「潜水艦の家」
ある海の底に大きな鉄の塊が沈んでいた。巨大な楕円形で、中はいくつもの壁で仕切られ、入り組んでいた。
地底の魚達はこの鉄の塊を「新種のクジラの死骸」だと考え、住処にするようになった。
子魚のピンクはクジラの死骸の一角に母魚とたくさんの兄弟達と一緒に住んでいた。好奇心旺盛なピンクにとって、食べることにしか興味のない兄弟達との生活は、窮屈で退屈だった。
「大人になったらここを抜け出して、旅するんだ。そして、生きたクジラをこの目で見てみたい」
ピンクはクジラの死骸の透明な皮膚から外の海を見つめ、その先に続いている未知の領域や生き物に想像を膨らませていた。
ある日、ピンクは友達のシマシマから「珍しい物を見つけた」と聞いた。
クジラの死骸には様々な種類の魚や生き物達がたくさん住んでいる。いずれも小さな魚や隠れて暮らすのが好きな生き物達ばかりで、大きな魚から身を守るためにここへ引っ越してきた。
ピンクの友、シマシマもその一匹だった。彼は白と黒の横縞模様が特徴的な魚で、宝物を探すのが趣味だった。
「昨日、食道の突き当たりを右に曲がった部位で、面白い物を見つけたんだ。ニンゲンが持っていたんだよ」
クジラの死骸には「ニンゲン」という生き物の骨がいくつも転がっていた。クジラの死骸で一番物知りな長老が言うには「クジラの死骸が生きていた頃に食べた」らしい。
ピンクもシマシマも、実際に「ニンゲン」を見たことはない。
長老や一部の大人の魚達は「ニンゲン」を見たことがあるそうで、「とても不思議な生き物だった」と話していた。
個体差はあるが、小さい者はマグロ、大きい者はサメくらいの大きさで、ヒレや尾ビレが異常に長く、頭と身体が直接くっついていないらしい。
何処からともなく現れ、知らぬ間に消える存在だったそうだが、最近は姿を見せることさえなかった。
クジラの死骸が海底に沈んだのは、「ニンゲン」を見なくなって暫く経ってからのことだった。
シマシマが教えてくれた場所は、先週まで「開かずの間」と呼ばれていた場所だった。マグロの大群がクジラの死骸にぶつかった衝撃で壁が開き、入れるようになったらしい。
クジラの死骸には鉄の壁で塞がれているせいで、赤ちゃん魚やタコ、地面を潜れる生き物にしか入れない場所がいくつもあった。そういう場所は「開かずの間」と呼ばれ、立ち入り禁止にされていた。今回のように偶然開いても、何かの拍子に閉まることがあるため、危険地帯にされているのだ。
しかしピンクとシマシマは開いた「開かずの間」を見つけると、よく忍び込んでいた。
「開かずの間」には他の場所で見ることはない、珍しい宝物が見つかることが多かった。長く密閉されていたお陰で、海に流されないまま残っているからだ。
だからピンクは今度も「どんな宝物なんだろう」とワクワクしていた。
シマシマの後をついて向かった「開かずの間」には、一体の「ニンゲン」の骨が倒れていた。体は骨になっているはずなのに、何故か分厚い灰色の皮膚をまとっていた。
「ニンゲンって、ずいぶん頑丈な皮膚を持っているんだなぁ」
「たまに皮膚だけが沈んでるのも見つかるんだぜ。不思議だよな」
宝物はその皮膚の胸元に付いている袋に入っていた。ピンクがすっぽり入る大きさの袋で、ピンクにはどういう役割を果たすために付いているのかサッパリ分からなかった。
袋から出てきたのは、綺麗な長方形の薄い何かだった。海藻と同じくらい薄かったが、美味しそうな匂いではなかった。
「これ、何?」
ピンクが尋ねると、シマシマは得意げに答えた。
「シャシンだよ。前にも見つけただろう? 丸い金属で出来た貝の中に入っていたアレだよ。ニンゲンが生きていた頃の姿が描いてある、こすっても消えない絵のこと」
「ニンゲン」はよくシャシンという絵を持っていた。風景や見たことのない生き物の絵が描いてあることもあったが、大半は生きていた頃の「ニンゲン」が描かれてあった。
一人だったり、二人だったり、人数は様々だったが、ピンクがシマシマに教えてもらって見つけた長方形のシャシンに描かれていたのは七人だった。
