フラれた理由

新井住田

フラれた理由

 女心と秋の空とはよく言ったものだ。10月も終わりに近づき、ここ最近は一日中まともに晴れた日というのが全くない。午前中は晴れていても午後は必ず空に雲がかかり、ひどい時には雨が降り始める。

 だからといって、最近は周囲の人々が次々に風邪をひき始めるとか、一人暮らしの狭い部屋にそろそろ炬燵を出そうか考えているとか、そんなことを話すつもりはない。

 今、私が話すべきこと、いや、私が話したいことは、昨日、彼女に別れを告げられたことだ。

 この世の中、多くの男女がくっついたり離れたりしてる中で別にお前の別れ話なんか聞きたくないというものもいるだろう。しかし、こう言えばどうだ。私たちは付き合い始めて三日で別れた。

 それでも、そんな話は珍しくもなんともないと言う人はとりあえず置いておくことにしよう。とにかく、これは私にとって信じがたいことなのだ。

 何故、そうまで私がその別れを受け止められないのかというと、私が彼女に不満がなかったのはもちろん、彼女も私には何の不満もないと言っているのだ。

 彼女の友人や彼女を知っている人に聞いてみても、やっぱりわからない。

 こんなにわからないわからないと言っていても、これを読んでる人は飽きてきてしまうと思うので、とりあえず私と彼女の馴れ初めについて話したいと思う。

 私はこの春、某三流大学にめでたく入学を果たし、憧れのキャンパスライフを手に入れた。

 私にとって大学生活のイメージというのは、バイトをやって遊ぶお金を貯めながら、それで授業はサボって好き勝手に自由なところに行って、勉強は気がついたときにでもやりながらのんびりして、そしてそのぐうたらが祟って学期末にレポートとテストの嵐にひいひい言いながら過ごすものだと思っていた。

 しかし、実際大学へ行ってみると、入学式で部員の少ない妙な文化部の勧誘を受けてしまい、半ば強引に入部させられてしまい、行かなければいいのになんだかんだでその文化部の活動に振り回されて、それでもレポートとテストにはやっぱりひいひい言っていて、バイトや遊びなど、それらしいことは全くやらずに半年を過ぎてしまった。

 彼女と出会ったのはそんな時だ。

 私がいつものように散歩がてらいつも立ち寄る公園に行ってみると、そこに本を読んでいる一人の女性がいた。それが彼女だった。

 いつもは全く人気のない公園なので私はいつもその公園で何も考えずにボーっとしているのが日課なのだが、そこで見慣れない、その上太陽の光さえも跳ね返すような美貌を持った女性がいるものだから、思わず足を一歩引いてしまった。

 これは落ち着いてベンチに座ることもできないなと思い、踵を返してそのまま去ろうとした。

 すると、ちょうど彼女が立ち上がり、公園から出ていこうとした。その時、彼女がハンカチを落としていった。それに気づいた私はすぐさま園内に入り、そのハンカチを拾い、すでに公園の外に出ていた彼女に声をかけた。

「あの、すみません」

 すると彼女は前方に向けていた顔を私の方へやった。

 見た瞬間、私の目が硬直した。正面から見た彼女の姿は、もう、まばゆい光を全身からキラキラと放っていた。たとえ彼女の隣にクレオパトラがいたとしても、彼女の前では便座の裏の黒い汚れぐらいの存在になってしまうだろう。

 そのようにボーっと見とれている私の手の中にあるハンカチを見て、彼女は公園内に舞い戻ってきた。そして、私は彼女にハンカチを渡すと、

「ありがとうございます」

 と、申し訳なさそうに言った。

 これが私と彼女の出会いである。

 それから私が公園に行くたびに彼女がいた。彼女はいつも同じベンチに座り、本を読んでいた。

 彼女は本を読むのが早いらしく、会うたびに読んでいる本が変っていた。松本清張、乙一、宮部みゆき等、そういう系統の話が好きらしく、私も同じ類のものが好きだったので話は弾んだ。

