ちょっとぐらい人格がたくさんあってもいいんじゃないか。

@kamometarou

ちょっとぐらい人格がたくさんあってもいいんじゃないか。

<現在・かな>


この先私は、一体どうやって生きていけばいいのだろう。

考えるだけで、視界が真っ暗になり、目に涙があふれてくる。

私が何か悪いことでもしたというのか。あるいは、私の今までの人生に、苦しみが足りなかったから、神様が「あなたはもっと苦しむべきですよ」と言うように苦しみを私に与えたのだろうか。


この多重人格という神経障害が治る、あるいは自己の中に内在する複数の人格が互いに協力し合って共存できるようにならない限り、私は大学にいって学業に励むことも、はたまた就職することもできない、そんな不安が私に押し寄せては引いていく。


もし、仮に病気が快方に向かい、分裂している人格たちが一つに統合し一人格として成立する、あるいは別人格たちが消滅する、あるいは各人格たちが統率を取り合い日々の生活を送るうえでさほど困ることがなくなるにしても、その前に私は私として生きていくことそれ自体がまず怖い。


今まで、何かに成功したという試しがない。何かをうまくこなせたという経験がない。ほんとうに失敗ばかりの人生だった。それは、必ずしも解離性同一性障害(または多重人格)が原因ではない。


コミュニケーション力が低いゆえに、友達とはうまく付き合いができないし、自分の容姿にも自信がない。さらに、運動もできなければ、やりたいことや夢もこれといってない。


新しい場所で新しい人間関係を築いても、またうまくいかなくなる気がする。もう何をやったて、どうせすべてうまくいかないんだ。


かといってこのまま逃げ続けるわけにもいかない。


ああ、こんな情けない自分が心底嫌になってくる。

私は、一体、どうすればいいんだ。


真っ赤に腫れた目をこすりながら、ベットの上に転がるぬいぐるみの上に、顔を突っ伏した。



<5か月前・しゅん>


自宅付近を流れる大きな川の両方向に設けてある、河川敷の上をひたすら歩いた。

なぜこの場所に来たのかはわからない。

だが、この場所は何度も訪れたことがあるし、家への帰り方も知っているので、難なく僕は岐路についた。


河川敷を出て住宅街を横切る大きな通りへ入り、ひたすら自宅の方向へ歩を進めていた。

一時間ほどの経過の後、反対方向から歩いてきた知らない青年に声をかけられた。


「おー!やっほー!」


んあ?!なんだこいつ!

服は白の下地に黒いインクがべちゃっとついたような模様のパーカで、顔には黒いマスクを着けていた。


「しゅんちゃん?」

「あ?そうだが。お前がれおか?」

「うん。よろしくね」


それでやっと合点がついた。この、少々柄の悪い青年は、僕たちの主人格であるかなの交際相手だ。今回が初対面だった。


数日前に、初めてれおとはチャットにて連絡をとったが、数分前に会う約束をした。というのも、れおが、ちょうど今日かなに会う予定があったようで、たまたま地元に来ていたのだ。


にしても、こんな柄が悪い奴だとは思わなかった。


「おまえ、想像とちがうわ。」

「ああ、そう。そうなんだね。逆に、どんなんを想像してたの?」


れおとは、あれこれと話をしながら自宅の方へ向かって並んで歩いた。しばらくして、れおが少し真面目になった表情で、こう言った。


「しゅんちゃん、解離性同一性障害って、知ってる?」

「あ?なんだそりゃ。」

「いわゆる多重人格のことなんだけど、しゅんちゃんみたいに、人格がいくつもに分離しちゃう神経疾患の一つだよ。」


僕は、多重人格という言葉は知っていた。また、自分がまさにそれにあたること、自分が主人格であるかなの交代人格であることも、重々心得ていた。

それは、生まれてから誰に教わるでもなく、勝手に得た情報だった。


「ああ、多重人格はしってるぞ。僕は、主人格のかなを助ける役目なんだ。」

「まじで。そうなの。」

「そうだ。だから僕は、かなが困ってるときにしか、基本的には出てこないんだ。」

「それってまるでヒーローみたいだね。」

「まあ、僕はそのために生まれてきたようなもんだからな。」

「まじか。」


そうこう会話を繰り広げているうちに、自宅付近まで辿りついた。れおに短い別れの言葉を告げ、踵を返した。



<5年前・しゅん>


突然視界が明るくなった。眩しい光に目をしょぼしょぼさせながら、当たりの状況を確認した。


どうやらここはどこかの学校の教室のようだ。僕の周りには、制服を着た女子生徒が数人戯れ座っている。あたりががやがやしていてうるさい。しかも、その声といえば男の声は一縷も混じっていない。ここは女学校かな。


