第3話 玄関開けたら異世界トリップ(前編)

 いつも通りに図書館へ行こうと、アパートの玄関開けたらあるはずの床が無かった。


 つまり


 ものの2秒程で自由落下した。



「って――――はぁあああああああああ穴ぁぁああああああああ?!」




 * * * * * * * * * * * * * * *




 僕の名前は宮田みやた 小太郎こたろう 22歳。


 もうすぐ大学卒業だというのに、手元には日々お祈りメールしか届かない。去年の夏から「もうお祈りいらないから定職をくれ」と思う事数知れず――――このまま行くと、まぁ間違いなく就職浪人まっしぐらだ。



 ……と、まぁ、全く就職先が決まらない僕は、毎日徒歩30分ほど離れた市立図書館へ行くのが日課だった。冷房利いてるし、静かだし、あと、パーティションで区切られた席で履歴書書いたり出来るし。フロア内にコピー機あるし。無料でパソコン使えるし。なんか分からない事あったらググれるし。平日昼間にウロウロしていても不審syゴホン、もとい、奇異の目を向けられる事もないし。――そう、市立図書館は僕にとって、夕方から夜に掛けてのコンビニバイトの時間までを有意義に過ごすことができる、素晴らしきベストプレイスなのだった。



 だから、その日も午前中からいつもの様に図書館に行くつもりだった。飲み物買う分の小銭が入った財布とスマホだけズボンの後ろポケットに突っ込んで、玄関を開けて一歩踏み出した――――が、そこに、あるはずの床は無かった。




「っのぇえぇぇぇえええええええええええええええええ?!」



 真っ逆さまに落下する、とかこういう事を言うのか! 知らなかった! っていうか知りたくなかった!!! なんだ?! 田舎を考慮しても家賃2万円とかいう怪しさ満点なボロアパートだから手抜き工事だったのか?! それでとうとう渡り廊下の床が抜けたのか?!



 っつーか、落下する時間長くないか?! まだ下に着かないんだけど何十メートル落ちる気だ?!



 あまりにも長い無重力感に、落下と同時に反射的に瞑っていた瞼を恐る恐る開くと、――どうやら僕は重力に引っ張られるように足先から落下している様だった。周囲は赤と緑のマーブルにべた塗りされた怪しげな空間だ。……って、いやいや、景色どこ行ったんだ?


 ――っていうか、何故に補色対比でマーブルにするかな?! 目が痛い!!


 内心で突っ込みつつも懸命に上と思われる方角を見上げると、遥か彼方の宙に僕の家のアパートの扉らしきものがぽっかりと浮かんでいるのが見えた。それを目にした途端、無駄だと分かっていても、遠ざかるその扉へ手を伸ばそうとした。



 だけど、ふと――例えようのない“何か”を感じて、僕は反射的に視線を動かした。



 赤と緑のマーブルの空間に、一瞬、透き通った綺麗な薄紅色の小さな宝石の様な粒がキラリと光って、毒々しい空間へと見る見るうちに吸い込まれて行った。

 儚く消えゆくその粒に、僕はアパートの扉の事などすっかり頭から抜け落ち、思わず手を伸ばす――が、もちろん届く事はなく、そのまま僕も、それを追いかける様に見えない底へと吸い込まれて行った。



 * * * * * * * * * * * * * * *



 …………



 ……暗いな



 …………え? あれ? 死んだのか? 僕……




「〇△□×? □△☆□□〇×?」



 ――は? なんだ? なんか、ピーチクパーチク……って、鳥?



「〇□! ×〇□△△×〇□!!!」



 ――何だ? ツバメの巣でもどっかに……って、いやいや、まだ時期が全然早いし!?



