第一章 ⑥
エントランスホールに、人の数が増え始めた。大半が、これから帰路に着く客ばかりだった。
オークションも終わり、ティータイムも終えた。あとは家に帰るだけ。――とは、いかなかった。
リジェッタは窓の外を眺めるフリをしつつ、耳を傾けていた。
「今回のオークションは失敗だった。ろくな物が手に入れられなかった」「さっそく手術の準備だ。今度こそ、理想の瞼を手に入れてみせるぞ」「では、サウスエリアではまた暴動が?」「そろそろ屋敷に戻らないとパーティーに間に合わないわ」「ママー。トイレー」「グルッペンの株は値上がりしたのか?」「鉱山の採掘権を持っている連中が羨ましいよ」「わん! わん! わん! わん!」
耳へと、雪崩のごとく音が流し込まれる。エントランスホールどころか、階段を下りている最中の老紳士が咥えているパイプの中で煙草が崩れた音まで聞こえた。
人間の耳ではありえない領域だった。それは先天性のモノではなく、魔造手術によって得た能力だ。
リジェッタの耳の内部、音の振動を伝える鼓膜や耳小骨、電気信号へと変えて脳へと伝達させる蝸牛は、極東の島国でのみ生息する鴉天狗と呼ばれる亜人系の魔物から移殖された。その聴覚は、どんなに小さい音だろうとも逃さない。また、蝙蝠と同様に人間では判別出来ない超音波まで聞き取れる。
まだ、足りないか。リジェッタは耳へと意識を強める。すると、外耳道つまり指を突っ込める耳穴の内側に突起が伸びた。骨から生まれた突起は音を吸収、反響して鼓膜に伝わる音を増幅させる。
「いいか。なんとしてもゴッフル銀行を出し抜け。この不景気じゃ、銀行だっていつ潰れるか分かったものじゃない」
違う。
「ねえ、ちょっとそこのお兄さん。今から私の店に来ませんか? 一時間たったの一万二千コルーで天国が体験出来ますよ?」
違う。
「いらっしゃい! いらっしゃい! 出来立てのミートパイが今なら一個百コルーだ。肉汁たっぷりで頬っぺたが落ちちゃうぞー」
ち、ち、違う。
「な、なんだ手前は!? いいか、ここは関係者しか立ち入りが認ぎゃぁあああああああああああ!?!?」
見付けた。
尻を弾かれたようにリジェッタは立ち上がり、階段へと駆け出す。誰かが話しかけるが、構わずに上へと、前へと。
赤い絨毯が敷かれた廊下を真っ直ぐに進み、一番奥にある右手側の部屋の扉へと手をかける。
開いて中へと足を踏み入れる。
「まあ」
想わず、口元に手を当ててしまった。
それほど広くない部屋の床に、黒服の男が三人転がっていた。ピクリとも動かない。喉元がぱっくりと切り裂かれていた。血が溢れ出し、木板を生暖かく濡らしている。
「お掃除が大変ですわね」
リジェッタは話しかけた。
まだ、生きている人間がいた。
窓が嵌められた壁を背にして立っているのは、赤いマントで身を包んだ誰かだった。フードで顔まで隠れ、口元が微かに見えるのみだ。
赤マントの右手には大振りのナイフが握られていた。緩やかな弧を描く刃は、血で濡れている。
転がっている男達に抵抗した素振りはない。反応さえ許さない速度で葬ったのだとすれば、尋常ならざる腕前だ。
「あなたに、お聞きしたいことが二十四いいえ二十五点ほどあります。なるべく抵抗しないで降参してくださることを望むのですが、いかがでしょうか? 私勝手な提案で申し訳ございません。何分、生け捕りというのは慣れていないのです。皆さん、腕が一つ花火になっただけで左胸の演奏を終了させてしまうのですから」
強化聴覚を解除したリジェッタの右手が、レインシックスへと伸びていた。十四ミリ口径のホローポイント弾は、身体のどこに当たっても致命傷を負わせる。
「私の提案、呑んでくださいますか?」
とうとう右手が銃把を握った刹那、
「悪党の言葉など聞けん」
銀の閃光が喉元へと走った。
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