【私が終わるまでに】

 私が終わるまでに君に何かを残したかった。






うた、挨拶しなさい」

 母親にうながされて、初めてアンドロイドのアルバに話し掛けた時の事を今でも覚えている。私が10歳の夏だった。アルバは母の友人の所有物だったが、新品のアンドロイドを購入する事になったので、もし迷惑でなければ引き取ってくれないか?と言われて、母子家庭だった我が家に、アルバはやって来た。アルバは中古アンドロイドで、かなりの年代物の様だった。


「こ、こんにちは……」

 初めてアンドロイドと言う物を見た私は、好奇心よりも恐怖心が勝ってしまって、おどおどとアルバに話し掛けた。アルバは、そんな私を見てニッコリと笑って、膝を曲げ、目線の高さを私に合わせてから優しい声で言った。


「初めまして、詩。私は今日から貴方の家族になる、アルバです。よろしくお願いします」

「よ、よろしくお願いします」

 慌てて頭を下げる私を見て、アルバは私の頭を軽く撫でた。そのまま、額に手を当てる。冷たい感触に私は驚いて、体ごと後ずさった。


「あ、驚かせてしまいましたね。ごめんなさい。詩の体温と血圧、心拍数などのバイタルを測らせてもらったんです」

「バイタル?」

「あー、お熱とか、心臓のスピードとかを測らせてもらったということです」

「そうなんだ」

 アルバは母の方に視線をやって、詩の体調は良好です、と言った。母は、ありがとう、じゃあ詩の事、よろしくね、と言って仕事へと出かけて行った。父を事故で亡くした私達にとって、アルバは救世主だった。母からすれば、家を空けている間、娘の心配をしなくて済んだし、私からしても孤独感を埋めてくれるアルバは、貴重な存在だった。


 丁度、夏休みに差し掛かって、一週間が経つ頃だったと思う。アルバが昼食の準備を始めたのを見て、手持ち無沙汰になった私は、アパートのベランダで育て始めた夏休みの課題の一環である朝顔に水をやった。中々、芽が出ないのを心配に思っていると、アルバが私の傍にやってきて、どうしたんですか?と尋ねてきた。


「あ、あのね、アルバ。中々、朝顔の芽が出なくて……友達はもう芽が出て育ち始めてるって言ってるの。何か悪い事したのかなあ」

「朝顔ですね?水をやり過ぎたのかも知れませんね。まず、日光のよく当たる位置に移動させましょう。後、朝顔の種はとても硬い皮でおおわれているので、種の皮に傷を入れて水を吸いやすくする処理をするのも良いかも知れません」

「どうすればいいの?」

「見てみましょう」

 アルバは土の中にある朝顔の種を取り出して、私に見せてきた。


「確かにまだ芽が出ていませんね。少しだけ傷をつけましょう」

「大丈夫なのかな」

「安心してください。少しだけです」

 アルバは自分の爪で、朝顔の種に傷を付けた。


「さ、明日か明後日には芽が出ていると思いますよ。お昼ご飯にしましょう。今日は詩の好きな鮭チャーハンです」

 私はぐに食卓に向かった。鮭チャーハンが大好きだったのだ。


「アルバはどうして、私の好物を知ってるの?」

「詩のお母さんに聞いたんですよ」

 一口、鮭チャーハンを口にして、私は驚いた。美味しい。しかも、この味は母の作る鮭チャーハンに似た味がする。


「どうですか?美味しいですか?」

「うん!凄く美味しい!」

「詩のお母さんにレシピを聞いて、少しだけ改良を加えたんです。口に合って良かった」

 笑顔でVサインをするアルバを見て、アンドロイドと言うのは人間とさして変わらない存在なんだな、と感じた。




 次の日、母が早朝に仕事に出かけるのを二人で見送った後、一人で朝食のトーストを食べていると、アルバが洗濯物を取り込みながら私に言った。


「詩、ちょっと来てください」

「なに?」

「いいから」

 アルバが手招きしているので、食べかけのトーストを置いて、ベランダに出た。


「ほら」

 アルバが指さした方向には、朝顔の芽があった。私はそれを見て、嬉しくなってアルバに抱きついた。アルバは、そんな私を軽く抱き上げて、良かったですね、と微笑んだ。私は、お礼に自分の大好物のチョコレート菓子を冷蔵庫から取り出して、アルバに差し出した。


「詩……気持ちは、とても嬉しいのですが、私は食料を必要としません」

「そうなの?」

「はい……一応、食べる事は出来ますが、エネルギーにはならないんです。だから、それは詩、貴方が食べると良いですよ」

「う~ん。分った!」

 私はチョコレート菓子を冷蔵庫に戻して、トーストの残りを食べ始めた。こうして私は少しずつ、アンドロイドと人間の違いを知る。


「詩、今日の分の宿題はしましたか?」

「算数が少し分からない……」

「一緒にやりましょう」

 私は、その頃、勉強も運動も苦手で、特に算数にはアレルギーでもあるのかと言うくらいに苦手意識があった。


「小数の問題ですね」

「うん」

「ゆっくりとやりましょう」

 アルバは小数の仕組みや、概念から説明してくれて、更にどういう時に小数を使うと便利なのか、と言った導入をしてくれた。その話が面白くて、私はアルバの話に聞き入ってしまった。


