【純情ブラザーコンプレックス】



花音かのんさん!俺と付き合ってください!」

 これで、多分、高校に入ってから、両手の指では足りないほどに告白された事になるなあ、と思いながら、私は真剣な眼差しで、好きな人が居るから、ごめんなさいと目の前の男の子に伝えた。


 そもそも、この男の子、誰だ?クラスメイトでもなければ、同じ部活でもない。どんな理由で私の事を好きになったのか。


「好きな人って誰ですか!」

「内緒よ」

「教えてください!諦められません!」

「しつこいのは嫌いです!」

 ぷいっときびすを返して、私は教室に戻った。教室のドアを開けて、溜息をく。親友の莉奈りなが、ニヤニヤしながら、私の席に腰掛けていた。


「花音、まーた告られたでしょ?」

「うん……でも、知らない人だった」

「あら」

「皆、私の事、よく知らないのに、好きだって言われても困る……」

「かーっ!モテる女は言う事が違うねぇ!あんた、鏡の前に立って、自分の顔をよく見なよ。芸能人並のつらしてんだから、自信持ちな〜」

 莉奈はゲラゲラと笑いながら、私の肩をバンバンと叩いた。こういう竹を割ったような性格の莉奈が好きだ。一緒に居ると、いつもポジティブな気持ちになる。


「あ、今日、花音の家に行っていい?」

「うん!あ、でもお兄ちゃん、仕事だから帰ってくるの遅いと思うよ」

 莉奈の目的は、私のお兄ちゃん。

 田辺たなべ楓真ふうま


「え、そうなの……」

「うん、夕飯食べていきなよ」

「いいの?」

「大歓迎よ」

 莉奈は、大きな声で、ありがとう!と言って満面の笑みで自分の席に帰って行った。その背中を見ながら、私は少し落ち込んだ。







 莉奈と仲良くなったのは、中学生の時。同じ学習塾に通っていた莉奈と親友になるとは、その時は微塵みじんも思わなかった。底抜けに明るい性格の莉奈と、無口で大人しい性格の私が仲良くなったのは、とある事件が切っ掛けだった。


 学習塾からの帰り道、駅で電車を待っていると、見知らぬ男に声を掛けられた。高校生くらいで、茶髪のツーブロック。ファッションも派手目のチャラついた男だった。道にでも迷ったのかな?と、話を聞こうとしたら、ナンパだった。しつこく連絡先を聞かれて、どうしていいか分からずに泣きそうになっていると、莉奈が私の背後からやってきて、男に言った。


「ちょっと止めてくんない?この子、私の親友なんだよ!」

 はいはい、行った行った!と、はえを追い払うように、手を動かして、ナンパ男を諦めさせて、莉奈は私に言った。


「あーゆーの、めんどくさいよね。大丈夫?」

 私は安心感から、思わず泣いてしまった。


「ちょ、ちょっと!なんで泣いてんの!」

 莉奈は慌てて、カバンからスポーツ飲料を取り出して、私に差し出した。


「これ、口は付けてないから、飲みな。怖かったの?」

「うん……」

「そうか……今度から、一緒に帰ろうよ」

「うん……ありがとう!」

 その日から、莉奈と毎日帰るようになって、高校も同じ所に通う事にした。


 高校に二人共、合格した日、私は嬉しくて小躍りした。莉奈と一緒に、高校生活を送れる事が、とても嬉しかったのだ。高校に通い始めて日も浅いある日、莉奈がウチに遊びに来たいと言った。その週の土曜日に、お泊まり会をする事になった。私は嬉しくなって、前日は部屋の掃除をしたり、二人で食べる為のお菓子を準備したりした。





 ただ、少しだけ心配な事があった。





 莉奈を駅まで迎えに行って、私は、その懸念材料を消す為に、トーンを落として、真面目な声で言った。


「莉奈、お願いがあるの」

「何よ」

「私のお兄ちゃんを、絶対に好きにならないでね」

「は?何よ、それ」

「お願い!」

「分かったわよ!そもそも、私、そんな軽い女じゃないし!」


 それでも不安がぬぐえずに、私は心臓がドクドクと音を立てるのを聞きながら、自分の家に向かった。


 家に着いて、玄関を開けた。ただいま、と言って、莉奈にスリッパを差し出して、私は自室に向かった。


「お!花音、おかえり!」

 お兄ちゃん……田辺楓真が、リビングから出てきて、私に言った。そして莉奈を見て、言った。


「あ、花音のお友達?今日、泊まってくんだっけ?まあ、ゆっくりしていってよ」

「はい……」

 莉奈の頬は真っ赤に染まっていて、私は何度も聞いたお馴染みの、女の子が、兄に恋に落ちる音を聞いた。


 2階にある自室に入って、直ぐに莉奈に言った。


「駄目だからね!お兄ちゃんを好きにならないでね!」

「ごめん……無理……」

「えー!約束したじゃない!」

「いやあ……花音のお兄ちゃんって聞いてたから、イケメンなんだろうなー、とは思ってたけど、あれは反則だわ。何よ、あの顔の造形と、色気と、スタイルの良さと、声の渋さ……ジャニーズ?」