 彼女は人見知りがひどく、自分から知らない人に話しかけることができないらしい。だから、私が自分と友達になってくれたことがとても嬉しいと言っていた。

 その言葉に、私は赤い帽子をかぶった髭の配管工のおっさんよりも、はるか高く跳びあがった。

 とある日、彼女が頻繁にくしゃみをしている日があった。

 一分間に二、三回という、私の親父が屁をこくのと同じペースでくしゅんくしゅん言っていたので、私は温かい缶のコーンポタージュスープを買ってきてやり、私の上着をかけてやった。すると彼女は

「優しい人ですね」

 と、おば様に大人気の某韓国人俳優なぞ糞くらえだと思えるほどの笑顔で言った。

 その美貌とは正反対のあどけない少女のような笑顔に私は失神し、意識が戻った時にはもう既に「好きです」と言ってしまった後だった。

 いきなりの告白にぽかんとしている彼女の顔を見て、私はしまったと思い、次に続く言葉を探した。そして、言った台詞が

「私と付き合ってください」

 だった。

 たちまち顔を赤くしていく私に彼女はこれはまた最高の笑顔で「はい」と頷いてくれた。

 こうしてまたその笑顔に失神している私は、三日後にあっさりとフラれるのであった。

 そうして私は今、私の一番の友人である高幡に全てを説明し、相談に乗ってもらっている。今まで女などできたことのないこの男に相談したところで真実が分かるとは考え難かったが、他にこんな相談ができる友人がいない私にはこいつしか頼れるやつがいなかった。