「□×〇□△!!」

「何だよ親鳥どこだよ…………っぐぉ!?」



 どさっ



 背中に激しい衝撃が走った。一瞬息が詰まる。



「うぐっ」


 ……く、苦しい……これは、……覚えがあるぞ。小学校の時に逆上がりを失敗して背中から落ちた時のアレだ。アレをもっと酷くしたアレ。思わず苦しくて咽喉から空気の塊を吐き出す。


「ごほっ」

「〇□△……□×〇□?」


 思いがけない程すぐ近くから、鳥の囀りの様な高い音がした。


 油断すると咳き込みそうになる咽喉を手で押さえながら、僕はゆっくりと目を開けた。



 ――まず視界に入ったのは、見事な晴天だった。


 背中には柔らかい草の感触。頬や腕には、青草の先端がいくつも触れてむず痒い。いつかどこかの田舎で嗅いだような青い香り。


 視線を巡らせると、一面に広がる草原らしき開けた場所に、仰向けに倒れた僕の隣で、女の子が1人、僕の顔色を窺う様に屈みこんでいた。


 ドラマや漫画なら、ここから恋やら愛やらが始まったり、ラブコメまっしぐらになりそうなものだが、残念ながらそれは難しそうだった。――というのも、彼女は明らかに小学校高学年か中学生くらいの年齢に見えた。僕はどちらかというと年上派だ。それに、何より……僕は彼女の姿――と言うと語弊がある。なんだ、つまり――彼女の“カラーリング”に、思わず固まってしまった。

 よく言えば個性的な、僕の顔を覗き込んでいたその子は、淡い水色のふわふわとした長い髪に大きな――ピンク色の瞳をしている小さな女の子――まぁ、簡単に一言でいえば恐ろしくカラフルな10歳前後の幼女だった。

 因みに、純日本人の僕は黒髪黒目。大学の同期は髪色を変えてる奴らが殆どだけど、それでもここまで奇天烈きてれつなカラーの選択をしたヤツは見た事がない。そもそも水色の髪……って、えー……っと、コスプレ……?

 あ、いや、待てよ? この草原らしき場所はコスプレを楽しむ方々の撮影場所的なところで、僕はついウッカリ寝ぼけて迷い込んでしまったのか……?

 だとしても、こんなキャラなんていたか? アニメや漫画……は友達に詳しいヤツがいて色々聞いてたけど、こういうのっていたっけ? いや、もしかして、ボカロとやらか? それとも、僕が最近の流行に疎いだけか? 就職活動で僕は流行に乗り遅れて且つ取り残されてるのか? 就職も出来てないのにくそっ っていうか、どんな人気アニメ? ってか、目。どうした。こんな小さい子に染髪させたりカラコンさせたり、親は何をしてるんだ親は!?



 声に出せないまま内心でのツッコミに疲れた僕を、水色ピンク幼女はちょこんと小首を傾げて声を発した。


「□△〇×?」

「え?」


 っていうか、ツバメの雛の鳴き声じゃなかった。まさかの水色ピンク幼女の……言葉? え、なんだ? 何語だ? 少なくとも英語じゃないぞ。自信ないけど。


 ――引き攣った顔で思わずガン見すると、彼女は少々眉根を寄せて固い声を上げた。


「〇□×……×□△□×!」

「え?」

「□〇△□×! ××□△〇□×!!」

「えっ? うわっ? えっ」


 突然、ふっくらとしたフランス人形みたいな頬っぺたを膨らませて、女の子はすくっと立ち上がった。やばい、どうやら怒らせてしまったみたいだ……っ


「ご、ごめん! いや、ほんと、何がごめんなのか分からんが!! でも頼む! ここどこだ?! っていうか、僕のアパートはどこだ?!」


 焦りながら辺りを見回しつつ早口でまくし立てると、今度は女の子は困ったような顔をして何やら呟いた。


「×□〇□……」


 ――あ、なんて言ってるのかさっぱり分からん。



 途方に暮れていると、草を踏む足音がこちらへ向かってきた。慌てて目を向けると、渋い色……カーキっぽい色のフードを被ったおっさん……いや、じーさん? っぽい人がこちらへ向かって歩いてきた。

 思わず身構えそうになるが、身構えたところで僕、戦えないわ。逆上がりも出来なかったし。


 知り合いなのか、水色の髪のピンク目女の子はその男に顔を向けるとぱっと表情を明るくした。


「□×△□×〇△……」

「○☆□△○〇△、〇□×△□△」


 渋い声をしたカーキ色のフードを被った男は、女の子に一つ頷くと、僕の方を見た。――うわ、目が黄色だ――蛍光色の。……年齢は多分、50代くらいなんじゃなかろうか。……“じーさん”って呼ぶ年じゃないかもしれない。


