夢~another story~
新井住田
1
赤い光が見える。救急車かパトカーが来たのだろうか。だけど、サイレンの音は聞こえない。ということはもう耳が聞こえなくなっているのだろう。多分、体中の骨も折れているだろう。ぶつかったときに骨が砕ける音が聞こえた。
向こうが悪いんだ。なんでこっちを向いて走ってた大型トラックが俺の車と同じ車線を走ってるんだよ。
俺は死ぬのか? なんで?
俺には盗みも人殺しも、それどころか信号無視すらした覚えがない。何も悪いことなどしていない。なのになんで死ななくちゃならない?
救急隊員が俺に向かって呼び掛けてくる。もちろん、その声はもう聞こえない。
あぁ。目の前が真っ赤だ。意識が薄れていく。
俺は全身から大量の血を流したまま、死んだ。
暗闇の中、声が聞こえた。しかしその口調は救急隊員のものではなかった。
“ここは生きているうちになんの罪も犯したことのない者だけが来れる世界だ”
俺は驚き、周りを見回した。しかし闇が広がるばかりで声の主はおろか、自分の姿さえ見えない。
“お前は選ぶことを許された。お前は生きるか? それともこのまま死ぬか?”
わけがわからなかった。選ぶ? 生きる? 死ぬ?
少し間を開けたあと、俺は聞いた。
「生き返らせてくれるのか?」
“生き返らせてやる。その代わり条件がある”
どこまでも無感動な声だ。かえってそれが俺を恐怖させた。
“一年間の猶予をやる。その間に人間を五人殺せ”
唖然とした。こいつは何を言ってるんだ?
“五人殺せばお前はこの先寿命まで生きられる。このまま死ねば天国へ行ける”
悩んだ。俺は生きたい。やり残したことは沢山ある。しかし生きるためには五人、人を殺さなければならない。
“一つ言っておくが天国に行けるのは今回限りだ。人を殺した人間は天国へは行けないからな”
俺には恋人や病気で入院している母親がいる。俺がここで死んだらその人達は一体どうなる。恋人はともかく、入院している母親は治療が続けられなくなって死んでしまうだろう。
―――決めた。
「俺は――生きる」
声の主が少し笑った気がした。
“わかった。それでは生き返らせてやろう”
現実の俺の意識が覚醒していくのがわかる。そのとき、声は言った。
“それから五人のうち必ず一人は大切な人を殺せ”
その言葉を聞いて、俺は恋人や母の顔が浮かんだ。何だって? 大切な人を必ず殺せ?
意識が完全に戻る瞬間、また声は言った。
運命を変えてはならない―――
目が覚めると、そこは救急車の中だった。いきなり起き上がった俺を見て、同乗していた救急隊員が目を丸くしていた。
全身血まみれだったが、体は痛くないし、自由に動かせる。一応、病院で検査を受けたが、まったくの無傷だった。その後すぐに病院を出て、警察署で事故の加害者であるトラックの運転手と警察を通して話をした。しかし俺は、車の修理費だけ払ってくれればいいと言って、すぐに帰ってきてしまった。
信じられない。本当に生きている。心のどこかですべてただの夢じゃないかと思っていた。しかし現実に俺は事故にあって、救急車で運ばれて、そして生きていた。
ということはあの声も本当に存在しているのだ。
あのルールも実際に存在しているのだ。
でもどうしても踏み切れない。人を殺す。それを覚悟したはずなのに。
俺はそんな想いと葛藤を続けているうちに、事故当時に降っていた雪はすでに溶け、桜はすでに散り、青々とした葉も見ることもなく、いつの間にか九ヶ月もの月日が経っていた。
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