「では、実践しましょう。間違えても良いので、自分でこのプリントを仕上げましょう」

 自信はなかったが、アルバに励まされてやる気が出た私は、一つ一つ丁寧に問題を解いていった。アルバに見せると、アルバはにこにこしながら、親指を立てた。


「全問正解ですよ!よく頑張りましたね」

 私は嬉しくなって、次のプリントに手を付けた。


 勉強が終わると、よく外出した。公園で遊んでもらった記憶は今でも鮮明だ。アルバは私に麦わら帽子を被せ、熱中症対策をしっかりとして、虫取りなどを教えてくれた。実は、私は公園というものが少し苦手だった。理由は逆上がりが出来なくて、鉄棒を見る度に嫌な気持ちになるからだ。


「詩、ひょっとしてお外で遊ぶのは嫌ですか?」

「え……」

「なんだか楽しくなさそうな顔をしてたので」

「うううん。実は逆上がりが出来ないから、公園はあまり好きじゃない……」

「逆上がりですか……コツを掴めば簡単なんですが……」

「アルバ、教えてくれる?」

「いいですよ」

 アルバと出会って、私は段々とポジティブな性格になってきた。出来なかった事が出来るようになるのは、とても嬉しい。アルバは私にとって、父であり、先生であり、親友だった。


「回るときにおなかを鉄棒にぐっと近づけるのと、片足の体重移動がコツです」

 アルバに実践してもらう。クルっと綺麗に回転してみせて、アルバは私の手を引いて、鉄棒を握らせた。


「怖がらなくても大丈夫です。何度、失敗したっていい。ゆっくりやりましょう」

 その日何度も練習して、日が落ちる直前、私はようやく逆上がりをマスターした。嬉しくて嬉しくて、その日は眠れなかった。


 ミンミン、というセミの鳴き声で目を覚ました。昨日の虫取りで取ったセミが虫かごで鳴いていたのだ。


「詩、おはようございます」

「おはよう、アルバ……」

 ふああ~、と大きな欠伸あくびをする私を見て、アルバは眠いですか?と聞いてきた。私は素直にうなずいて、二度寝がしたいと言ったが、アルバに止められた。


「生活リズムを整えるのは大事な事ですよ。お風呂に入って、宿題をしましょう」

「分かった」

 私はアルバの言う事に従って、眠い目をこすりながら風呂に入った。


 こんな風にアルバは私にとって、とても大切な存在だった。




 ある日、虫かごの中のセミが死んでいるのを見て、私はとても大きなショックを受けた。動かなくなったセミを、どうすればいいのか分からずに、アルバの元に持っていくとアルバは悲しい目をして、埋めましょう、と言った。


 公園に二人で行って、木の下に埋めた。死と言う物に触れた事が、私を震え上がらせた。父親の死がトラウマになっていて、私はあえて死の概念を拒否していたのだ。


「詩、動物というものは……命があるものは、必ず死にます。だから、毎日毎日を一生懸命に生きるのが良いと私は思います」

「うん」

「詩、貴方に言っておかなければなりません。私が終わるまで……活動停止まで、あと二年です」

「どういう事?」

「……私は後二年で死にます」

「!!」

 私は言葉を失くしてしまった。


「詩、だから私は」

「聞きたくない!」

 その日、家に帰って、私は夕飯も取らずに直ぐにベッドに入った。


 夜中に目が覚めた。苦しくて苦しくて、上手く眠れなかったのだろう。私は、そっとベッドを抜け出して、母親にもアルバにもバレないように外に出た。


 寝巻のまま、公園へ向かった。鉄棒を握って、何度か逆上がりをする。少し前まで、全く出来なかった逆上がり。今は簡単だ。


「詩!!!」

 アルバが公園にやってきて、私を見つけて駆け寄ってきた。


「詩、どうしたんですか?こんな夜中に子供が一人で外に出てはいけませんよ」

「……アルバも私を置いていくの?」

 私は上目遣いで、涙を浮かべてアルバに言った。


「……詩、私は」

「アルバが死ぬなんて嫌だよお!死なないでよお!」

 わんわんと泣いて、私はアルバを抱きしめた。アルバは少し躊躇ちゅうちょしたようだが、抱きしめ返してきた。


「詩、聞いてください。私はね、私が終わるまでに何かを残したかったんです。それはね、詩、貴方です。貴方の思い出の中で、私は生き続けます。きっと貴方の人生には素晴らしい出来事がいっぱいあります。その中の一つに、私が居ます」

 アルバは私を抱きあげて言葉を続ける。


「貴方の人生の大事な時には、私の事を思い出してください。詩、そして私が終わるまでに、もっと思い出を作りましょう」

 私はもう、なんて言っていいか分からずに、大声で泣いた。







 二年後、宣言通りアルバは機能を停止した。静かに逝ったアルバを、私も母もしっかりと見届ける事が出来た。


 私はアルバとの出会いから、教師を目指したいと思う様になった。これからの人生、私は多くの出会いがあって、色々な思い出を作ると思う。そんな傍らにアルバがいつも居るんだ。私は必ず夢を叶えようと誓った。


 私が終わるまでに何かを残したかったとアルバは言った。


 アルバは私にとって、母であり、父であり、先生であり、親友だった。







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