「……***?」

「え? はい?」


 先ほどとは異なる音がじーさん……いや、おっさんの口から出たが、やはり分からず、僕は冷や汗をかいた。そんな僕をじっと見て、彼は少し考えた後、咳ばらいをして口を開いた。


「……これなら分かるか?」

「!?」


 目を見開いて、思わず僕はその場に立ち上がった。


「どうだ」

「わ、分かる……分かるけど、何で……っていうか、なんだこれ?!」

「よし、追って話そう。――その前に、会話が出来ないのは不便だろう。少し待て」


 フードのおっさんは何やらぶつぶつと口の中で呟くと、僕の方へ手を伸ばした。その手が僕の喉仏へまっすぐ向かってきたため、慌てて僕は後ずさろうとした。


「動くな。すぐ済む」


 って、それなんかアニメとかの暗殺者が口にしそうなセリフじゃねーか!!? その後に「今すぐ楽にしてやろう」とか言うんだろ?!


「今すぐ楽にしてやろう」


 って、やっぱ言うんかい?!


 だらだらと冷や汗をかきつつも、何とか踏みとどまっていると、彼の手は僕の喉を軽く撫でただけだった。



「バルトラグ様、何をされたんですか?」


 小鳥が囀る様な高く柔らかい声がした。


 え、と驚いて辺りを見回すと、先ほどの水色ピンク幼女がくりっと目を動かした。


「それに、まさかこの方……?」

「リトラルエリシア様、仰る通りです。お父君に報告頂いてもよろしいか」

「は……はい、分かりました!」


 リトラ……なんだ? えーと……、水色ピンクの幼女でいっか。まぁ、その水色ピンク幼女は、バルト……何とかって呼ばれたフードのおっさんに言われて、弾かれた様に身を翻した。

 そのまま駆け去るかと思ったら、少し離れた後、一旦立ち止まってこちらをチラリと見た。


 ……いや、そんな警戒しないでくれ。僕は何もしないというか、何も出来ないというか。


 僕の心の声が聞こえたかどうかは分からないけど、水色ピンク幼女――リト何とかは長くて覚えきれない――はくるりと背を向けると、今度こそ走り去っていった。



 …………いや、そもそも、これ、夢? もしかして、夢じゃないのか?



 ――ああ、アリかも。夢。



 ホラだってさ、いつもの図書館行こうとしてアパートのドア開けたら地面が無くて落っこちたらどっかの草原に倒れてて水色ピンク幼女がいるとか、うん、夢だわ。間違いない。



「怪我はしていないか?」


 フードのおっさんが渋い声をこちらにかけてきたので、思わず居住まいを正す。


「背中がちょっと痛いけど、怪我って訳じゃないと思います」


 言いながら左手で背中を擦る。


「ははは、まぁ、そのくらいで済んだのであれば、やはり素質保有者アヴェンドだな」

「……はい?」

素質保有者アヴェンドだ」

「えー……日本語でお願いします」

「ふむ――上手く“翻訳”が出来ていないか。――素質保有者アヴェンド……つまり、“素質がある”という事だ」


 言いながらおっさんは被っていたフードを外した。陽光に見事な――薄紫の髪が風になびいた。おしゃれ染め? ――いや、まさか、地毛……か……?



「まぁ、急に連れてこられても困るか。――簡単に説明すると、昨夜、王城で門術ディ・ロイを行ったのだよ。それと並行して、筆頭魔道士達が“力の強い存在を召喚する”儀式を行った。――そして、君が今ここにいる」

「えーと、……全然簡単に説明されてないんですけど」


 ――僕の知ってる「説明」と違わなければ。


「なに? ――うーむ、……ディは分かるか?」

「知りません。 食えますか?」

「食えない。――“ディ”とは、世界と世界、物と物、人と人、全ての存在と存在を繋ぐものになる」


 残念ながらおっさんはノリツッコミはしてくれなかった。


 それにしても……その、“ディ”とやらは、何だ……アレか? 某ネコ型ロボットの腹ポケットから出てくる便利なドア的な? ――いや、待て。でもなんかやっぱり色々突っ込みたいぞ。“世界と世界”って何だ。SFか? パラレル的な??


