PROLOGUE

新井住田

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 男が押入れの戸を開けようとしている。しかし、内側から何かで固定されているらしく、なかなか開かない。男が声を上げるとすぐに数人の人間が応援にやってきた。

 そのうちの一人が男に加勢し、取手に手を掛けた。タイミングを合わせ、二人で一気に戸を開けた。

 ベリッという音と共に戸が開け放たれた瞬間、中に入っていた人間が押入れの前にいる人達の足元に倒れこんだ。

 つんざくような悲鳴が部屋中に響いた。


 太陽の位置が一番高くなって間もない頃、大学の構内でひたすらデジカメのシャッターを押している女性の姿があった。周りに人の姿はほとんどなく、たまに補習を終えた学生が通りかかるのみだ。

 写真を撮るのは彼女の趣味で、デジカメを常に首から提げて持ち歩いていた。

 彼女はそのカメラを両手で構えて、道の隅にしゃがんだ。シャッターを切ろうとした瞬間、カメラの液晶画面が真っ暗になった。

「おはよう、サト」

 サトと呼ばれた女性が視線を上げると、そこには同い年くらいの女性の姿があった。レンズの前に彼女の手が掛かってる。

「なんだ、カナメか」

「せっかく友達に会ったっていうのに、なんだってことはないでしょう」

 そう言って、カナメと呼ばれた女性は立ち上がり、ガードレールに腰を掛けた。サトは道の脇に生えていた雑草に向かってシャッターを切った。

「土曜日に学校来るなんて珍しいね。補習?」

「違うよ。暑いからさ、部室でのんびりしようと思って」

「陽が当たらないもんね、あそこ」

「クーラーもあるしね」

 そう言って、カナメは悪戯っぽく笑った。

「サトはまた写真撮ってんの? 好きだねぇ。草なんて撮って何が楽しいの?」

「まあね」

「答えになってないし」

 サトはもう一度シャッターを押して、すっと立ち上がった。

「もう帰るの?」

「うん、まあ」

「なんか用事でもあるの?」

「ううん、特にないけど」

「それじゃあさ、一緒に部室行こうよ」

 学校の門を出てすぐ横にある狭くて長い階段を下り、サトとカナメは部室の前までやってきた。部室の扉にはびっしりと映画の広告が貼ってあり、中の様子が見えないようになっている。

 その扉の鍵をカナメが開けようとしたが、開けるべき南京錠はすでに外されていた。

 二人が中に入ると、ソファの上でゴロンと寝転がっている人物が二人のいる方へ顔を向けた。

「お、マヨ。おはよう」

 カナメがそう声を掛けると、ソファで寝転んでいたマヨと呼ばれた女性は起き上がり、二人に向かって手を振った。

「おー、カナメとサトか。おはよう」

「おはよう。マヨも来てたんだ」

 サトがそう返すとマヨが溜め息をついた。

「いい加減そのあだ名やめてよ。恥ずかしいよ」

「それならいい加減マヨネーズに口つけて飲む癖やめなよ」

 サトの言葉にマヨは悔しそうな顔をし、「だって美味しいんだもん」と呟いた。カナメは二人のやり取りを見てひとしきり笑った後、マヨに聞いた。

「それより、マヨがここにいるなんて珍しいね。どうしたの?」

「涼みに来た。電気代は学校持ちだからクーラー使い放題じゃん」

「考えることはみんな一緒か」

 カナメは部室の真ん中にあるテーブルの傍の床に直に座り、サトはマヨと一緒にソファに座った。マヨはペットボトルの水を一口飲み、テーブルに置いた。

「ところでサトは何? また今日も写真撮ってたの?」

 マヨの質問にサトが頷いて答えると、カナメが話に入ってきた。

「それもいつものように道端の草とかね」

「へぇ。そんなに写真撮るのが好きなのになんで写真部に入らなかったの?」

「別に人に見せるような写真じゃないし」

 サトがそう言うと、マヨはふうん、と味気ない返事をした。

「まぁ、ここには私が入れたようなもんだしね」

 カナメがそう言うとマヨが「そうなの?」と聞いた。

「うん。入学したばっかりの時にお互い知ってる人がいなくてね、たまたま近くの席にいたから声掛けてみたんだよ。そしたらそれ以来一緒にいることが多くなって、そのまま部活にも私と一緒にずるずるとついてきたって感じだよね」