 高幡はうんうんと干し芋をかじりながら真剣に考えてくれた。本当に良いやつだ。

「そいつは妙な話だな。彼女に理由を聞いたのか?」

「聞いたさ。しかし、貴方に不満があるわけじゃないとしか言ってくれない」

 高幡が口にくわえていた干し芋をぶちっとちぎり、くちゃくちゃと咀嚼しながら目玉を上に向け、考えた。

「……不満があるわけじゃないけど恋人としては考えられなかった、ってことか?」

「それなら連絡ぐらいくれたったいいじゃないか。あれから全く音沙汰なしだ」

「バカ野郎、別れたんだから連絡を取りたがったりするな。向こうだってきっぱり縁を切りたがっているのかもしれないだろう」

「しかし、はっきりした理由がわからない。それがわからない限り私はすっきりしない」

「公園にはいないのか?」

「あれ以来来ていない」

 私はふぅ、とため息をついた。

「まぁ、少し落ち着いて考えてみようじゃないか。ほら、お前も食え。うまいぞ」

 そう言って高幡は私の方に干し芋の乗った皿を渡し、私はそこから一枚頂くことにした。

「うむ、うまいな」

「だろう? 実家からたくさん送られてきたから持って帰れ。一人じゃ食いきれない」

 二人でもしゃもしゃと干し芋を頬張りながら天井を仰ぎ、考えた。

「フラれるようなことをした覚えはないのか?」

 高幡は二つ目の干し芋を手にしながら訊いてきた。私はこの三日間のことを思い返してみた。

「いや、全くないな」

「彼女と出かけたりしなかったのか?」

「それぐらいはしたさ」

「どこに行ったんだ?」

「世界的人気を誇るネズミがいる遊園地だ」

「中国か?」

「馬鹿、東京の方だ」

「そこで何かあったとか?」

「行って普通に遊んで黄色い熊と写真を撮ったくらいだ」

「あぁ、お前あの熊好きだもんな」

「いや、写真を撮ろうって言ったのは彼女の方だ」

「彼女も好きなのか」

「そうらしい。彼女とはとことん趣味が合うらしい」

「それじゃあ喧嘩とかはなかったんだな?」

「全くない。とても好調だった」

「他に何があった?」

「そうだな、次の日私が風邪をひいて、彼女が看病してくれたことかな」

「おぉ、羨ましい限りじゃないか」

 高幡は少し私を睨みつけるようにして言った。しかし、私はその妬みには屈せず、堂々と胸を張って答えてやった。

「お前も早くそういう彼女を作りなさい」

「フラれたくせに」

 高幡のカウンターパンチは、私の鳩尾に見事にクリーンヒットした。

「それにしても彼女に看病させるとは、何というかお前もご立派になったなぁ」

「違う、彼女の方から来てくれたんだ」

 その言葉に高幡は首を傾げた。

「呼んだわけじゃないのか?」

「私がそんな軟弱な男に見えるか?」

 すると高幡は顎の下に手を持っていき、深く考え始めた。そして、重々しげに顔を上げた。

「ちょっと思ったんだけどよ」

「どうした?」

「彼女、ストーカーじゃないか?」

 高幡があまりに突飛なこと言うので、私は思わず「はぁ!?」と声を上げてしまった。

「何を言っているんだお前は」

「考えてもみろ。彼女はどうやってお前が風邪で寝込んでいると知ったんだ?」

「別に知っていたわけじゃないだろう。たまたま遊びに来たら私が風邪をひいていただけのことだ」

「しかし、お前の家にあるものでどうやって看病したんだ? お前はいつも俺と外食ばかりで冷蔵庫には何も入っていないじゃないか」

 そう言われて私も少し考えてみた。

「……そういえば、彼女は家に来た時買い物袋を持っていたな」

「そうだろう。出来過ぎてるとは思わないか?」

「しかし、元々彼女は食事を作りに来るつもりだったんじゃないか?」

「それなら、お前の部屋には何がある?」

「なんだよ、いきなり」

「確か、さっき言ってた黄色い熊のぬいぐるみがあったよな? あと、お前の好きな本もある」

「確かにあるが、それも偶然趣味が一緒なだけだろう!」

「それじゃあ言わせてもらう。お前はいつ彼女に部屋の場所を教えた!?」

 私は唖然とした。

 確かに、彼女が部屋に来たのはあの時が最初で最後だ。前の日は遊園地に行き、次の日にはもう私はフラれている。もちろん、口頭で教えた覚えもない。彼女は、知るはずのないことを知っていたのだ。

 ということは、彼女が私と別れた理由は、彼女がストーカーをしていたという罪悪感からなのだろうか。

 しかし、私は彼女を問い詰めることができなかった。

 もし、私が彼女を警察に突き出すつもりがあるならばそうしてもいいと思ったが、そうでないならそっとしておくのが彼女の、そして自分の為であると考えたからだ。

 そうして、私は彼女を追いかけることをやめた。

 それから一週間が経った日のこと。

 私が大学の構内にある食堂で、一杯250円のたぬきうどんをすすっていた時のことである。

 隣の席から何やら聞き覚えのある単語が聞こえてきた。彼女の名前だ。私は少し気になり、耳の穴をかっぽじって聞き耳を立てた。

 すると、どうやら隣の席に座っているのは彼女と同じゼミの者たちだということがわかった。私がさらに聞き耳を立てていると、その中の一人がとんでもないことを言い出した。

「なんかねぇ、あの子今、大崎ゼミの高幡って人と付き合ってるらしいよ」

 驚きのあまり、すすっていたうどんを鼻から出してしまいそうになった。そして私はその女子の集団の中に入っていき、先ほどの信じられないことを言っていた女子に訊ねた。

「おい、その話は本当か?」

 私に顔を近づけられたその女子は、ビクッと体を跳ねさせて椅子ごと後退した。

「な、何よあんた!」

「そんなことはどうでもいい。さっきの話は本当なのかと聞いている」

「何であんたにそんなこと言わなきゃいけないのよ!」

 おそらく、こいつは何と言っても答えてはくれないだろう。

 そう思った私はすぐに話を切り上げ、食堂を出て、高幡を探した。今日、このあと高幡は講義はないはずだ。だとしたらもうすでに家に帰っている可能性がある。真偽を確かめるべく、私は高幡に電話した。

