【愛煙家のエレジー】


 もし、僕が煙草を吸わなければ、彼と友人になっていなかっただろうし


 もし、僕が煙草を吸わなければ、あの人から、ジッポーライターを貰うことはなかっただろうし


 もし、僕が煙草を吸わなければ、あの時、夜の星空を見上げることはなかった。



 きっかけは、映画だった。

 お気に入りの映画で、ハードボイルドな探偵が、タバコを吸っているシーンがとてつもなく格好良くて、興味本位に親のタバコに手を出した。かすことしか出来なくて、肺に入れるという行為が、中々出来なかった。


「一緒につばを飲み込むんだよ」


 学校の屋上で、こっそりとタバコに火をつけて、吹かしていると生徒会長が後ろから声を掛けてきた。驚いてタバコを落としそうになったけど、僕は冷静に言葉を返した。


「お前も吸うの?」

「生徒会長ってのはストレスが溜まるんだ」


 屋上は生徒立ち入り禁止で、僕は悪い先輩から屋上の合鍵を貰っていた。生徒会長はタバコをくわえて、続ける。


「どうやってここに入ったんだ?」

「お前はどうやったんだよ」


 クルクルとキーホルダーを回しながら、生徒会長は言った。


「教師からの信頼ってやつさ。それより火を貸してくれないか?」


 秘密を共有し合うことは、人を仲良くさせる最善の方法だと思う。


 僕は彼と友達になった。




 大学生になって、バイトを始めて、僕は恋をした。いつも明るい新入女性社員。色々と画策して、彼女に近づこうとしたけれど、彼女には恋人がいた。


「なあ!会長!俺はどうすればいい?」

「すんなり諦めろ。浮気するようなタイプが好みか?」


 卒業してからも、高校時代の生徒会長のことを、昔のままのあだ名で呼んでいた。


 お互いにバカバカとタバコを吸いながら、安い居酒屋で盛り上がっていた。酒のさかなはいつも僕の恋の話。


「会長、仕事はどう?」

「苦労してるよ」


 会長は高校を出たあと、大手企業の営業事務に就いた。僕らみたいな底辺高校でも、会長は成績優秀だったので、てっきり大学に行くものだと思っていた。僕はあまり勉強はしなかったけど、なんとか大学生になった。


 21歳の誕生日、恋焦がれていた社員さんが転勤になる、と言う知らせを聞いた。なんてバースデーだ!落ち込んで、事務所でタバコを吸っていると、女性社員さんがやってきた。


「お疲れ様です。転勤してしまうの、寂しいです」

「お疲れ様。ずっと彼氏の住んでる県に異動願い出してて、ようやく受理されたのよ」


 完全にトドメを刺された。


「はい、これ誕生日プレゼント」


 彼女から貰ったのは、オレンジ色のジッポーライターだった。


「大切に使ってね」


 涙が出そうになるのをタバコの所為せいにして、僕は感謝を述べた。


 こんな風に、僕の思い出は常に紫煙しえんくゆらせていた。


 一番、印象深かったのは会長が死ぬ前の一服だ。


 会長は大病を患って、もうそんなに長くないと言われていた。他県に就職した僕は、8月のお盆休みで、なんとか会長のために帰省出来た。たまたま僕がお見舞いに行った時、会長の家族が出払っていた。


「なあ。ちょっと外の空気を吸わせてくれよ」


 僕は車椅子に会長を乗せて、夜だというのにまだ熱いアスファルトの上を歩いた。


「最後に1本だけ吸いたいんだよ」


 恐らく、生涯最後の一服になるだろう。僕は自分のタバコを差し出して、オレンジ色のジッポーライターで火をつけた。


「お前と出会った日の事を思い出すな」


 悲しいけど、今まで一緒に吸ったタバコの中で今日が一番美味かった。満天の星空の下、2つの火種が蛍の様だった。


「天国ってところがあるのかどうか分からないけど、再会できたら一緒に一服しような」


 会長が死んでから、僕はタバコを止めた。タバコを吸うと、彼の事を思い出して、虚しくてやり切れなくなるからだ。本当の事を言うと、たまに口寂しくて吸いたくなる。タバコを止めてから、健康的に過ごせるようになったけれど、タバコを吸っていたことに後悔はない。





 もし、僕が煙草を吸わなければ、彼と友人になっていなかっただろうし


 もし、僕が煙草を吸わなければ、あの人から、ジッポーライターを貰うことはなかっただろうし


 もし、僕が煙草を吸わなければ、あの時、夜の星空を見上げることはなかった。






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