 サトが頷くと、マヨはへぇ、と声を漏らした。

「ずいぶんと仲が良いことで」

 カナメはあはは、と軽く笑った後、話題を変えた。

「そういえば、マヨは彼氏とは仲良くやってるの?」

 その言葉にマヨが答えるよりも先に、サトが聞いてきた。

「あれ? マヨってこの前、彼氏と別れたとか言ってなかったっけ?」

 すると、マヨの表情が急にだらしなく緩んで、にやにやし始めた。

「新しい人。これがもうすっごくカッコいいんだぁ。背高くて優しくてスタイル抜群で……」

「はいはい、仲良くやってるようで良かったよ。自分から聞いといてなんだけどのろけ話はもう十分だわ」

 そう言ってため息をつきながら、カナメは携帯電話を開いた。「なによそれー」とブーイングしてくるマヨを無視して携帯をいじっていると、ふと、カナメが言った。

「ねえ、これってうちの学校じゃない?」

 カナメの様子が変わったことに気付き、他の二人も気になって、カナメの携帯の画面を覗き込んだ。

 画面にはインターネットのニュースサイトが映し出されており、そこには、確かに三人が今いる学校の名前が載っていた。 記事の内容は、この学園の中等部生徒がいじめられたことを苦に、教室で首を吊って自殺したというものだった。

 その記事を見て、カナメが渋い顔でうわぁ、と漏らした。

「やっぱりいじめってどの学校にもあるんだねぇ」

「でもさぁ、別に自殺することなくない? そんな奴ら、思いっきり殴っちゃえばいいんだよ」

 そう言ってマヨが立ち上がり、拳を前に突き出して殴る真似をすると、カナメが呆れた顔で言った。

「あのねぇ、誰もがあんたみたいな奴とは限らないの。それができない人間だっているんだよ」

「そんなもんかなぁ。私には理解できない」

 マヨは再びソファに座り隣を見ると、サトの表情が曇っていることに気づいた。下を向いたサトの目は焦点が合っておらず、床を突き抜けてずっと遠くの方を見ているようだった。

「どうかした?」

 マヨの声ではっと我に返り、それから慌てて笑顔を作った。

「ううん、何でもない」

「本当に? なんかボーっとしてたみたいだけど」 「大丈夫。気にしないで」  サトはマヨにそう言うと、すっと立ち上がって部室を出ようとした。それをカナメが呼び止めた。