そして、目の前の倒れている机に気が付いた。足が四本ともこちらを向いている。そこで、ようやく自分が足で机を蹴ってしまっていたことに気づいた。


しかし、とにもかくにも、今いる場所はどこなのか、確認せねば。

ちょうど一番近くに座っていた女子生徒に、こう尋ねた。


「おい、ここどこだよ。」「おまえだれだ?」


返事はなかった。こっぴどく無視された。

んあ?なんだこいつ。


「おい、おまえ聞いてんのかよ。」


相変わらず、何の返答もなかった。



<7年前・かな>


小学校と中学受験のための塾を終え、家に帰ってきた。

頭がガンガンする。体も重い。


受験をまじかに控えているというのに、私は自宅に帰るなり食卓のテレビをつけて、特に内容も追わずにボーと画面を見つめていた。


それは、半分やけになっていたというのもあるだろう。もう、本当は勉強なんかしたくなかった。もう、疲れた。でも、誰に甘えるわけにもいかない。私は長女だ。


「テレビなんかみてちゃ、だめだよ」

という自分自身の心の声を聴き流しながら、しばらくテレビの画面に張り付いていた。


そして、一、二時間そうやってボーとした末、私はベランダに出た。

ベランダの隅に転がっている足踏み台を持ってきて、その上に乗った。

つま先立ちになって上半身を持ち上げ、頭をベランダの外に出した。

下を見ると、地上10階からの景色に一瞬ぞわっとなり、身震いがした。


私はいま、死のうと思ってここに出た。

もう、生きているのがつらい。

小学校での人間関係ももつれっぱなしだし、もう生きていたって苦しいだけだと思った。

さあ、飛び降りるんだ。自分に言い聞かせた。


でも、ベランダから下の景色をおそるおそる眺めるたびに、足ががたがた震えた。

私は、涙腺からこみあげてくる涙を制止できるほど強いメンタルを持ち合わせてはいなかった。

一度あふれ出した涙は、もう止まることを知らずに、それから永遠と頬を伝い続けた。


そこに一体何時間いただろう。

気づいたら、空が夕焼け色に染まっていた。


「死ぬのは、やめよう。」

やり場のない悲しみと死への恐怖感が、唇で感じる涙のしょっぱい味と混ざり合い、死ぬことがどれほど難しいことかを、私に痛感させた。


この悲しみは、いつかは消えるかな。私はほんの少しだけ期待している自分に気づいた。

明かりが灯るリビングへ、よろめく足を動かしながら進んだ。



<5年前・かな>


ビショビショになった体に不快感を覚えながら、プールの更衣室へ入った。

入口のドアを開け、生徒たちがすしずめになった更衣室に入るや否や、思わずため息がこぼれ出た。


プールの時間は、いつも憂鬱だ。運動が苦手な私にとって、泳げないところを無理やり水の中に入らされて、何とか形だけでも泳ぎのフォームができるようになるようにという先生の指導は、ただの公開処刑でしかなかった。

あとから、クラスのみんなに笑いものにされるのだ。


女子制の中高一貫校に入学してから、はじめこそ人間関係はうまくいっていたものの、だんだんと周りになじめなくなり、そのうちクラスのグループの輪から外されて、気づいた時にはいじめの標的になっていた。


毎日が、地獄のようだった。

それでも学校にはなんとか通い続けていた。唯一の楽しみは、週末数人の友達とカラオケに行くことだった。お小遣いのすべてをカラオケに費やし、あとは食べたいものや欲しいものがあっても我慢していた。


唯一の数人の友達とのカラオケが、私にとって、ある意味そのときの希望だった。


自分のロッカーにたどり着き、タオルを出し、体をふいた。次は服…と、前に手を伸ばすと、そこに授業前入れたはずの服がないことに気づいた。


でも、私はそれに驚いたりしなかった。どうせ、いじめっ子がやったに決まってる。足元、ロッカーの上、身の回りすべてに目を通した。だが、見当たらない。


これには少し私も焦った。服がない?!

