【真昼の月だけが見ていた】



 その日、ジョセル・マックィーンは、いつもの様に小舟に揺られながら、首をかしげた。数えてはいないが、少なくとも5回以上は、首を傾げたと思う。原因は船に乗っている、もう一人の乗客であるアヤメ・ササハラという若い女性の所為せいだ。





 雲ひとつない快晴だった。

 波の音と、静かに回るエンジンの音が、全てだった。





 ジョセル・マックィーンの仕事は護衛である。と言っても、護送するのは、所謂いわゆる、要人や貴賓きひんなどではなく、罪を犯した罪人だった。


 罪人を流刑地まで運ぶ、と言う職務が、ジョセルは、あまり好きではなかった。今でこそ慣れたが、若い頃は何度も辞めようと考えた事がある。どの罪人も、これから運ばれる流刑地への不安や、自分が犯した罪への悔恨かいこんが、口をくからだ。言い訳がましい暗い言葉しか聞かされないので、鬱陶しくなって、こちらまで暗い気持ちにさせられる。それが、たまらなく嫌だった。




 しかし、アヤメ・ササハラは違った。





 長い黒髪に黒い瞳。東洋の生まれの、その女性は、どこか妖艶ようえんな雰囲気をまといながらも、向日葵ひまわりの様な明るい笑顔で、空を見上げていた。


 他の罪人達とは、まるで違う立ち振る舞いに、思わずジョセルは、こらえきれなくなって、アヤメに言った。


「アヤメ・ササハラ。さっきから、何を見ているのかね?」

「護衛官さん、ほら、あそこに真昼だと言うのに、月が見えるんですよ」

 アヤメの視線の先に、ジョセルは、自分の視線を重ねた。確かに真昼だというのに、見事な満月が、そこにはあった。


「ほお……確かに美しいな」

「でしょう?私は、人生の大半を、朝日の登らない時間……あの月と共に過ごしてきたのに、真昼の空にある、というのを見るのは初めてなんです。とても物珍しくて、思わず眺めておりました」

「ふむ……」


 ジョセルが聞きたいのは、そんな事ではなかった。


「アヤメ・ササハラ。おまえの罪は殺人だったな?その事に対しての申し開きや、懺悔の言葉などはないのかね?」

「護衛官さんは、そんな言葉を聞きたいのですか?」

「いや……出来れば聞きたくはないな」

「では、良いではないですか。何かご不満な事でも?」

「うーむ。お前は他の罪人とは違うようだな。お前以外の罪人で、鬱陶しい言葉を言わなかったのは、頭のおかしくなった殺人鬼以来だ」

「私も頭のおかしい殺人鬼かも知れませんよ」

「馬鹿な事を言うな。一応、調書には目を通した」

「という事は、護衛官さんは、私が犯した罪を、ご存知なのですね?」

「自分の客を殺したのだろう?」


 アヤメ・ササハラは、高級娼館で働く娼婦だった。東洋生まれの珍しい容姿で、一部の男達から熱狂的な人気だったらしい。痴情のもつれで、自分の客を殺した、という事が調書にあった。


「そうです。私は自分の客を殺した、愚かな女です」


 その話し方や所作から、長年、犯罪者を見てきたジョセルは違和感を覚えた。この女からは、犯罪者の匂いがしない。


「なあ、アヤメ・ササハラ。お前は、どんな罪を犯したんだ?」

「調書にあった通りですよ。私は自分の客を殺した。それだけです」

「そうは思えないな」

 ふぅ……と溜息をいて、アヤメはようやく、ジョセルの方へ顔を向けた。


「護衛官さん。もう、裁判で私には、終身刑が言い渡されてます。恩赦おんしゃを受ける事も禁じられました。こんな私に、今更、自分の罪について語れと仰るのですか?」

 少し語気を荒くして、アヤメは言った。


「どれだけ悔いても、あの人は戻ってこないんです」


 その言葉を聞いて、ジョセルは確信した。この女は、恐らく犯罪者ではない。


「あの人……というのは、お前が殺した男か?何があった?」

「……流刑地までは、後、どのくらいですか?」

 質問を質問で返されたが、ジョセルは左手首に巻いてある腕時計を見て、アヤメに言った。


「あと、3時間ほどだな」

「3時間……ですか」

 アヤメは、もう一度、溜息を吐いて、ゆっくりと口を開いた。


「3時間、何もしないと言うのは退屈ですからね……では、聞いてもらいましょうか」

 アヤメは、事のあらましを話し始めた。





 アヤメは、よくある話ですよ、と前置きを置いた。





 その客は、とても上客でした。所謂、金持ちの家の嫡男ちゃくなんで、悪友に誘われて、娼館に来た様です。いつの間にか、遊び慣れて、ちょくちょく、私の勤めていた店に顔を出すようになりました。ふとした事が切っ掛けで、私を気に入ってくださいまして。けれど、初めての夜は、震えながら私を抱き締めて、あっという間に果ててしまう様な、純な男でした。





 娼婦は、恋をしません。





 恋をすると、生活が出来なくなるんです。他の客に抱かれる事が嫌になります。それは致命的な事なので、娼婦は恋をしません。客からは、砂糖菓子の様な、甘い言葉をささやかれますが、その場限りの一夜の恋を実らせるのが、私達です。私達は、恋をしてはならないのです。





 けれど、恋をしました。





 その客は、私と一緒になりたい、と本気で言って下さいました。身分も地位も捨てて、私と遠くの国へ逃げよう、と言って下さったのです。


 けれど、そんな夢を見られるほど、私は子供ではありません。彼の様な苦労知らずの人間が、遠くの国で生きていけるとは、到底思えませんでしたし、娼館を逃げ出した娼婦のほとんどが、酷い最後を迎える事を、私は長年の経験から知ってました。





 彼を、私は拒絶しました。





 ある夜の事、彼は、こう言いました。

 今世で結ばれないのなら、来世で結ばれないか?と。


 私は、その提案を受け入れました。


 最後の夜、月の見える丘まで二人で走りました。彼は短刀を取り出して、ずはお前から死んでくれ、直ぐに後を追うから、と言いました。私は、その言葉を信じて、短刀を腹に刺しました。






 目が覚めると、私はベットの上に居ました。死ねなかったのです。私を追いかけてきた娼館の従業員が、私を病院まで運んでくれたと聞きました。


 情けない男です。心中すると決めたのに、私と一緒になってくれませんでした。私を、しっかりと殺さなかったのです。私を置いて、彼は……彼はってしまいました。





 私が、彼を殺したのです。




 そう言って、アヤメは、ゆらりと視線を空へと向けた。真昼の月を見ていた。


「護衛官さん、流刑地では、牢屋に閉じ込められるのでしょうか?」

「いや……お前の罪は、放火や強盗などと違う。流刑地では、一定の制約はあるが、自由に暮らせるよ」

「そうですか……では、私は流刑地で、あの人の事を想いながら、何かを作る仕事がしたい」

「農作物や、工芸品などを作る、という業務がある」

「それは良かった。少しでも、誰かの為になる事をしたかったんです。体を売る以外で」

「必ず、叶う」

「そうですか……そうですか……」

 アヤメは、何度もうなずきながら、目を閉じた。




 真昼の月だけが、二人を見ていた。










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