第25話



 夜は過ぎ、やがて朝が訪れた。


 誉田駅と書かれた看板を掲げる駅舎の前に、一台のバンが停車した。エンジンが止まると、電動のスライドドアが開いて、中からひとりずつ子供たちが降りてきた。


 瀧、マル、そして小夜の順番だった。車を降りた三人は、それぞれのやり方で凝り固まった足腰や筋を伸ばし始めた。


 その間に小夜の叔父が車の後ろに回りこみ、リアゲートを押し上げた。積んであった子どもたちの荷物を下ろす為だ。


「あ、すみません。自分たちでやります」


 叔父の行動に気づいた小夜とマルが、すぐに荷物を下ろすのを手伝った。荷物のない瀧だけが、立ちん坊で手持ち無沙汰になっていた。


「じゃあ、小夜ちゃん。元気で。お友達を連れて、また誉田村に遊びにおいで」


「はい、ありがとうございました」


「あ、お世話になってました」


「日本語おかしい。なりました、だよ」


「なりました」


「おっ、素直」


 叔父は瀧とマルのやり取りを聞いて楽しそうに笑った。別れの時間は短かった。叔父は太くてがっしりした手を振りながら、車に戻って行った。


 三人は荷物を持つと、駅の入り口へと歩いた。予定では二十分後に電車が来るはずだ。だが駅舎に入っても人の姿は見えず、小さな待合室は空だった。


 改札をくぐるまで、朝食に出たおかずの好き嫌いについて主張しあっていた三人だったが、ホームに入った途端におしゃべりがピタリとやんだ。


 駅から見える景色の広大さが、三人の言葉を奪った。見渡す限りの畑と格子状に広がる農道。そこに動きをもたらす人の影はない。朝の少し湿った空気が音を奪うのか、鳥の鳴き声の他は何も聞こえなかった。


 ひとり、またひとりと景色から目を外し、一行はホームのベンチに腰を下ろした。


 それぞれが違う方向を向いて座っていた。荷物を両手で抱える。頬杖を突く。首を覆うように腕を組む。異なる格好をしていたけれど、どこかで友達を気にしてそわそわしていた。いつもそれぞれ好き勝手に行動しているのに、今はやけに相手の考えている事が気になった。そのくせ誰も大っぴらに詮索しようとはしない。


 もうすぐ電車が来る。時計の針は確実にひと目盛りずつ動いていた。けれど三人の間に流れる待ち時間は重く淀んでいた。


 静寂を割ってチーンと小さな鐘を鳴らすような電子音がした。さらにもう一度、最後にもう一回。そして沈黙。


 音が完全に消えても、しばらく誰も動かなかった。誰が最初に根負けして反応するか、我慢比べのゲームをしているようだ。


「僕のかな?」マルがもそもそと荷物を漁り出した。小夜と瀧は答えない。しかし瞼の下では、こっそり友人の様子を追いかけていた。


 ようやっとマルがバッグの中から自分のスマホを取り出した。画面を見て肩を落とす。


「ああ父さんだ」


「なんて?」瀧が止めていた息を一気に吐き出した。


「ええと、『気をつけて帰ってこいよ』だって」


「パパ、優しい」


「『そうそう、帰りに秋葉原の電気街に寄ってこの型番のCPU用のファンを買ってきて欲しい』ともある」


「なんだよ。そっちがメインの用事じゃないのか。お前の親父も筋金入りのオタクだな。俺の親なんかさ――」


 無人の野に甲高い警笛の音が響いた。線路に電車の姿がおぼろげに見えていた。三人は互いに顔を見合わせ、同じ思いを共有した。


 誉田を去る時が来た。

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