水着をもう一度着て、更衣室を飛び出し、プールサイドを探した。

注意深く調べたが、やはりどこにもなかった。


次に目にした光景をみて、私はなんとか堪えていた涙をついに抑えることができなくなった。

プールに、私の服が投げ込まれていた。

悲しみをこらえるだけの力もなく、ほとんど無意識に足が崩れた。


プールサイドに転がった小さなほこりを見つめて、なぜかほこりに愛着を感じた。

そんなところで、君は何してるの?そんな声が聞こえたような気がした。



<4年前・かな>


担任の紹介で、一度スクールカウンセラーのところに行った。

藁にもすがる思いで、私は話せることをできるだけ話した。


だが、その時スクールカウンセラーの口からでた言葉を聞いて、私は軽いめまいを覚えた。

つい、頭を横方向へぐわんと揺らしてしまった。


「担任の先生や、お友達に、あなたの言っていたことが本当か確認をとってみました。

 あなたは、ある事ないことをすべて真実のように語っています。

 したがって、妄想性パーソナリティ障害が疑われます。

 また、お友達の証言によると、時々がらっと人格が変わったような振る舞いをすることがあるようなので、同時に演技性パーソナリティ障害も疑うべきでしょう。」


この世に私の理解者はいない、私は、そう、確信した。



<3年前・かな>


中高一貫校の高校のクラスへ進学し、私は荒れに荒れた生活を送っていた。

中学の頃はなんとか通えていた学校もついに通えなくなり、しかし親にそれを知られることが嫌だったので、授業時間中は学校の近くにある公園や土手にずっと座っていた。


また、家へ帰ると、食欲もなく、何をする意欲もわかないので、夜になるまで部屋のベットに横になりずっと考え事をしていた。


家族が寝静まったあと、ひっそりとリビングへ向かい、冷蔵庫の中の食品をひっくり返し、胃に詰め込めるだけ平らげた。そして吐いた。吐いて、吐いて、吐いた。


食べ物を粗末にしてはいけない。そんなことはわかっていた。しかし、嘔吐の際に感じる快感が、私にとって唯一のストレスのはけ口だった。


たまに吐くことに失敗すると、喉が切れて血が出て痛むが、そんなことは私には何の問題にもならなかった。


そして、決まって週三、四回は、深夜に家を飛びだし、夜のしんと静まり返った街を徘徊した。雨の日は、屋根が設けてある場所がある公園に行き、そこでずっと座っていた。


親にばれているかどうかはわからなかった。気づいているかもしれないし、気づいていないかもしれない。だが、私はそんなことはどうでもよかった。親が何も言ってこないのだから、私のこの唯一の逃げ道を塞ぐ理由などどこにあるのか。


深夜に頭の狂った大人が通りかかり、私のことを刃物で刺して殺していってくれればいいのになと、そんな期待をしながら、来る日も来る日も、夜が明けるまで街をうろついていた。

自殺をすれば迷惑料がかかり、家族に迷惑がかかるが、誰かに殺されれば、さほど迷惑はかけないだろう。


そのうち私は、朝学校に行くふりをして家を出ることもなくなり、朝と昼はずっと家に引きこもるようになった。そして夜になり皆が寝静まれば、例のように過食嘔吐をし、家をひっそりと抜け出し深夜の街を徘徊した。


そんな生活をしていても、家族には何も言われることはなかった。叱責もなければ、癒しの言葉もなかった。

朝、昼、晩、ベットの上でひたすらボーとして、深夜に部屋から出て、冷蔵庫を開ける。


そんな生活が、長いこと続いた。

 


