【真昼の月だけが見ていた】
その日、ジョセル・マックィーンは、いつもの様に小舟に揺られながら、首を
雲ひとつない快晴だった。
波の音と、静かに回るエンジンの音が、全てだった。
ジョセル・マックィーンの仕事は護衛である。と言っても、護送するのは、
罪人を流刑地まで運ぶ、と言う職務が、ジョセルは、あまり好きではなかった。今でこそ慣れたが、若い頃は何度も辞めようと考えた事がある。どの罪人も、これから運ばれる流刑地への不安や、自分が犯した罪への
しかし、アヤメ・ササハラは違った。
長い黒髪に黒い瞳。東洋の生まれの、その女性は、どこか
他の罪人達とは、まるで違う立ち振る舞いに、思わずジョセルは、
「アヤメ・ササハラ。さっきから、何を見ているのかね?」
「護衛官さん、ほら、あそこに真昼だと言うのに、月が見えるんですよ」
アヤメの視線の先に、ジョセルは、自分の視線を重ねた。確かに真昼だというのに、見事な満月が、そこにはあった。
「ほお……確かに美しいな」
「でしょう?私は、人生の大半を、朝日の登らない時間……あの月と共に過ごしてきたのに、真昼の空にある、というのを見るのは初めてなんです。とても物珍しくて、思わず眺めておりました」
「ふむ……」
ジョセルが聞きたいのは、そんな事ではなかった。
「アヤメ・ササハラ。おまえの罪は殺人だったな?その事に対しての申し開きや、懺悔の言葉などはないのかね?」
「護衛官さんは、そんな言葉を聞きたいのですか?」
「いや……出来れば聞きたくはないな」
「では、良いではないですか。何かご不満な事でも?」
「うーむ。お前は他の罪人とは違うようだな。お前以外の罪人で、鬱陶しい言葉を言わなかったのは、頭のおかしくなった殺人鬼以来だ」
「私も頭のおかしい殺人鬼かも知れませんよ」
「馬鹿な事を言うな。一応、調書には目を通した」
「という事は、護衛官さんは、私が犯した罪を、ご存知なのですね?」
「自分の客を殺したのだろう?」
アヤメ・ササハラは、高級娼館で働く娼婦だった。東洋生まれの珍しい容姿で、一部の男達から熱狂的な人気だったらしい。痴情のもつれで、自分の客を殺した、という事が調書にあった。
「そうです。私は自分の客を殺した、愚かな女です」
その話し方や所作から、長年、犯罪者を見てきたジョセルは違和感を覚えた。この女からは、犯罪者の匂いがしない。
「なあ、アヤメ・ササハラ。お前は、どんな罪を犯したんだ?」
「調書にあった通りですよ。私は自分の客を殺した。それだけです」
「そうは思えないな」
ふぅ……と溜息を
「護衛官さん。もう、裁判で私には、終身刑が言い渡されてます。
少し語気を荒くして、アヤメは言った。
「どれだけ悔いても、あの人は戻ってこないんです」
その言葉を聞いて、ジョセルは確信した。この女は、恐らく犯罪者ではない。
「あの人……というのは、お前が殺した男か?何があった?」
「……流刑地までは、後、どのくらいですか?」
質問を質問で返されたが、ジョセルは左手首に巻いてある腕時計を見て、アヤメに言った。
「あと、3時間ほどだな」
「3時間……ですか」
アヤメは、もう一度、溜息を吐いて、ゆっくりと口を開いた。
「3時間、何もしないと言うのは退屈ですからね……では、聞いてもらいましょうか」
アヤメは、事のあらましを話し始めた。
アヤメは、よくある話ですよ、と前置きを置いた。
その客は、とても上客でした。所謂、金持ちの家の
娼婦は、恋をしません。
恋をすると、生活が出来なくなるんです。他の客に抱かれる事が嫌になります。それは致命的な事なので、娼婦は恋をしません。客からは、砂糖菓子の様な、甘い言葉を
けれど、恋をしました。
その客は、私と一緒になりたい、と本気で言って下さいました。身分も地位も捨てて、私と遠くの国へ逃げよう、と言って下さったのです。
けれど、そんな夢を見られるほど、私は子供ではありません。彼の様な苦労知らずの人間が、遠くの国で生きていけるとは、到底思えませんでしたし、娼館を逃げ出した娼婦の
彼を、私は拒絶しました。
ある夜の事、彼は、こう言いました。
今世で結ばれないのなら、来世で結ばれないか?と。
私は、その提案を受け入れました。
最後の夜、月の見える丘まで二人で走りました。彼は短刀を取り出して、
目が覚めると、私はベットの上に居ました。死ねなかったのです。私を追いかけてきた娼館の従業員が、私を病院まで運んでくれたと聞きました。
情けない男です。心中すると決めたのに、私と一緒になってくれませんでした。私を、しっかりと殺さなかったのです。私を置いて、彼は……彼は
私が、彼を殺したのです。
そう言って、アヤメは、ゆらりと視線を空へと向けた。真昼の月を見ていた。
「護衛官さん、流刑地では、牢屋に閉じ込められるのでしょうか?」
「いや……お前の罪は、放火や強盗などと違う。流刑地では、一定の制約はあるが、自由に暮らせるよ」
「そうですか……では、私は流刑地で、あの人の事を想いながら、何かを作る仕事がしたい」
「農作物や、工芸品などを作る、という業務がある」
「それは良かった。少しでも、誰かの為になる事をしたかったんです。体を売る以外で」
「必ず、叶う」
「そうですか……そうですか……」
アヤメは、何度も
真昼の月だけが、二人を見ていた。
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