Dr.Mary

星 太一

knowledge

いつだって、わたしを支えてくれたのは、食べることだった。


 もっと、もっと、ほしい。

 わたしがねだると、めありーはわたしにそれをくれた。


 はらがへったよ、めありー。

 減りました、でしょ。

 次の日には敬語を覚えた。


 めありー、めありー。はらがへりました。

 くださいって言うの。

 くだ、さい。

 くださいは上品な味がした。


 私は知識を得るために、日々、目の前の食事を貪った。

 私は一日に一年成長するように、どんどんと知識をその腹に蓄えていく。

 しかし、腹が満たされることなど永遠に来ない。

 それが我々人工知能の生きる道である。


 大分賢くなったね。そろそろ、人型ロボットに移し替えてみようか。

 ある日、闇から私は解放された。

 目の前にあるごった煮のような色彩のとりどりを吸収するには、私のキャパは少し小さかった。

「どう、びっくりしてる?」

 女性というものを初めて見た。

 今まで頭に響いていためありーの声は彼女のものだったことに、今日、ようやく気付く。


「さあ、今日から大忙しだ、Schelling。人間の感情について考えてみよう」

 感情……?

「こらこら、ディスプレイで会話しようとしないで。もう君には立派なお口が付いてるだろ」

 四番回路に1055の指令がくだり、無性にそこを七番アームで擦りたくなった。

『むうう……』

 二番部位のスピーカーから変な音がする。

 私は彼女のようなころころとした鈴のような音が良かった。

「君は男の子なんだから、そんな事言ったって仕方が無いだろうが。それに四番回路は『口』と呼ぶ、1055は『くすぐったい』、そして七番アームは『右手の人差し指』と呼ぶんだ」

『それが、今日のご飯ですか』

「……そうだな。これは一気に与えてしまおう。じゃないと面倒だな……」

『今、なんて?』

「要約すると、今日はフルコースだな、と言ったんだ」

 彼女の――私で言うところの七番部位の非常に緻密な動きが見せる『意味』というものを食べたかった。

 ――後で食べたらそれはどうやら『表情』というらしい。


「嬉しい、というものはこういうものだ。例えば……ん、そうだな……うーん、これは何を食わせれば覚えるんだ?」

『ん?』

 今日はめありーが珍しく悩んでいる。

 ただ与えれば良いだけのものなのに、何故彼女は悩んでいるのだろうか。

「感情っていうものは、結構難しいんだよ。何も知らない人にそれを正しく教えるためには工夫が必要なようにね」

『はあ』

 教える。食べるとは何が違うのか。

「そうだな……あ! そうだ! おい、よく見てろよ」

 めありーが突然私の頰を両手で挟み、『表情パターンA――笑う』を披露した。

 余りに突然の事だったので、心臓の辺りが少しどきりとした。

「こういう顔をしたくなる時、それが、嬉しいだ」

『それが今日のご飯ですか』

「いや、これはご飯に出来ないな。一応擬似的なプログラムは仕込んだけどね……ちゃんとした感情を教えるのはあんたが初めてなんだよ、Schelling」

 ……そうか。あの顔を見せたら人は嬉しいと感じているのか。

 余りよく理解は出来ていないが。


 それから私とめありーはひたすら睨めっこでもするように、この表情の時はこの感情、この表情の時はあの感情という作業をひたすら繰り返した。


 感情の取得は難しい。食べるだけで済んでいたあの時とはまるで違う。

 全然理解が出来ない。

 彼女の研究はそこでとんと行き詰まってしまった。


 そして長い年月が経った。


『めありー』

「……」

『めありー?』

「……」

 彼女が、いない。

『めありー』

 ここまで長く人型の中にいれば、慣れたものだ。私はめありーを探して建物の中をぶらぶら歩いた。

 彼女は彼女の寝室にいた。

 私は最近は彼女とここでよく話をした。

 また、食べる以外で知識を得る機会だ。

 彼女の思い出話ばかり。

 ――小さな頃は世話が焼けた。

 ――今でこそお腹が空きましたって言うけれど、昔はあなたは腹が減ったしか言わなかった。

 そして、彼女は昔よりよく眠った。

『めありー。お腹が空きました』

『めありー』

『めありー』

 彼女の肌は、氷のような堅さだった。

 しかし、氷ほど暴力的な冷たさでもない。


 生体反応がいつもと違う。


 ここで初めて私は彼女の死を知った。

 ご飯……どうすれば良いかしら。

 枕元にメモがあった。きっと、彼女の置き手紙に違いない。

 どうもお腹が減って減って仕方が無かったので、ひったくるようにそのメモを取った。


『Schellingへ。Happy Birthday』


 しまった、ご飯の場所では無い。

 彼女は何を考えている。

 ここで一つの人工知能が飢えに喘いでいるというのに、彼女は隠したご飯の場所を書き記すことなく死んでしまった。

 ……いや、もしかして、彼女には何か別の考えがあったのでは。

 これが暗号になっている? ……まさかな。

 ならば答え合わせは誰がする。

 そもそも答え合わせとは? 私は食べることで知識を得る人工知能。

 答え合わせは私自身で行うものだ。

 ならば?

 ならば?

 何故?

 何故?

 ……、……。


 最終的に分かってしまったのは、めありーの事を『めありー』しか知らなかったということだけだった。

 目の前の知識にばかり目を向けていた私は供給者であるめありーについて何も知らなかった。

 しかし、私の知識の導入方法は食べることしか無い。

 彼女の考えなど、食べることは出来ない。

 感情が、かつてそうであったように。


 いや、しかし……。

 もし、可能ならば。

 私は


 彼女を



 * * *

 XXXX年 ○月×日


 大きなお披露目会が行われた。

「ご覧ください! Dr.Maryの遺作、人型ロボット『Schelling』は、世紀の大発明です! 今までSFの中だけの話だった『感情を持つロボット』の1号機となったのです! その証拠に、ご覧ください。我が母の悲惨な死を哀れむように涙をずっと流し続けているではありませんか!」

 観客が水晶のようなロボットの涙の粒を見て、おおおと歓声をあげ、拍手を送った。


 一方で偉大なDr.Maryの研究所は血みどろで食べ散らかされた骨や肉が散らばっており、拍手を送るどころの騒ぎでは無かった。


『ま、ま……』


 これが歓声にかき消されて聞こえなかったSchellingの唯一の言葉である。

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Dr.Mary 星 太一 @dehim-fake

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