<3年前・しゅん>


自宅付近の河川敷で、深夜に久しぶりにかなと会った。

原因はわからないが、なぜか、最近はかなとしばらく会っていなかった。


「あ。しゅんちゃん。」

かなが嬉しそうに、やさしく微笑みかけてきた。


「おお。かな。久しぶりだな。」

僕も明るく応答した。


僕たちがいま話している場所は、かなの頭のなかの、広場のような場所だ。右も左も前も後ろも、どこを向いても真っ白な地平線が果てしなく広がっている。


かなの体は、今河川敷に腰を掛けているのだが、かなが今見ている景色は、河川敷の風景ではなく、心の中にできたこの広場の風景だ。


非解離性障害の人が過去の記憶に身を浸し、現在の意識を失うように、解離性障害の人も、脳内にできたその広場のような場所に、全意識を持ってくることができる。


そこでは、交代人格たちが寝たり、おしゃべりをしたり、オセロで遊んだりしている。

ただし、基本的にはそのとき表出している人格はその広場から姿を消し、時折上記のケースのように広場に少しの間戻ってきて他人格と交流をすることがある。



<2年前・かな>


散々に乱れた生活を送るようになってから約一年目、私は普通性の中高一貫校を退学し、通信制の高校に通うようになった。それに加えて、学校に行けない子供たちの通う大学受験用の予備校に週五のペースで行き、一日の大半をそこで過ごしていた。


なぜそのような変更があったかというと、娘のためにという親の計らいだった。


二年前から、新たに塗り替えられた私の生活リズムは、こんなところだった。

朝は塾に行き、一日を塾や塾の周りのファミレスで過ごして夜に帰ってくる。そして家に帰ってくると、部屋に住み着いている十数匹の蛇に餌をあげる。それから夜になるまでずっとボーとして、皆が寝静まったころ、一人で冷蔵庫を開けて過食嘔吐をする。そのあといつものように家を飛び出して深夜俳諧をし、朝に家に帰ってきて、そのまま塾に向かう。


つまり、私はほとんど睡眠を取っていなかった。寝たとしても、せいぜい四日に一回だ。しかしそれは数年前からずっとそうだった。ひどい不眠症だった。それでも、体の不調はそれほど顕著に表れることもなく、日々の生活を送っていた。


不調といえば、毎日毎日激しい腹痛に襲われることくらいだ。ひどいときは、一日中部屋で寝込んでしまって、外に出られない。


食欲がなく、本当に少量しか食べ物が腸へ回っていないはずなのに、来る日も来る日もお腹の痛みが必ずあった。


また、家に帰り自分の部屋に入ると、母が私を殴ってきた。そして、隣のリビングからは、四六時中こんな声が聞こえていた。


「ばーか。」「ダメな子ね。」「早く死んじまえ。」

その声の持ち主は、母と、父の声だった。


だから私は、家にいることを徹底的に拒み、また家にいるときは何もする気にならず、時にずっと涙を流しながら、ボーとするほかなかった。


それに関しては、三年前にはなかったことだ。

これでもか、これでもかと、まるで拍車をかけられるように、私の精神は前にもまして荒廃する一方だった。


ここで、少しこの当時のことを俯瞰視した書き方をするが、この当時私が見ていた「部屋に居座る蛇」や「母が殴ってくる」「隣の部屋から聞こえてくる虐待ともとれる両親の発言」は、すべて私が見ていた幻覚である。


しかし、この当時はもちろんそれを知る由もなかったため、本当に本当に辛かった。現実と非現実の境界線が、(今でも定かではないが)皆目わからず困惑する一方だった。すなわち、ほんの少しは自分の見たり聞いたりしていることが真実ではないかもしれないという疑念も持ち合わせていた。


