第20話

 


「そうよ! あなたにレイプされて自殺したバカな女の娘よ」


 純香は憎しみを込めて言い放った。


「俺だと? 俺は何もしてないぞ」


「嘘をつかないでっ! 私は見たのよ。夏休みだった。私は二階で宿題をしていた。下では掃除機の音がしていた。ところが突然、その音が一定になった。掃除機を動かさず、そのまま放置しているような音がずっとしていた。変だと思って、階段から一階を覗いてみた。すると、足首までショーツを下ろした仰向けの母の足元に、ジーパンと白いスニーカーの男の足が見えた。

 その時、『シバタ、行くぞ』ともう一人の男の声がした。あなた達が立ち去ってすぐ、私は台所にある買い物カゴから財布を鷲掴わしづかみすると、急いで後を追った。あなた達は何やら口喧嘩しながら、逃げるように早足で歩いていた。私は〈白いスニーカー〉を目標に後を追った。そして、白いスニーカーの男は東岩瀬で降りると、〈柴田〉と表札のある、この家に入ったのよ。あなたの家を確かめると、急いで家に戻った。

 すると、そこで見たのは、身動みじろぎもせず畳に座っている母の後ろ姿だった。そのことがあってから両親はうまくいかなくなって、数ヶ月後、母は家を出ていった。それから半年足らずで母は自殺したわ。岩瀬浜のあの海に身を投げたのよ。そして、母が妊娠していたことを後で知ったわ。

 あの頃、父は単身赴任で家に居なかった。父の子で無いのは明らかだわ。あなた達にレイプされ、どっちの子か分からない子を宿したのよ。そんな子を産めるわけないでしょ? たった一人で悩んで、そして、自らの命を絶ったのよ。――あなた達は人殺しよ!」


 これまで抑えていた感情が噴き出した。


「……純香。俺はレイプなんかしてないぞ」


 柴田は冷静に答えた。


「嘘つかないで! 母の足元に立っていたのは、白いスニーカーのあなただったわ」


「あの時、君の家の中を覗いたのは確かだ。だが、俺はすぐにその場を離れた。俺が海辺から戻ってきた時には手遅れだった。そこで見たのは、仰向けの君のお母さんから離れる寸前の松崎だった。俺はどうしていいか分からず、咄嗟とっさにお母さんのとこに走った。天井を見詰めて呆然としているお母さんに、『……すいません』と小さな声で謝った。その時だ、『柴田、行くぞ』と松崎が声をかけたんだ」


「嘘よ! あなたはその松崎という男に責任転嫁するつもり?」


「嘘じゃない。俺は何もしてない」


「そんなこと信じられないわ」


 その時、玄関の戸が開いた。


「奥さん、ご主人が言うのは本当ですちゃ」


 そう言って顔を出したのは、例の禿頭の刑事だった。


「すいません。話が聞こえたでですさかい。奥さん。実はね、あんたの挙動に不審を抱いたがでちょっこし調べさせてもろうた。ご実家のお隣さんに話を訊いたところ、その重い口を開いた。お隣さんは、その一部始終を見とった。

 だが、そのことを誰にも言わなんだ。のぞきは軽犯罪やし、助けることもできたのに、そーせなんだことで、長年罪の意識にさいなまれとったらしいや。お隣の板垣さんは、はっきりこう言うた。「シバタ、行くぞ」て言うた男がレイプしたと。つまり、ご主人ちゃ無実や」


 純香は黙って俯いていた。


「奥さん、ご主人を信じてやられ。それじゃ、これで。あ」


 刑事は玄関マットに置いていた真紅しんく薔薇ばらの花束を抱えると、


「ご結婚、おめでとう」


 と、純香に手渡した。


「……ありがとうございます」


 花束を抱いた純香は哀しげな目を向けた。


「花嫁さんがそんな悲しい顔して。柴田さん、お嫁さんを幸せにしてやらんにゃだちかんちゃ」


「……はい」


「それじゃ、お幸せに」


「わざわざ、ありがとうございました」


 柴田が見送ると刑事は戸を閉めた。純香は花束を抱えたままで俯いていた。


「……俺を許せないか?」


「……」


「君のお母さんを助けられなかったのを後悔してる」


「……あなたのせいじゃないわ。あなたを責めることなんてできない。……私の勘違いだったのね」


 純香はそう言って、柴田を見た。


「純香。……例え復讐が目的で俺に近づいたとしても構わない。こうやって君に出会えたことに感謝してる」


「……あなた」


 純香は柴田の胸に顔を埋めた。柴田の洗いざらしのシャツの匂いと、抱いていた薔薇の香りに包まれて、うっとりしていると、玄関の戸が開いた。


「お母さん、お腹空いた!」


 美音の元気な声がした。純香は柴田と目を合わせて笑った。


 私の勘違いだったのか……。柴田の命に関わるような復讐を決行しなくて良かった、と純香は胸を撫で下ろした。

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