噂通り、黒や茶、白の海藻を頭に被った、ヒレも尾ビレも長く、色とりどりの皮をした、頭と体が直接くっついていない大小の「ニンゲン」が二列になって並んでいる様子が、色鮮やかにシャシンに描かれている。
「今まで見たシャシンの中では、一番数が多いんじゃないか?」
「だろう? これはニンゲンも僕達のように大家族だったかもしれないという証拠になる。大発見だよ!」
シマシマは興奮した様子でヒレをバタつかせた。
一方、ピンクはシャシンに描いてある「ニンゲン」の顔が気になっていた。
このシャシンに限らず、クジラの死骸で見つかっているシャシンに描かれた「ニンゲン」は皆、顔をくしゃっとさせたこの妙な表情をしていることが多い。中には白い歯を見せている者もいた。
ピンクの経験上、魚が歯を見せるのは相手を威嚇する時か、何かを食べる時くらいだと思っていた。だから「ニンゲン」はシャシンを見た相手を威嚇するためにこんな表情をしているのだと考えていた。
ピンクは自分の考えをシマシマに打ち明け、彼に意見を求めた。するとシマシマは「これは笑顔というらしい」と答えた。
「笑顔?」
「そう。ニンゲンは楽しいことや嬉しいことがあると笑顔になるんだ。長老や大人達が言うには、珍しい生き物や強い生き物を見ると、特に笑顔になっていたらしい」
「じゃあ、これは威嚇してるわけじゃないってこと?」
「たぶんね」
ピンクはもう一度シャシンの「ニンゲン」を見てみた。そして、何故この「ニンゲン」が笑顔のシャシンを持っていたのか気になった。
シャシンを持っていた「ニンゲン」は、笑顔の「ニンゲン」が好きなのかもしれない。あるいは、シャシンに描かれた「ニンゲン」達の笑顔が好きだったのかも、と思った。
いつでも見られるように分厚い皮膚にある胸元の袋に入れて、肌身離さず持っていたのかもしれない。あの胸元の袋はシャシンを入れるために作った袋だったりして……。
ピンクは答えのない考察に頭を働かせ続けていたが、このシャシンが「開かずの間」に倒れていた「ニンゲン」にとって大切な物であることは分かった気がした。
ふいに、クジラの死骸が海流で揺れた。海が揺れたことでシャシンも翻り、絵の裏が表になった。
絵の裏は真っ白だったが、右下に黒い模様のような線が書かれていた。
「シマシマ、この模様は何だろう?」
「きっとモジだよ。ニンゲンが使っていた意思疎通手段の一種さ。ホンに書かれてあるモジのように整ってはいないけど、似た模様が前にもシャシンの裏に書いてあったのを見た」
クジラの死骸には、ホンと呼ばれる白い海藻のような薄い何かを束ねた正体不明の塊がいくつも見つかっていた。そこにはシャシンが描いてあったり、モジという黒い模様が書いてあったりした。
モジには規則性があるようだが、未だ内容を解読した者はいない。ピンクは「モジが読めるようになれば、ホンの正体が分かるのに。そうなれば、ニンゲンについてもっと知れるのに」とヤキモキしていた。
シャシンはシマシマがこっそり住処に持ち帰り(後日、「開かずの間」から持ってきたことがバレ、長老に怒られた)、ピンクはシャシンの他に見つけた薄くて丸い金をヒレとヒレで挟んで、家へ持って帰ることにした。薄くて丸い金は上から差しこんでくる光を受けると、ピカピカと輝いた。
帰り道、ピンクはシャシンに描かれていた「ニンゲン」達の姿が何故だか頭から離れなかった。
「あのニンゲン達はどういう集団なんだろう? 開かずの間に倒れていたあのニンゲンは、シャシンのニンゲン達に会えたのかなぁ」
そんなことを考えながらクジラの死骸を一人で泳いでいると、だんだん心細くなってきた。
早く家に帰りたい。帰って、母魚と兄弟達の顔が見たい。
ピンクは重い金の塊を途中で離し、急いで家に帰っていった。
ピンクとシマシマが見つけたシャシンの裏にはこう書かれていた。
『大好きな家族。祖父、祖母、父、母、俺、妻、娘。必ず生きて帰って、もう一度会いたい』
(終わり)
兵器を知らぬ生き物達 緋色 刹那 @kodiacbear
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