 ……それにしても、よく出来た夢だな……僕の想像力って思ったよりもすごいのかもしれない。



「使う言葉からすると、君は地球と言う惑星から招かれた様だな。――いずれにせよ、ディから来た君は、つまり召喚に応じた素質保有者アヴェンドであり“力の強い存在”と言うわけだ」

「惑星って――って、まさかじゃあここは地球じゃない?!」

「“地球”ではないな」

「う、宇宙人?!」

「いいや、世界が異なる。――私はこの世界の“門術師バンソロディ”をしていてね」

「? バン……?」


 バンソー……コ? んん??


「“門術師バンソロディ”――“ディを統べる者”だよ」


 ――とうとう宇宙が出てきた……やっぱSFか。


 それにしても、いまいち、“ディ”っていうのが何か分からない。どうやらおっさんの説明だと、“ディ”というのは門とか扉みたいなイメージで、このおっさんは門番みたいなものをしてるって話しらしい。

 ……この辺は夢だからか、何だか設定が荒いなぁ……もうちょっと分かりやすい展開無かったんだろうか。SF系の小説や映画は好んではあんまり見てないから、その影響かな。惜しい。



「で、その……バン、何とか、が……?」

門術師バンソロディの力はどの“世界”でも異質な存在なのだよ……君自身の様にね」

「……え」


 おっさんの蛍光イエローの目がギラリと光った気がした。結構な迫力だ。


「君は、我らの呼びかけに応えて別世界からこちらへとやってきた“力ある者”――――我らの世界を救う者なのだ」

「は……?」

「突然の別世界で戸惑いもあるだろうが、私も出来る限り協力する。どうか、この国に力を貸してくれないだろうか」

「……」


 一瞬、僕の目が点になった。その後、大慌てで首をぶんぶんと横に振る。ついでに手も横に振る。


「いやいやいや! 待て待て待て! 僕は確かに就活中だけど、異世界の国レベルに職を求めてはいませんよ。勝手に話し進めないでもらえません?!」


 思わず語気を強めて言いながら、ジト目でおっさんを見やる。どうせ夢なんだから「僕に任せてくれ! きっと世界を救ってみせる!」的な事を言っても良いのかもしれないけど、――――それ、絶対僕の柄じゃない。


 ……ん? あれ? なんだ、夢でも結局、現実っぽい事考えちゃうんだな……夢がないなぁ。――って、うーん、それもなんかおかしいな。


 アレコレ考えていると、しばし黙っていたおっさんが真顔でこちらをじっと見ながら口を開いた。


「しかし、君は我々の声に応じてこちらに来た」

「応じてないし!? っていうか、跡継ぎくらい、自分らの世界ところで探せば良いじゃないかよ!」

「いや。――“彼ら”にこの力の極意を譲り渡す事は出来ない。――均衡が崩れてしまうからな」

「均衡?」

「そうだ。だから、この世界の他の住人に門術師バンソロディの極意を譲り渡す事は出来ない」

「でも、あなたもそうなんですよね?」

「いいや、私は既に門術師バンソロディを受け継いでいるから、除外だ」

「えっ」


 そう来たか。なんかずるいぞそれ。


「だ、だとしても! なら尚更、信用できる相手に譲った方が良いんじゃないですか? 言っちゃなんですけど、僕はどれをとっても平凡……いや、同期は殆どみんな就職先なり院に進むなり決めてるから、僕は平凡以下かもしれないんですけど……?!」

「君は城の筆頭魔術師達が持てる魔力を全てつぎ込んで行った儀式で召喚された者……君は我々の一方的な力で“強制的に召喚された”のではない。無意識だとしても“我らの求めに応じた”のだよ」

「いや、覚えてないし」

「ふむ……君はどうも、自己肯定感が低い様だな。――それとも、“ケンソン”というヤツかね?」


 ケンソ…………って、ああ、“謙遜”か。よく知ってるなーこのおっさん……


 っていうか、謙遜じゃないんだよ。事実なんだって……って考えてみると地味にへこむけどな!