 しかし、電話に出たのは高幡ではなかった。

「……もしもし、お久しぶりです」

「……私は、私の一番の友人の携帯に電話したつもりでいたのですが、もしかして貴方への想いが強すぎて間違えてかけてしまいましたかな?」

 電話口で、くすりと笑う声が聞こえた。その声は紛れもなく、ついこの間まで私の恋人だった人物のものだった。

「相変わらず面白い人ですね」

「そう言っていただけるとは光栄です」

「……でも、残念ですね。私が今使っているこの電話は間違いなく高幡さんの物です。ごめんなさい」

「何故謝るんですか?」

「それを、今から説明しに行きます。今どこにいますか?」

「学校の食堂前です」

「それじゃあ、いつもの公園まで来てくれませんか? 人がいるところでは話したくないですし……」

「……話し合いをするにはもってこいの場所ですね」

「それでは……」

 電話の切れた後、私は一発顔を叩き、気合いを入れ直した。

 公園に着くと、そこには彼女と高幡の姿があった。

 私は背筋を反らして大きく構え、臨戦態勢を取った。

 公園内は相変わらず人気がなく、秋の冷たい風が私たち三人の間をすり抜けていった。

 しばらく沈黙が続いたが、私はそんなものには負けずに体勢を維持した。

 しかし、二人が取った行動は私の意志に反していた。揃って私に向って頭を下げたのだ。

「ごめんなさい」

 電話でも言った台詞を、彼女はもう一度言った。高幡も「すまない」と言った。

「全て話します。私は、貴方を……利用してました」

 頭を上げて、彼女はそう言った。

「どういうことですか?」

「私……最初から高幡さんのことが好きだったんです。でも、私、自分から声、かけることができなくて……。それで、親友である貴方を利用して高幡さんに近づこうとしたんです」

 私は彼女の言葉を腕組しながら聞いていた。そして、先を話すように促した。

「まず、貴方に近づくために、貴方の気を引けるように頑張りました。貴方の家を調べて、カーテンが開いていたから部屋の中を見て趣味を把握して、そして、貴方がいつもどこに行くのかを把握して、そして、この公園で仲良くなれるように仕向けたんです」

「ハンカチ落としたのはわざとですか」

「……はい。とりあえず話すきっかけが欲しくて……。そうすれば、あとは私が持っている本とかに反応してくれるだろうと思って」

「なるほど、私は見事にその作戦にはまったわけだ」

 そう言うと、彼女は申し訳なさそうに顔を俯けた。

「貴方と付き合えたら、三日で別れようと決めていました。わけもわからずそんなことされたら、貴方は高幡さんにそのことを話すと思ったんです」

「私が告白しなかったらどうするつもりだったんですか?」

「あ、あの、本当は私から告白するつもりだったんですけど……」

 それを聞いて、私は異常に恥ずかしくなった。彼女も意図しなかったほど、私は彼女の術にはまってしまっていたらしい。

「しかし、そんな面倒なことをしなくても、最初から同じ方法で高幡に近づけばよかったのでは?」

「で、でも、高幡さん女の人に慣れてないって聞いてたから、同じことをしても振り向いてくれないんじゃないかと思ったんです……」

 確かに、高幡の場合、彼女がハンカチを落としたとしても、「恐れ多い」とか言って触れもしなかったろうな、と納得した。

「それで、貴方と三日で別れたと聞いたら、友達思いの高幡さんなら私に直接理由を聞きに来るんじゃないかって……」

「それで本当の理由を聞いた高幡は、相手が自分に好意を持っていると知った瞬間、彼女のことを好きになってしまったわけだ。これだから女に免疫のないやつは」

 そう言って私が溜め息をついてみせると、高幡は頭をポリポリと掻いて、顔を赤らめた。

「まぁ、そういうことだ」

「なにが『そういうことだ』だ」

 私は高幡の頭を一発軽く殴ってやった。

「しかし、貴方は私に不満などないと言っていたではありませんか?」

「あの、はい、不満はありませんでした。でも、別に貴方には興味がなかったので……」

 可愛く、申し訳なさそうな顔で随分とキツイことを言ってくれる。さすがの私でも涙が出そうになった。

「あの、本当にごめんなさい!」

 そう言って再び彼女は頭を下げた。

「もういい」

 私はそう、彼女に言った。

「私を利用したことはあまり褒められたことではありませんが、とりあえず、二人に祝福をあげましょう」

 そうして、私は万歳をして、その場を立ち去った。後ろなど、振り返ってなるものかと思い切り走った。

 部屋に帰ってきた私は一目散にベッドに倒れ込んだ。そして、枕に顔を埋めたまま「うおおおおぉぉぉぉぉっ!!」と叫んだ。

 そしてベッドから立ち上がり、引出しを開けて、黄色い熊と一緒に撮った、彼女とのツーショット写真を取り出した。

 それを鋏で切り取り、黄色い熊と私のツーショットになるようにした。

 切り取った彼女の写真は、高幡から貰った干し芋で包み、そのままゴミ箱へシュートしてやった。

 そんなことをして少しすっきりしている自分に、私は溜め息をついた。

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