「ジャニーズじゃないよ!モデルだよ!」

「ええええ!モデルさんなの?納得だわ」

「駄目だからね!お兄ちゃんは、花音の物だからね!」

「うーわ、ブラコンじゃん」

「うるさいな!」

「まあ、今日の所は大人しくしとくよ。取り敢えず、花音のオススメの映画でも見ようよ」


 これで、何度目になるだろうか。兄の事を、好きになる女性は、とても多い。そして、いつも兄にフラれては、傷ついて、私との距離を生むのだ。


 お兄ちゃんは、昔からカッコよかった。顔もることながら、勉強も出来たし、スポーツも万能。それでいて、硬派で、私の理想だ。本当に好き。妹として生まれてきたのは、ある意味、天国、ある意味、地獄。ずっと傍に居られるけれど、恋人になる事は出来ない。毎日、その想いにさいなまれて、胸が苦しい。どうすれば、この苦しみから逃れることが出来るのだろうか。


 その日、莉奈は目をキラキラさせながら、私のお兄ちゃんの昔の話を聞いてきたり、写真を見たがったりした。


「花音〜!お風呂沸いたわよ!」

 リビングから、母親の声がして、2人でお風呂に入る事にした。そこで軽いアクシデント。風呂上がりのお兄ちゃんが、上半身裸で、髪をバスタオルでいていたのだ。


「あ、ごめん!直ぐにTシャツ着る!」

 お兄ちゃんは、慌ててTシャツを羽織って、私達に謝った。そして、冷蔵庫から炭酸水を取り出して、一気飲みした。


「じゃあ、莉奈、入ろうか」

「う、うん」

 二人でバスルームの前まで移動すると、莉奈は小声で言った。


「何よ、あのシックスパック……えっろ」

「ちょっと!うちのお兄ちゃんを性的対象として見ないでくれません???」

「いやあ〜!あれはラッキースケベだわ。マジな話、付き合ってくれなくてもいいから、タネだけでも欲しいわ」

「最低!」

「はははは!冗談だよ!お風呂入ろう!」


 明るく笑う莉奈に、頬っぺたを膨らませて、抗議しながら、二人でお風呂に入った。莉奈は、反省したのか、お兄ちゃんの話題ではなく、クラスメイトの話や、好きなお笑い芸人の話をした。


 次の日、莉奈を駅まで送っていると、莉奈は私を真正面から見つめて言った。


「ごめんね、花音。楓真さんの事、本気で好きになっちゃった」

「……しょうがないよね。皆、お兄ちゃんの事を好きになっちゃうんだよ」

「で?花音は、どうするの?親友が恋のライバルだよ?」

「正々堂々、勝負よ!」

「うーわ、怖い!でも嬉しい。これからも、仲良くしてね」

「うん!」


 莉奈なら、まだ許せる。いや、許せないけど、他の女の子よりはマシだ。そろそろこの気持ちに終止符ピリオドを打たないと。私は、莉奈のフォローをする事に決めた。






 まだ諦めきれないけれど、兎に角、前を向こう。







「あら、莉奈ちゃん、いらっしゃい!」

 母親が、莉奈の顔を見るなり、笑顔で玄関まで出迎えてくれた。


「おばさん、こんばんは!」

「こんばんは!花音から聞いてるけど、今日は夕飯食べていくんでしょ?」

「はい!ご馳走様になります!」

「今日はね、楓真も花音も大好きなカレーなのよ」

「わ!カレー、私も大好物です!」

「それは、良かった。ゆっくりしてってね」


 部屋で莉奈と色々な話をした。基本的には、お兄ちゃんの話が多かったけど。莉奈と話すのは楽しい。終始、笑いっぱなしだった。


 夕飯の時間になって、玄関から、ただいまー、と声がした。お兄ちゃんが帰ってきたのだ。莉奈は、急にソワソワし始めて、いつもは男の子みたいな言動をするのに、乙女だなー、と思った。


「じゃあ……リビングに行こうか?」

「そうだね、そろそろ夕飯も出来ると思うし」

 莉奈は緊張した面持ちで、階段を降りて、リビングに向かった。


「あ、莉奈ちゃん、こんばんは!」

「ふ、楓真さん、こんばんは」

 莉奈は、完全に乙女モードに突入していて、はたから見てて笑えてくる。


「そういえばさ、花音。そろそろ夏祭りあるじゃん?今年も一緒に行く?」

 お兄ちゃんからの誘いに、即決即断、ノータイムで返答する。


「うん!行く!」

「あ、莉奈ちゃんも一緒にどう?」

 お兄ちゃんに誘われた莉奈は、もうメロメロ。頬を染めて、ブンブンと首を縦に振った。


「じゃあ、その日は駅に19:00に集合でいいかな?」


 お兄ちゃんとのデート。とても楽しみだ。






 夏祭り当日、莉奈と一緒に浴衣を着て、お兄ちゃんを待った。二人ともメイクも完璧にして、髪もアップにまとめた。少しくらい、女として意識してくれるだろうか。


 19:00になった。お兄ちゃんから、ちょっと遅れる!と連絡が来たので、二人でコンビニに寄って、飲み物を買った。お祭りで買うと、料金が少し高い。高校生の財布には、辛いところだ。安く済ませられるなら、そっちの方がいい。