 そんな僕の繊細な心を無視して、おっさんは話しを続ける。


「君がここにいる事自体が証拠なのだがね」

「でも、少なくとも、どっかの世界にお呼びがかかる力を持ってるような人生、送ってないんで」

「……まぁいい。とにかく、君は我らの呼びかけに応じてここに来た。それは間違いない。――何より君はこの世界の者ではないだろう?」

「まぁ……はい。それは」

「この国は今、他の世界からの脅威に晒されていてね。いつ攻め込まれるか分からない状態なんだ」

「サヨナラ帰ります」

「まぁ、待ちなさい」


 ガシッ、とおっさんが僕の肩に手を置いた。


門術師バンソロディなら、襲い掛かる敵を別世界や別の場所へ吹き飛ばす事なんて“ちょちょいのちょい”だから怖くないぞ」


 “ちょちょいのちょい”って……何げに古い表現だな。そして嘘くさい。


「世界を跨いでも、魔法使いがいようと戦士がいようと、門術師バンソロディの使う門術ディ・ロイには誰もかなわんよ。ほぼ無敵と言っていい。何せ、攻撃も防御も、思いのままだからな」

「えぇー……」


 その、バンソーコ? なるものがそんなに無敵だとしたら、まぁ確かに覚えている人は安全だろうけど……なんか、やっぱりいまいちぴんと来ない。そもそも、門術ディ・ロイっていうのはどんな感じなんだろう。目からビームやら、みんなの力を分けてもらったりとか、そういう事じゃないのか……?


「――いや、やっぱ分からない。そもそも、なんで僕……?」

「世界転移してもほぼ影響を受けていない――つまり、素質保有者アヴェンドなのだよ」

「んん??」

「普通はそれなりにアレコレ影響を受ける。肉体を空間の中に置き忘れてきたり、その逆に精神を置き忘れてきたりな」

「……」


 何気に怖い事言ってるぞこのおっさん。


「君の様に全く干渉を受けていない存在が素質保有者アヴェンドだ。門術師バンソロディには欠かせない素質なのだよ」


 まじか……と、思わずアホ面を晒すと、おっさんは目じりの皺を深くして笑った。


「少しは信じてくれたかな?」

「……まぁ、はい」


 夢だしな。


「一応補足するが、夢ではなくて現実だ。君は私の使った世界を転移する門術ディ・ロイによって、今、私の目の前に立っている」

「…………」



 あ、やっぱり……?


 なんか、薄々そうだと思ってた。


 その前提で話し進んでたし、そもそも言葉通じないし、なんかさっきの幼女は僕の予想を斜め上遥か彼方向こう側を行く程のカラフルな容姿だし、……草の香りや風も、夢にしてはリアル過ぎた。

 だから、気付かなきゃおかしいっちゃおかしいんだけど。


 それでも、第三者から「現実だ」と言われるのは何というか、――ショックだった。


「私ももう年だ。このままでは私の門術師バンソロディとしての力も、もう衰退していくばかりだろう。そうなる前に、この知識を君に託したい」

「いや、託されても」

「私は自分の門術ディ・ロイと、見る目を信じてる。――君になら、私の門術師バンソロディの極意を託せる。それに、その力を使えば君は元の世界に還る事も出来るはずだ」

「えっ」


 急に魅力的になってきたぞバンソーコとやら!


 思わず右手をぐっと握りしめると、目の前のおっさん――もとい、師匠はにんまりと笑った。


「よし、乗り気になった様だな。――まず、君の名を聞こうか」

「あ、はい。宮田 小太郎です」

「コタロウか……本名か?」


 ……なぜそこで疑われなきゃならないんだ。


「さすがに嘘の名前なんて名乗りませんよ……」

「そうか。ならば説明しよう。良いか? 今後は真名アルビョンは伏せた方が良い。特に門術師バンソロディはな」

「え?」


 あれか? ファンタジー系とかでよくある、真名を知られると相手に操られるとかそういう?


「どこに何がいるか分からないからな。かくいう私も真名はかれこれ数十年名乗っていないよ」

「あー……おっ――師匠は、さっき、あの女の子に名前呼ばれていましたけど」


 危うく“おっさん”呼ばわりするところだった……上手く誤魔化せたか? チラリと様子を伺うと、おっさんは特に気にした風でもなく、少し思案してから口を開いた。


「ああ、姫様にか? ――そうだな、私は今は“バルトラグ”と名乗っている」

「……“姫様”?!」


 本日何度目かの素っ頓狂な声だ。もう素っ頓狂祭りだ。


「リトラルエリシア姫はこの国……ああ、君が立っている地面から、見える範囲全部と、ホラ、あそこに見える山脈。あそこまでがリルデラルム国なのだが、その国の姫君なのだよ」

「ヘ……ヘェー……」


 思わず相槌が棒読みになってしまった……まぁ、しっかりしてそうではあった、かな?


