんでしょうが、共に力を合わせて人救いに精進していこうではありませんか。これで終わります。真に有り難うございました」
その目は涙に濡れながらも、ここに集まった人々に対する慈愛と愛情であふれていた。まさしくその輝く顔は、太陽の慈父であるとセムは直勘してその場に泣き崩れてしまった。
ジウスドラは、一度部屋から退出しようとした。だが入り口まで行った時にふと
「皆さん、神様はいらっしゃるんですよ。本当にいらっしゃるんですよ。神様を、信じて下さい。神様を感じたければ、私を見て下さい。私は不幸のどん底まで落ち込んだことのある男だけど、それが今はこんなにも幸せなんです。皆さんも、御守護が頂けますよ」
それだけを言うために、一度退出しかけたジウスドラはわざわざ戻ってきたのだった。もはや会場は感激と歓喜に、人びとの顔の涙も渇くすべがなかった。
船もほぼ完成しかけた頃、世間ではメディアがジウスドラの話の通りに、これまでとは打って変わって異常気象や世界各地の災害について報じるようになった。
だが、人びとにとってはそれは一種の
それだけならまだいいのだが、時間が遅くなると必ず暴力を伴うドラマか裸と性描写が氾濫するアダルト番組ばかりになる。そしてまたニュースになると報じられるのは、異常気象や災害の話題を上回って凶悪犯罪の報道で、シュルッパクだけでも毎日十件以上の怨恨による猟奇的殺人、強盗や窃盗事件、通り魔による無差別大量殺人などの事件が報じられ、被害者も加害者もさまざまな世代の男女にわたっていた。幼い子供の被害もあとを絶たず、人々はもはやそれにさえも麻痺してしまっていた。まさに「暴虐世に満つ」といった感じになってきた。
その日もこのシュルッパクもかなり揺れるほどの地震があった。父はセムとハムに命じて、町の人々の様子を見に行かせた。一時は人々も騒然とした様子が腕につけたサイバーネットでニュースを見ると報じられていたが、二人のスペースジェットが町に着く頃は、何事もなかったような平穏な空気になっていた。
もはや、人びとの感覚はここでも麻痺してしまっている。それ以上に、災害や異常気象よりも自分の生活の方が大事らしく、何が起ころうともすべてが金で解決できると彼らは妄信している。
そしてまた二人は、今までと同じように若者がうろつき遊び回る繁華街を目にした。洪水のごときネオンは酒や飲食街、商店、ダンスホールばかりではない。町の半分を占めて堂々と性を売り物にする店が混在してネオンを競い、しかもそのまた半分以上は商売女ではなく一般の男女が性をむさぼり快楽を求めるためのネオンなのだ。そしてその商売女というのも、実は高校生や女子大生のアルバイトがほとんどだったりする。つまり、実はそれも一般人なのだ。彼らにとって性行為は、スポーツ感覚以外の何ものでもなくなっている。誰彼を選ばない毎晩の複数の相手との性行為は人間としての自然の行為であると誰もが考え、罪悪感など持つものはいない。こういった考えは、男も女も等しく持っている。
また、男女のみならず、男同士のための店も少なくない。そしてそこで、遊んでいるのは若者ばかりではなく、いい年の大人もかなり遊び回っている。「噴火山上で酔夢をむさぼる人びと」という父の言葉がセムの頭をよぎった時、
「やつら、何も知らないで遊んでいるよ」
と、ハムが嘲笑するように言った。
「そんなこと、言うもんじゃない」
セムは、ピシッと言った。
「ああいう人たちにも徹底下座して、感謝の想念でお救いさせて頂かなきゃいけないんじゃないか」
そう言いながらも、かつては自分も今のハムと同じような想念だった。だから、人のことは言えないのだ。
父ジウスドラのもとに集まっているのは多種多様な人々で、年齢層も幅広く、職業もさまざまであった。中でもやはり主力は若者だということで、ジウスドラは若者を組織化してセムに統率するように命じた。
その中で、セムにとってどうも気になる顔があった。ごく最近、加盟して来たものである。そしてやっと、セムは気がついた。あのヤコブ教授を訪ねたその日の夜、繁華街のダンスホールで乱闘したあの相手だ。だがあの時のごろつき風ではなく今ではすばらしく
こうして初めて父から御神示の話を聞いてから一年半、船はようやくその全貌を丘の上にあらわにしていた。一時期は千数百名を越えた人々も神振るいにかけられ、今では二、三百人に定着していた。
数が減ったのは、個人個人に離れていった人のせいばかりではなかった。父ジウスドラがすぐ身近に置いて集団の管理を任せていたラゲスという中年男が、ある日突然「自分にも御神示が下った」と称して多くの人々を引き連れて離反していったのである。
「ジウスドラ大先生は御神示が下った時は確かに、真ス直にそれに従ってこの集団を起こした。しかし、時がたつにつれて御神示だけでなくどんどん人知を入れて人々を指導するようになったから、神様は怒っておられる。だから私に、この船造りを最初はジウスドラに命じたが、今では私に委譲すると神様は言われるのだ。同じ御神示をジウスドラにも下していると神様は言われるが、ジウスドラからの発表は一向にない。前にジウスドラがその演説で、神様から『遅いぞ、間に合わんぞ』とお叱りを受けたとあったが、それをあの大先生はどうも勘違いしておられる。それは、私への船造りの委譲が遅いぞということなのである。そこで神様はとうとう、別に船を造るようにと私にお命じになった」
それがラゲスの言い分で、約四分の一の人々がラゲスについて行ってしまった。ラゲスもまた同じように盛んに人々を集め、また独自に船の建築を始めた。そのような状況でもジウスドラは慌てることなく、落ち着いていた。そして、それについて自分のもとに集う人々には何ら公式の発表はしなかったが、ただセムたちに対してはラゲスへの対立の想念はくれぐれも持たないようにきつく戒めていた。ラゲスが出ていく日もわざわざジウスドラは見送って、
「まあ、あなた方はあなた方で、しっかりやって下さい」
と、微笑んで
「神に向かうものは、相争うべからずだ。財産を持っていったとか、船造りのノウハウを持っていったとかで騒ぐ必要はない。財産がほしいのなら、与えればいい。しかし、わしのシュメール人としての霊統だけは渡せんぞ」
と言って、父は高らかに笑った。それからもラゲスの集団からはジウスドラのもとに残った人々に紙つぶてが飛んできて、
「ジウスドラの船集団がこのままの状態でいくなら、集団に未来はない」
として、盛んに引きぬきを行った。それについてはジウスドラが人々に語ったことは、
「今こそ神様と私とそして皆さんという縦のライン、この聖なるラインを確立し堅持しなくてはならない時であります。これこそが、護るべき価値あるものであります」
と、それだけに言及したにすぎなかった。
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