第四章 ③


「なあ《偽竜》よ」

 食後の紅茶とクッキーが用意されたテーブルの上に、カレンの弱々しい声が滑り落ちた。

「ワシは狼を目指した。けれど、なれなかった。こうして、番犬になるのがせいぜいじゃった。……主は、違うだろう?」

 嫉妬と期待が込められた言葉だった。

「ワイバーン騎士団だけじゃない、他のエリアの連中も一枚噛んでおる。だからこそ、ちょっと銃を撃って終わりってわけにはいかんのじゃ」

「あなた、さっきは大きな陰謀などないとおっしゃいましたよね?」

「そうじゃ。これから、こんなことは挨拶代わりのように続けられるぞ。フェンリル騎士団を敵視する連中は多い。お前も、敵を増やすだけじゃろう。いつか、狂気は日常化する。しかし、それでは駄目なのじゃ。誰かが、楔にならんといけない」

 カレンがクッキーを一枚、口に放り込んだ。ザクザクと、世の不条理を噛み砕かんと力強く顎を動かす。

「主が竜の、その先を目指すなら見てみたいものじゃ。無論、ワシだって最大限に協力する。ロデオだって、そういうつもりじゃて」

「皆さん。今日はとても難しい話をするのですね。なにか、心変わりにもあったのですか?」

「くふふふ。なーに、良い頃合かと想うてな。この街も、そろそろ新しい風を吹かすべきじゃ。それこそ、竜のはばたきのように大きな風を」

「……そんなに大きな風が吹いてしまえば、多くの者と物が吹き飛んでしまうのでは?」

「ああ、それでええ。つまらんしがらみなど、全部吹き飛んだ方がマシじゃろう。《偽竜》の働きを、ワシらは願っている」

 期待されていると、リジェッタは結論を出した。ただ、出したところで『じゃあ、なんでしょう?』と首は傾くばかりだった。

 ロデオがなにか言いかけ、左腕に巻いた腕時計に視線を落とした。続けてリジェッタを見る。

「そろそろ別の仕事だ。俺は帰るぜ。まっ、良い答えを期待している」

 食後の煙草を吸いながら、ロデオはさっさと去ってしまった。それを眺め、カレンも腰を上げる。

「ワシも、まだ仕事を残しておる。ここの料金はもう払い済みじゃから、主は好きなだけいるといい。でわの」

 そうして、カレンも去ってしまった。一人になったリジェッタはクッキーが盛られた皿に手を伸ばす。たっぷり三人分はあった焼き菓子の山が綺麗に消失した。

「皆さん。好き勝手に言って好き勝手に帰るなんて。私、まだ納得していないというのに。これでは、なんのために会ったのか分かりませんわ」

 嘆きつつ、リジェッタは立ち上がった。

 前髪を掻き上げながら背筋を反らす。

 眼前を鉛色の風が通り過ぎた。テーブルの端を噛み千切り、小粒の悪鬼が床板を深々と抉った。

 リジェッタが服のスカート部分に浮かんだ皺を撫でる。それはまるで、ここにはいない誰かに会釈しているようにも見えた。

 銃声を聞いた周囲の客達が騒めいた。騒ぎの中心にに立っているのがリジェッタと気付き、誰もが血相を変えて我先にと逃げ出す。身体のあちこちをぶつけながらも構わず走る。テーブルから皿が落ち、色とりどりの料理が床を汚した。若い女性店員が逃げるか残るか迷い、涙目だった。

「もし、そこのあなた」

「は、はい!」

「お持ち帰り用にクッキーを用意してくださらないかしら?」

「え、え?」

 リジェッタが右に軽く首を傾ける。再び、弾丸が飛来した。今度は地面に転がっていた皿を砕き、トマトソースの飛沫が女性店員の頬にかかった。

 顔を引きつらせる店員に反し、リジェッタは笑みを絶やさない。

「このお店には『シェフの気紛れ道連れ特製〝くっきぃいい〟』のサービスがあるとお聞きしていたのですが、間違いだったでしょうか? 私、一度食べてみたいと想っていたのですが」

「あ、あります。ありますけど」

「では、お願いします。これはチップです」

 丸まった札束を渡すと、女性店員が歯をカチカチと鳴らした。

「く、口止め料……」

「はい?」

「い、いえ、可及的速やかに最速をもってご用意します!!」

 女性店員が逃げるように厨房へと逃げた。

 クッキーが焼けるのが、とても楽しみだ。

「……さて」

 ここまで熱烈な挨拶をされてしまえば、リジェッタも無視は出来ない。クッキーが焼かれるまでの時間、丁寧な応対が求められた。

「私、実を言うとこれから知り合いに会う予定でして、あまり長居は出来ないのです。ですから、気持ちだけはしっかりと込めさせてもらいます」

 振り返りざま、リジェッタの右手にはレインシックスが握られていた。撃鉄は起こされ、銃口は肩よりも高い位置で固定されている。

 銃把を掴む右手をさらに左手が包む。

 双眸、眼球の内側に変化が起きた。角膜と水晶体が肥大化、形状を変える。外部からの光を取り込むための機能が活性化、再効率化されていく。眼の色がグラデーションをかけるように変化、黄金へと輝きを増した。見ろ、視ろ、観ろ。遠くを、もっと遠くを、はるか遠くを。私を影から追っていた卑怯者達の姿を網膜へと映し出せ。

「ふふふ。ご機嫌いかがですか?」

 レストランから二百メートル先、雑貨ビルの屋上に狙撃手がいた。黒いマスクをしていていまいち表情は分からないが、こちらと目が合った事実を信じられず動揺しているのは良く分かった。

「では、失礼します」

 引き金を絞る。

 轟音が大気を砕く。

 人外の圧倒的な膂力によって完全に固定された銃身から、秒速七百メートルを超過した十四ミリ口径の弾丸が放たれた。螺旋と放物線を描きながら飛翔する。

 空気抵抗により、その威力を七割まで減少させながらも一秒とかからず彼我の距離を喰らい尽くした。狙撃手がリジェッタの行動を把握、理解、もたらす結果を予測したときにはもう手遅れだった。

 狙撃手の脳天に弾丸が突き刺さる。そのまま首が後方に折れて転倒、二度と起き上がりはしなかった。主を失った狙撃中が三脚で固定されたまま、恨みがましくこちらへと銃口を向けている。

 頸椎が折れる音を聞いたような気がした。

 もっとも、折れずとも絶命していただろうが。

「食事代に、弾代を追加するべきでしたわ」

 レインシックスの銃口に息を吹きかけ、リジェッタが嘆いた。


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