第二章 ⑦


「こんな風に狙われるのなんて、いつ振りでしょうか。私、常日頃想っていますの。こういうことをしたいのなら、ちゃんと前もって連絡するべきだと。菓子折りの一つでも用意するのが礼儀だと想いますが、違いますか?」

 当然、返事はなかった。リジェッタは腰のポーチへと手を伸ばし、飴のような物を取り出した。

 光沢なはく、黒く染まっている。

 それは、ハーブを練った菓子だった。鼻先に、刺激的な香りが届く。

 続け、予備の弾薬をいくつか取り出した。大振りのナイフを引き抜き、ホルスターを腰から外す。

 弾薬の弾頭部分を掴み、回しながら引っこ抜く。そして、薬莢内部に入っている発射薬をホルスターへと流し入れた。

 これを、六発分繰り返す。さらに、ハーブ菓子も押し込んだ。ハンカチできっちりと口を縛る。

 ホルスターを放り投げ、屋上の中央へとセットする。

 リジェッタは大きく息を吸った。一気に吐き出し、犬歯を叩き合わせる。

「――カッ」

 口腔から溢れた炎がホルスターを包んだ。ハンカチが燃え、内部の発射薬に着火する。緋色と濃い橙色の猛火が高熱の花を咲かせた。革製のホルスターとハーブ菓子へと火が移り、黒い煙となった。

 屋上の中央に、黒煙の壁が生まれる。

 リジェッタは一気に物陰から跳び出した。

 途端、銃声が遠方で弾けた。

 足元に着弾、構わずに走る。背後、頭上、弾丸が飛来、構うな走れ。あと一歩、もう少し、階段のある扉へと手が届く。

 銃声、近かった。

 リジェッタの口から空気が漏れた。左肩に槍のごとく激痛が突き刺さった。一発当たってしまった。なんだこれは。対物破壊小銃アンチ・マテリアル・ライフルか。それとも、対魔物用の特殊な武器か。違う。今は走れ。

 扉を開け、中へと入る。そのまま階段を下りた。足を止めないまま左肩を確認して、リジェッタは困り顔で頬を引きつらせた。

「二十ミリ口径。……良い腕です。それとも、私の運が悪かったのでしょうか」

 やはり、狙撃か。それも、典型的な対物破壊小銃アンチ・マテリアル・ライフルの特大口径だ。もはや、砲撃と呼んだ方が正しいのかもしれない。戦車や装甲車を破壊するために開発された弾薬の威力は、レインシックスさえ超越する。いくら魔造手術によって強化された肉体でも、無傷ではいられない。

 納得する。連中はただの愉快犯ではない。こちらの身体をよく知った上でしっかりと対策を立てている。

まさか、ここまでやるとは。

だらりと下がった左腕を一瞥し、リジェッタは奥歯を強く噛んだ。痛覚を意識下に置き、構わずに走る。

エレベーターは使えない。待ち伏せされている可能性がある。

落ちる速度で階段を下りていく。はて、このビルはなんのビルだっただろうか。廃墟ではなかったはずだが。

それにしては、あまりにも静かすぎはしないか。

「まるで、誰もが息を殺しているかのように。……皆さん、そんなことをしても妖精さんは現れてはくれませんのよ?」

 いつの間にか、リジェッタの右手がナイフを握っていた。

 ついさっき寝床を失った三百ミリの刃が裂帛を大気に刻む。

 階段の踊り場、振り向きざま放った一撃が敵の脳天に突き刺さった。それはナイフが引き抜かれた額の穴から脳髄と血液、脳味噌の一部をこぼして絶命する。

 背後からリジェッタに飛びかかったのは、一言では形容しがたい生物だった。人間の首と胴体、巨大な兎の脚、両腕は蝙蝠の翼と蟷螂の刃の中間、そして頭部は鼻が潰れた犬だった。

 より正確に言えば、顔の鼻から下が犬で上は人間のままだった。縦長の口から、力なく舌が垂れ下がっている。

 結合部には紫色の縫い痕が痛々しく残っている。自然界に存在していたのではない。人工物だった。

混合魔獣キメラですか」

 魔造手術によって人のカタチを失ってしまった者達を卑下する意味で混合魔獣と呼ぶ。

「魔物の肉体を正しく人間の範囲に加工するのは値が張ります。ならば、繋ぐだけならよほど安上がりで済む」

 足元に倒れた化け物の目が、そこだけは持ち主ままである人間の双眸が生の終わりになにかを訴えていた。

 一瞬だった。

 四方八方から真っ白な帯が飛来した。リジェッタの身体中に巻き付き、動きを封じる。試しに力を入れてみるも、絹のように白き帯は鋼鉄の鎖さえも引き千切る剛力に耐え切った。

 白帯の逆端は壁から直接生えていた。この場合は、ビルの壁を貫通する威力で撃ち出されたのだと判断するべきか。

「無駄だ。そいつは蜘蛛女帝アリアドネが獲物を捕える際に使う特殊な蜘蛛糸だ。腰に巻くベルト程度の太さで機関車の加速さえも封じる。いくら《偽竜》だろうとも、逃げられはしない」

 嘲りしか含まれていない声が、階段を上がって来た。


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