なお、幻視、幻聴があまりに酷い場合、ひどいパニックを起してしまうこともあった。



<5か月前・しゅん>


「おい?てめえだれだよ」

電話口から流れてくる知らない男の声に、僕は声を張り上げ叫んだ。


「れお。かなの彼氏だよ。」

男が自己紹介をした。


「君は、だれ?名前は?」

こんな質問をしてくる。


「んあ?名前なんてねえよ。なんでお前に教えなきゃなんねえんだよ。」

僕はこの男に心底イライラしていた。

れおのことは、かなから聞いていて大体知っていたが、長い間かなを守ってきたのは僕なのに、こんなポッと出の男にかなを守られてたまるかよ。そんな風に感じていた。


れおとかなは、今から二か月前に出会い、最近交際関係に至ったらしい。れおは、かなが自宅にいずらいのを思い煩って、自分の家に置いてあげたり、さらには深夜俳諧をするくらいならと、早朝に自分の家に来て仮眠をとっていいよと言うなどといった計らいをしていたのだが、それが僕にはなんだかとても許せなかった。


新米のくせに。調子に乗りやがって。心中ではそう思っていた。


第一、この男はなんで僕のことを別人格だと見破ることができたのか。演技を暴かれ、さらに腹立たしかった。


僕たちは、他人の前では、普段かなの演技をする。といってもそれは、僕の交代人格たちへの統率があってこそ成しえている技なのだが、三年前、かなが家に引きこもり気味になった時から、やっとそのような交代人格の統率を取ることに成功し始めた。


僕にとっては、かなが家に引きこもり気味になってくれたことは、むしろ有難かった。なぜなら、今までの自分たち(交代人格たち)の在り方を見直し、よりかなが社会で生きやすくなるよう、交代人格間の統率を試みる絶好の機会となったからだ。


まず、第一に、他人の前で僕たち(交代人格たち)が素を出すと、相手が困惑することは明らかなので、他人の前では必ずかなのふりをして演技をしなければならないというルールを設けた。


五年前、女学校のクラスにてかなのクラスメートが周りを取り囲む中で、僕が思い切り素を出してしまったという失敗もあり、どうすればかなが多重人格でありながらも生きやすくなるのかを試行錯誤した結果だ。


また、もう一つ厄介な事例が、試験時間中に人格交代してしまうケースだ。僕たちは、自分の意志で人格交代をすることもあるが、自分の意志ではなく、仕方なく人格交代が行われてしまうケースもある。


例えば、試験時間中にかなから僕に人格交代した場合、かなの記憶を僕はもっていないので、代わりに僕が試験を受けるということはできなくなる。僕の学力では、かなの受ける試験など到底歯が立たないからだ。だから、そのような際は、周りに怪しまれないように、適当にペンを動かしてさも問題を解くのに集中をしているふりをするというルールを設けた。


これも、かなが引きこもり気味になっていた時に僕が脳みそを絞って考えだした対策だ。


さて、にしても、電話の相手はなぜ僕の演技を見破れたんだ。


「なんでおまえ、僕がかなじゃないってわかったんだよ。」

「えと、だって、一人称が僕になってたから。」


まじか。僕のしたことが。手元にあるスマホのチャットを確認した。本当だ。何度も続けて、「僕」と打ってしまっている。やってしまった。


「あとは、僕、心理に詳しくて、解離性障害のこと、知ってるからさ。」

「なるほど。だけどな、おまえ、なんで別人格の疑惑が出たところでいきなり電話かけてくんだよ。ビビるわ。」

「うん、ごめんね。僕、即行動派だから。」

「はあ、あっそ。うぜえ。」


この男、やっぱり気に入らない。

そして次に男のした発言は、少々意外だった。


「ねえね、君、もしかして、しゅんちゃん?」

「んあ?!おまえ、何で僕の名前知ってんだよ。」

「あ、そうなんだね。やっぱり名前あるじゃん。」


僕は、性別が男にかかわらず、かなからはしゅんちゃんと呼ばれていた。

だが、なぜこの男がそれを知っているのか。

かなは、まだ自身の多重人格の症状の自覚や、僕がかなの交代人格であること等々を、知らないはずだし、僕もそれを隠していた。かながひどく困惑するのを恐れたためだ。


男が、僕の疑問に応答した。


「しゅんちゃんっていう子は、もともとかなから聞いてたんだけど、それがかなの交代人格だったとは、僕も今の今までは知らなかったよ。今回は、勘かな。」

「ほう。」

「かなは、しゅんちゃんのことを、深夜外をうろついてるとたまに会えるとってもかわいい男の子って、そんな表現をしてたよ。でも、もしかしたら自分の見てる幻か何かで、ほんとは存在してないのかもしれないともね。」