「花音!莉奈ちゃん!お待たせ!」

 五分ほど遅れて、駅の改札から、お兄ちゃんが来た。









 隣に、綺麗な女性を連れていた。








「お兄ちゃん……その人は?」

 私は全ての感情が死んでしまって、無機質な声でお兄ちゃんに聞いた。


「あー、丁度良い機会だから、花音にも紹介しとこうと思って。今、お付き合いしてる梨花りかさんです」

「梨花です。よろしくお願いします」

 照れながら、お兄ちゃんは梨花と名乗った女に微笑みかけた。


 何これ……


 私達二人は、突然の事故に遭ったように、失恋した。過去に、何人もの恋人がいたことは知っていたけれど、お兄ちゃんが恋人を正式に私に紹介したのは、初めての事だった。


「わあ!素敵な人ですね!梨花さん、よろしくお願いします!私は花音の友人の莉奈って言います!」

 本当は泣きたいだろうに、空元気で莉奈は二人に挨拶した。私も泣きそうになりながら、よろしくお願いします、と頭を下げた。


「お二人の邪魔するのもあれだから、私達、二人でお祭りを楽しんできますね!」

 瞳をウルウルさせながら、莉奈は言った。莉奈も私も限界だった。二人で小走りに、神社に向かった。


 神社の裏手に、二人で走って、大声で、わんわんと泣いた。子供の様だった。


「な、なによ、あの女!お兄ちゃんなんかと、全然釣り合わないわ!」

 嘘……凄く綺麗な顔をしていた。悔しい。


「そうよそうよ!私達より良い女な訳ないじゃん!楓真さんのバカ!」

 莉奈も、悔しそうに慟哭どうこくした。


 その日は、二人して目を真っ赤にして泣いた。





 家に帰るのが、辛かった。もう、お兄ちゃんは、別の人の物になってしまったのだ。深夜になって、トボトボと家路に着いた。玄関を開けると、私の大好きなお兄ちゃんが、微笑みながら待ってくれていた。


「花音、今日、どうしたの?お兄ちゃん、花音と一緒にお祭り周りたかったな」

「お兄ちゃん、梨花さんとはいつ頃から付き合ってるの?」

「え?一年前くらいかな?どうして?」

「お兄ちゃん、真面目に答えてね」

 深呼吸して、私は胸に詰まった想いを告げる事にした。


「もしも一年前に、私がお兄ちゃんの事を男の子として見てる。付き合って欲しいって言ってたら……どうする?気持ち悪い?」

 顔を上げられない。怖い。でも、このままじゃ、失恋の痛みで死んでしまう。


「花音……お兄ちゃんは、花音の事が好きだよ。大切に思ってる。でも、それは家族として好きなんだ。その気持ちには応えられない」

「じゃあ!じゃあ!あの女と、私、どっちが大事!?聞かせてよ!」

 半狂乱になって、お兄ちゃんの胸に飛び込んだ。この想いは純情なのか。けがれているのか。ただのブラザーコンプレックスなのか。


「そんな質問をしない女の子の方が大事だな」

「ごめん……」

 私はお兄ちゃんから離れて、何度も深呼吸をした。


「気持ちに区切りをつけたかっただけ。もう二度としない。お兄ちゃん、ごめんね」

「バカ。お前のブラコン振りは、昔からじゃんか。これからも、仲のいい兄妹でいような」


 そんな事、無理だよ、と言いかけて、私は、そのセリフを押し殺してうなずいた。








 次の日、登校すると、莉奈も私もまぶたがパンパンにれていて、二人して大笑いした。昼休み、二人でいつもの様にお喋りしていると、先日、私に告白してきた男の子が私の傍に来た。


「あ、あの、花音さん!」

「な、なんですか?」

 急に大きな声を出されて、私は驚いて男の子を見た。


「やっぱり諦めきれないです!友人からでもいいので、好きでいさせてください!」

 頭を下げて、右手を差し出してきた男の子を見て、『好きでいさせて』というワードに、心を打たれた。


「じゃあ……友人から」

 差し出された右手を握ると、男の子は喜びのあまり、天井を見上げて叫んだ。教室で野次馬をしていたクラスメイトは、おぉ!と歓声を上げた。


「いつか、惚れさせてみせます!」

「頑張ってね。ところで私、超ブラコンで、お兄ちゃんモデルしてるくらいカッコよくて、空手の有段者だけど大丈夫?お兄ちゃんより良い男の子じゃないと、惚れないよ」

「え、えぇ〜!?」

 男の子は困惑していた。ふふふ。


 純情ブラザーコンプレックスも卒業しないとね。いつか、お兄ちゃんより良い男の子を捕まえてみせる。








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