「え? もう帰るの?」

「ちょっと用事思い出して……」

「さっき無いって言ってたじゃん」

 カナメがドアの前でサトの腕を掴んで引き止めた。

「どうしたの? どこか具合でも悪いの?」

「ううん、そういうんじゃなくて……」

「じゃあなに? 何か悩みごと? なら相談に乗るよ」

 カナメと、その後ろで心配そうに見ているマヨを見て、サトはその手を振り解いた。

「ごめん。今日は帰らせて……」

 部室を出て行く背中を、二人はただ呆然と見ていた。


 陽がだいぶ傾いてきた頃、サトは自分の部屋で座布団を枕にして仰向けに寝ていた。どこか物思いにふけるように天井の一点をじっと見ている。

 不意に起き上がり、テーブルの上に置いてあったデジカメを手にして、今までに撮った写真を見直した。

 液晶画面の中を次々に写真が映し出されていく。写真は草花や小さな昆虫ばかりで、人が写っている物は無かった。

 涙が頬を伝い、テーブルに落ちた。


 太陽が丁度真上に昇る頃、サトが部室に行くと、カナメがいた。

「おはようサト」

 カナメは手に持っていたサンドイッチを頬張りながら言った。サトは少し戸惑った様子で間を空けて、

「おはよう。もう授業終わったの?」

 そう言って荷物を床に降ろし、そのまま座った。

「うん、だからここでランチタイム。サトは?」

「私も今日の授業は終わり。また写真でも撮ろうかな」

 ふーん、とカナメは相槌を打って、またサンドイッチにかじりついた。

「本当に好きだね。そんなに写真なんか撮ってどうするの?」

 その瞬間、サトの表情が固まったのをカナメは見落とさなかった。そしてすぐに笑った。

「別に。ただ写真を撮ってるのが好きなだけだよ」

「嘘だね」

 間髪入れずに否定した。その鋭い言葉にサトは一瞬、何も言えなくなった。

「もしかして、昨日突然帰った事と何か関係ある?」

 カナメの揺るぎのない真剣な眼差しはサトの一切の動きを封じた。それでもなお、サトはそれに抗おうとする。

「な、何にもないって」

「サト、私は別にサトが隠し事をしてることを怒ったりはしないよ。でもさ、その隠し事のせいで昨日みたいな態度を取られたんじゃ、私たちも嫌なんだよ」

 ソファから立ち上がってそう言うカナメに圧倒されて俯くサトに、カナメは今度は座って、優しく言った。

「お願いだよ。何か悩みがあるなら言ってみて。私たちが何かしたなら教えて」

 その言葉に、サトは俯いたまま答えた。

「別にカナメたちが何かしたから帰ったわけじゃないよ……」

「じゃあ、どうしたの?」

 サトは返事をせずにデジカメの電源を入れて、画面に今まで撮った写真を映し出した。カナメはその行動の意味が理解できず、首を傾げた。

 そして写真をしばらく見つめた後、サトが口を開いた。

「高校の時にね、すごく仲のいい友達がいたんだ。その子も写真を撮るのが好きでね、よくいろんな場所に行って写真を撮ってたんだ。良い写真をたくさん撮って、いつか自分で写真集を作るのが夢だって、ずっと言ってた。でも、彼女写真ばっかり撮っててあんまり友達とか作らなかったから、周りの人たちにいじめられるようになったの。暗い。写真ばっかり撮ってて気持ち悪いって」

 サトはデジカメを持っている手を膝の上に置いた。カナメは相槌も打たず、ただ黙って聞いていた。

「私も彼女がいじめられてるのは知ってたけど、何もしてあげられなかった。助けたら、自分もいじめられるんじゃないかって。そしたらある日、彼女が行方不明になっちゃって、心配して彼女の親とか近所の人とかと一緒に捜しまわったの。でも、携帯に掛けてみても全然通じなくて、思い当たるところは全部回ったみたんだけど、それでも見つからなくて……。そしたらさ、少し後にその子の家の押入れが一つ開かなくなってることに気付いて、彼女のお父さんとお兄さんが一緒にその押入れを開けたの。そしたら……」

 そこまで言って、サトは顔を覆った。カナメがサトの傍へ寄り、そっと肩を抱いた。

「そしたら……彼女が押し入れの中から倒れ込んできたの。練炭自殺だった。押し入れの内側には隙間できないようにガムテープで目張りしてあった。」

 サトはこみ上げてくる涙を抑えようとして、言葉を詰まらせながら話していた。しかし間もなく、とうとう嗚咽を漏らし始めた。

「私が怖がってたから、私が何もしなかったからあの子は死んだんだ……」


 話が終わってしばらくしても、サトの嗚咽は部室を満たしていた。

 その横でカナメはサトの背中をさすっていた。外から聞こえてくる蝉の声と、時々通りかかる学生の声に耳を傾けながら、サトが泣いている間ずっとそうしていた。

「ごめん……」

 だいぶ落ち着いたサトが隣にいるカナメに言った。

「別に。それより、一つだけ聞いていいかな」

「何?」

「サトが写真を撮ってるのは、もしかしてその友達の代わりに写真家になろうと思ってるから?」

 その質問にサトは首を振った。

「私が写真を撮ってる理由はそういうんじゃないよ」

「じゃあ、何なの?」

 サトはカメラを手に取って、それを見つめながら言った。

「写真を撮るとね、なんだか撮ったものから命を貰えるような気がするんだ」

 その言葉にカナメは首を傾げながら聞く。

「どういうこと?」

「その自殺した友達はさ、写真家になるとか、そういうの抜きで純粋に写真を撮るのが好きだったんだ。だから、私が彼女の代わりに色んな写真を撮れば彼女も喜んでくれると思う。そうすれば、何もできなかった私を、彼女は許してくれるんじゃないかって。そう思う」

 カナメはふうんと、まだあまり分かってないような曖昧な返事をした。そして、しばらく何か考えた後に携帯を開いて、画面を見ながら言った。

「サト、今度の土曜日空いてる?」

「え? うん、空いてるけど……」

「よし、じゃあ一緒に出かけよう」

「え? いいけど……どこ行くの?」

「さあね」

 曖昧な返事に怪訝そうな表情をするサトを尻目にカナメは携帯に耳を当て、誰かと話し始めた。そして電話の向こうにいる相手に、さっきサトにしたように問いかけた。すると電話から元気の良い声が聞こえてきた。

