第五章 ⑥
二つの結果が重なった。
敵にとって、予測通りと予測違いの事象が一つずつ起こった。
オルムが放った不可視の攻撃はリジェッタの〝背中〟を切り裂いた。左肩から右脇腹にかけて血飛沫が跳ねる。凄まじい激痛が心臓の裏側で爆発した。傷口が文字通り焼け付き、赤黒く焦げている。肉が焼ける嫌な臭いが鼻孔の奥に纏わりつき、気分が滅入る。
リジェッタの右手に握られた短剣が、その刃を震わせていた。まるで、なにかが激突したかのように。
「……だから、私は言ったのですよ。『助けてほしいですか?』と」
赤マントが愕然と、大きく目を見開いていた。足元に、ナイフが落ちていた。リジェッタを背後から貫くはずだった刃は、虚しく役目を終えていた。
「どうして」
赤マントが一歩後退した。
「私がオルムさんの攻撃に対処している隙を狙って、不意討ちするつもりだったのですね。それ自体は間違っていません。しかし、作戦に必要なのは前準備です。あなたは、それをあまりにも疎かにしすぎた」
ゆっくりと、妹に宿題を教える姉に似た口調でリジェッタは語る。赤マントが、まるで死人が口を利くのを見てしまったかのように、顔を恐怖で歪めた。
「あなたは、私を助けた日もフードを被っていた。なのに、あの日に限っては修道服を着ていた。まるで、私に気が付いて欲しかったかのように」
露骨な再会の演出に、リジェッタは疑問を抱いたのだ。
蜘蛛女と戦った際も、赤マントは都合良く現れた。
まるで、どこかでタイミングをうかがっていたかのように。
「今もわざわざオルムさんの前に立った。そして、オルムさん。あなたは手をゆっくりと揚げた。あたかも、私に攻撃のタイミングを知らせるように」
レインシックスが放つ秒速七百メートルオーバーの弾丸さえ容易く弾き返すオルムが、あまりにも緩慢な動作で攻撃の準備をした。
それは何故か?
「私に、赤マントちゃんを庇わせるためですね?」
オルムは、困り顔で肩をすくめた。ちょうど、サプライズプレゼントに失敗してしまったかのように。
「あなたの攻撃を防いでしまったことが、裏目に出てしまいましたか。しかし、ならばどうして庇ったのですか?」
オルムの問いに、リジェッタは振り返らない。
未だに硬直している赤マントを見詰めたまま、やはりゆっくりと口を開く。
「確信はありませんでしたから。それに」
血を多く流しすぎた。リジェッタの顔には、誤魔化しきれない苦痛の色が滲んでいた。それでも、それでも《偽竜》は、
「私は嘘を吐きませんでした」
赤マントを助けたい気持ちは、今でも嘘ではない。
「ば、馬鹿かきさまは!?」
激昂が飛んだ。
赤マントが、両肩を怒りで震わせていた。リジェッタの胸倉を掴み、今にも額をぶつけんばかりの距離で叫ぶ。
「そこまで分かっていて、なんで助けた!? どうして庇った!? 何故、自らの身体を犠牲にした!? お前は騙されたんだぞ。ここまでする意味などない! なのに、なのに、お前という奴は……」
赤マントの怒れる形相を前にして、リジェッタは小さく息を吐いた。そして、コツンと額を合わせる。
「言いたいことは、それだけですか?」
「なに?」
「伝えたいことは、それだけですかと言ったのですわ」
耐えられなかったのか、赤マントがリジェッタを突き飛ばした。信じられないと、首を横に振る。今にも泣き出しそうなほど、表情に揺らぎがあった。
「わ、私は、ワイバーン騎士団の人間だ。フェンリル騎士団に潜入したのは、この場でお前を確実に殺すためだ。あの日、お前を助けたのも今日という日のためだ。だから、だから……」
「それが、私があなたを助けない理由にはなりませんわ」
命を狙われた、本当は敵とか、向こうの味方とか、そんなことはどうでもよかった。リジェッタにとって重要なのは、もっともっと別の視点だった。
「もしも、あなたがここで私を運良く殺せたとしても、その先はありません。《魔狼》はけっして、裏切り者を許しはしない。確実に、あなたを裁くでしょう。赤マントちゃん。まさか、ジャックスがあなたの正体を知らぬままだと本当に想っているのですか?」
赤マントが息をのんだ。たとえ、騎士見習いだとしてもジャックスにとって部下はひとしく身内であり家族なのだ。
だからこそ、例外などありえない。
そう、例外などあってはならない。
「ゆえに、ジャックスは私に頼んだ。あなたを救ってほしいと。そして、私は嫌だとは言わなかった」
言葉が上手く飲み込めず、赤マントが喘息患者のように呼吸を乱した。見せしめに拷問されてもおかしくない〝御法度〟を犯してまで救ってくれる?
「どうして」
無理もない疑問だった。
その答えをリジェッタだけが知っている。
「私はあなたに言ったでしょう。一緒に暮らしませんか? って」
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