「君の世界ではどうか分からないが、姫は御年23になるはずだよ?」

「……は?」

「23歳」

「――――って、いやいやいやいや、どう見ても幼女でしょ?! 10歳程度でしょ?! 頑張って13~4でしょ?!」

「まぁ、世界によって違うからな。――そんな事より」


 おっさ……師匠は、僕の抗議をバッサリと切り捨てると、明るい黄色の目をちらりとこちらに向けた。


「コタロウ、これから王城へ向かうが、その前にまず君の呼び名を決めておこう」

「え? あ、ああ……」

「ぱっと思いつかなければ、身近な友の名でも構わない。適当に決めてくれ」

「いや、身近な友って言われても……」


 ――そいつに今度何かあったら困るし。かと言って、パッと思い浮かぶ名前なんて出てこない。なんだ、どこでも●ア繋がりでのび●とか……いや、それで呼ばれるのは遠慮したい。

 うんうんと唸りながらチラリと師匠を見やると、「そんなの適当に決めちゃえよ」的な目でこちらを見ている。いや、呼ばれる名前だからね、せっかくだからね? …………いやー、思いつかないわ。世界史、日本史の偉人の名前とかちょっと考えてみたけど、烏滸おこがましいだろ自分?! ってなっちゃうし。ちょっと厨二を患ってる感が出ちゃうし。


 あ、まずい。師匠の眉間にやや皺が……まずいまずいまずい……――あ!


 唐突に脳裏に“懐かしい名前”が閃いた。



「せ、征二郎せいじろう!」

「うん?」

「征二郎で!!」


 思った以上に大きな声が飛び出した。



 “征二郎”……――宮田 征二郎。随分前に亡くなった、僕の父親の名だ。


 亡くなって既に14~5年経っているので、あまり思い出らしき記憶もないし、アパートは狭いから位牌も遺影も父方の本家の仏壇にある……といっても、その本家も既に無人だ。それでも家自体は隣近所のご老人達がたまに集まって掃除をしてくれているらしい。

 僕はと言えば、大学受験から就職活動、その合間に生活費を稼ぐ為のバイトで、本家の仏壇どころか墓参りにすら行っていない。むしろ、生活するのが精いっぱいなので交通費が惜しい。――薄情な息子かもしれないけど、忙しすぎてここ最近は両親の事も、もちろん顔も、思い出す機会が無くなっていた。今でさえ、2人の事をよく思い出せない。ただ、何となく親父の大きくて温かな背中や、お袋の作ったカレーなど、断片的且つふんわりとしたイメージしか残っていない。

 ――名前もそうだ。今の今、何か名前を、と言われて、記憶の奥の奥から突然出てきたのだ。


「セージロウ……か。それでいいのか?」

「……ああ」


 頷いてから、何となくじんわりと胸が温かくなった気がした。――そうだ、親父の名前って、そうだった。……お袋って何て名前だったかな。“花”だか“華”だかが付いた気がするけど、――ごめんお袋。無事に戻ったら、墓参り行くから許して。

 何だかセンチメンタルな気持ちになった僕には全く気付く様子もなく、師匠は大きく頷いた。


「よし、セージロウ。では、王城へ向かうぞ。……君は私の後ろに控えてろ。何か質問されても、適当にアンニュイな表情で目を伏せておけ」

「え、そんなでいいんですか」

「下手に話されるよりはましだ」

「でも、さっきの……姫? 様には、僕がここの世界の人間じゃないってバレてたっぽいんですけど」

「姫はいい。あと、王と筆頭魔術師達もだ。……だが、他の者達は門術師バンソロディの恩恵に預かろうと媚を売りに群がってくるからな」


 師匠は肩を竦めて笑い、先導するように歩き始めた。何だか色々気になる部分もあるけど、行くしかないな。

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