第3話

 


 ノックすると、少し間を置いてドアが開いた。二十二、三歳だろうか、気の強そうな女が目を据えていた。


「先程電話しました森――」


「ああ。どうぞ」


 純香の言葉が終わらないうちに口を挟んだ。先刻の電話の女に違いない。


 中に入ると、デスクに向かっている数名の男女が純香に視線を向けた。女はノックもしないで、〈社長室〉とあるドアを開けた。


 デスクの前に座った柴田の顔が真っ正面にあった。


「応募の方です」


 女はそう言うとドアを閉めた。柴田は身動ぎせずに純香を見詰めていた。私に母の面影でも見たの? 柴田さん。純香はそう心で呟きながら、目を逸らした。


「どうぞ、お座りください」


 柴田はそう言って、黒革のソファーに目をやった。


「……失礼ですが、富山の方ですか?」


 いきなりだった。どうして? 富山に私に似た女でも居たの?


「出身は富山ですが、大学からは東京です。出版社で校正をしていました」


 応募するのに、まさか休暇中とは言えまい。


「ほう。東京ですか」


 テーブルを挟んだ柴田が、興味深げな目を向けた。


「履歴書です」


 ショルダーバッグから出すと、柴田に手渡した。


「拝見します」


 柴田は封筒を手に取ると、履歴書を出した。


「……大広田ですか」


 真っ先に本籍地を確認した柴田は、その目を素早く上げた。


「はい」


 純香は本籍地を偽っていた。本籍地である“岩瀬浜”と苗字である“森”では、感づかれるかもしれない。母が死んだ後に、姓名を知り得た可能性もある。ましてや、事件があった“岩瀬浜”となれば、疑われかねない。


「……ほう。R出版ですか、スゴいですね。……翻訳もできるんですか」


 柴田が期待を込めた目を向けた。


「童話ぐらいですけど」


 純香が謙遜した。


「ぜひ、お願いしたいですね。うちは自費出版や共同企画の童話や絵本の依頼もあるので、海外でも読んでもらいたい。……現在地がホテルになっていますが」


「仕事が決まってからアパートを借りようと思って」


「そうですか。じゃ、近くを当たってみましょう」


「え? 近く?」


 純香は会社の近くだと思った。


「ええ、東岩瀬ですよ。森さんが泊まっているホテルの近くを」


「はあ。お世話かけます」


「いや。と言うのも、私の自宅の近くなんですよ、このホテル」


 純香はハッとした。柴田を探るために近くのホテルにしたことがバレないかと、ハラハラした。


「えっ、そうなんですか?」


 純香はとぼけた。


「近所の不動産屋に聞いてみますよ」


「……お世話になります」


「あなたのように実績のある方にぜひ、お願いしたいし」


「ありがとうございます」


「在宅で構いませんから」


「えっ?」


「あなたほどのキャリアがあれば安心だ。それに、うちはバイト感覚の若いもんばかりだから、何かと気を使うでしょうし」


「……ありがとうございます」


「……つかぬことを伺いますが、どうして富山に戻ったんですか」


「……都会暮らしに疲れたと言うか、故郷ふるさとが恋しくなって」


 目的は復讐だが、純香のその言葉は偽りではなかった。


「……そうですか。とにかく期待してますので、よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 頭を下げた。


「先ずはアパートを探しましょう。これからご予定は?」


「いいえ」


「じゃ、善は急げだ。早速、探しましょう」


「あ、はい」


 慌ただしく腰を上げた柴田に、純香も動きを合わせた。柴田は履歴書を机の引き出しにしまうと、壁のフックからコートを取った。

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