 サトは電話を終えたカナメに「マヨ?」と問いかけると、カナメは笑顔で頷いた。


 約束の日は雲ひとつない真っ青な空が広がり、その空の中心で太陽が眩しく輝いていた。

 照りつける日光は駅のホームのコンクリートを熱くし、そこに立つ人々は上下両方から来る熱にすっかりやられている。

 サトはそんな駅のホームを渡り、改札を抜けて先に来ていたカナメとマヨの所へと向かった。首にはいつものカメラがぶら下がっており、レンズが時折太陽の光を反射していた。

「おはよう」

 サトがそう言うと、二人も明るく返事をした。

「カメラ、ちゃんと持ってきたね」

「うん、持ってきたよ。でも何に使うの?」

 その言葉にカナメは少し呆れた表情を見せた。

「まだわかんないの? これから写真を撮りに行くんだよ」

 それを聞いてサトはえっ、と驚いた顔をした。マヨがサトに微笑みながら言う。

「カナメから話は聞いたよ。写真撮ってサトが元気になるならさ、そのデジカメいっぱいになるくらい撮ろうよ。そのためなら私たち、何でも手伝うよ」

 サトはまだ状況を飲み込めておらず、ぽかんとした顔をしている。そして、少し間を空けた後、口を開いた。

「……そんなことのためにわざわざ集まってくれたの?」

「そう。まぁ私も暇だし、気にしないで」

 本当は私はデートの予定だったんだけどね、とこぼしたマヨの頭をこつんと小突くと、カナメはサトの手を取って、そのまま、半ば無理矢理引っ張っていった。

 町にはこれといって目立つものは何もなく、小さな建物とほどほどに広い道がずっと続いていた。歩いてみると広めの公園があり、そこで三人は撮影に励んだ。

 サトは、最初は二人の勢いに負けて戸惑いながらシャッターを切っていたが、徐々に明るい表情になっていった。公園を出て再び道路へ出ると、次は街中で適当に歩き回りながら写真を撮った。マヨとカナメとわいわいと騒ぎながら写真を撮るサトの姿は、もう、いつも無表情で学校の構内で写真を撮っているサトとは別人だった。

 撮影は夕方まで続いた。

 日が高かったころはあんなに熱かった駅のホームも、サトたちが帰るころには、もうだいぶ熱を放出した後だった。

 サトの家の最寄りの駅に着いて電車から降り、マヨとカナメに手を振って別れを告げた。

 首にはメモリーいっぱいの写真が詰まったデジカメを提げていた。


 部室のソファで横になりながら、サトはこの前撮った写真を眺めていた。デジカメのボタンを操作して写真を次々と流していくと公園のベンチや道路標識ばかりが映し出され、特別変わった写真は出てこなかった。

 部室の扉が開かれる音を聞いて、サトは体を起こした。扉の前には授業を終えたカナメが立っていた。

「お、サト。この前はどうだった?」

「楽しかったよ。ありがとう」

 そうかそうかと笑いながらカナメは荷物を置き、いつものように床に座った。

「写真いっぱい撮れたね。どう、元気出た?」

「うん、なんかすごいパワーをもらった感じがするよ」

 そう言うサトの目を、カナメはじっと見据えた。そして少し間を空けて言った。

「ねぇ、それって写真を撮ったから元気になれたの?」

 そう聞かれて、サトはすぐに答えられなかった。そして、自分の手の中にあるデジカメの液晶を見た。画面の中には、マヨとカナメが楽しそうに笑っている写真があった。

 カナメの方を見ると、彼女は自分に向かって微笑んでいた。

 そしてサトは、デジカメのメニュー画面を出し、『全削除』と書かれたところにカーソルを持っていって、ボタンを押した。画面に小さく並んでいたサムネイルが、全て消えた。

 その時、再び部室の扉が開く音がした。今度立っていたのは、ぼろぼろと涙を流して泣いているマヨだった。

「どうしたの?」

 カナメが聞くと、マヨは嗚咽を漏らしながら答えた。

「彼氏に……マヨネーズ吸ってるとこ見られた……」

 それを聞いて、サトとカナメはお互いの顔を見合わせた。そして二人で笑い、サトはマヨに目線を戻して、

「ばーか」

 と言った。

 首には、写真の無いデジカメが提げられていた。





終わり

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PROLOGUE 新井住田 @araisumita

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