そうゆうことだったか。何となく、頭の整理がついた。

しかし、この男にいちど、ぜひ会ってみたいものだ。僕の予想では、この男は、きっとオシャレにも気を配れないような、髪なんかはぼさぼさの男に違いない。


今度、機会があれば約束して会ってみよう。思った通りの男だったら、一発殴ってこう言ってやろう。


「おい、おまえ。ちゃんとかなのこと幸せにできんのかよ。幸せにしろよ、わかってんのか。」



<5か月前・かな>


友達が死んだ。

小学校高学年の時、同じ塾にいて、私と同じように心に闇を抱えている友達だった。

当時、私にとって、かけがえのない、唯一分かり合える友達だった。


死因は自殺だ。

家に帰ってきたとき、開口一番に母から知らされた。


私は、母からその知らせを聞いた時、膝から崩れ落ち、喉から嗚咽のような声を出し泣いた。

確かに精神不安定な子だった。付き合いやすい友達とは、大きくかけ離れていた。なんの予兆もなく、いきなりジュースをかけられたり、ぶたれたりしたこともあった。

「お前なんて嫌いだ。」

その言葉を、私は何回言われたことだろう。

それでも、私はあの子と長らく親密な関係を持っていた。お互いに似ている部分が多いというのもあるかもしれない。


なのに、あの子が自殺だなんて。

なんで、なんで誰も助けてあげられなかったのだろう。


ひたすらに髪を掻きむしった。大きくなってみっともないが、小さいころに回帰したように、私は大声を出して泣き続けた。


私は、今日、人生で初のキスをしてきたところだった。初めてできた恋人と、塾を終えた後繁華街を練り歩き、ちょうど別れ際に、互いに接吻をした。

そんな幸福感に浸るさなか、上から下へぐわんと振り落とされるような感があった。


翌日、その翌日、さらにまたその翌日と、ずっと部屋に引きこもり続けた。

最近は割と頻度も減っていた過食嘔吐も、また毎日やった。

友達の自死によるショックはこれほどまでに大きかった。


引きこもり続けて約一週間後、彼氏が自宅付近まで足を運んできてくれるまでは、自分以外の人間と、まったく交わることをしなかった。



<現在・ゆめ>


「もー!ゆめお腹すいた!ご飯食べたいー!!」

目の前にいるれおにだだをこねた。


「いいよ。じゃあ、小麦以外のものなら何でもいいから、一緒に食べに行こ!」

れおが答えた。


「えー!なんで小麦以外なのー!ゆめピザが食べたいのに!!」

「だって、小麦食べちゃうと、みんながお腹痛くなっちゃうじゃん。小麦食べるとお腹痛くなる体質なんだから。」


れおまで私に嘘をつく。小麦製品を食べるとお腹が痛くなる?そんなことはない。しゅんちゃんも、かなも、みんな小麦を食べるとお腹が痛くなるって言うけど、私はちっとも痛くなったことないもん。みんながみんなで私に嘘をついていじめるんだ!!


「みんなひどいよー!えーん!!」

「ほら、ゆめちゃん、ちょっと一回外でない?」


ゆめは、年齢にしては中一くらいの女の子だ。かなの交代人格として、中学生のとき、かなから分離して生まれた。

ゆめの性格としては、とにかく食いしん坊、明るい、能天気、とても素直、可愛げがあるということがあげられる。


今、ゆめとれおはかなの部屋にいるが、それは、ゆめとれおとの面識を経て、かなの精神科への通院を経て、れおとかなの母親との面識を経て、と、ずいぶんと色々な段階を登ってきた末の行きついた先である。


一時間ほど前までは、人格としてはかなが出ており、かなとれおとが談笑をしていたのだが、ふとした拍子にゆめに変わってしまった。


かなは、世のほとんどの食品に含まれる小麦に対して、胃腸が敏感に反応してしまう体質で、小さなころから小麦の含まれる食品を食べることを控えてきた。

というのも、小麦食品を食べてしまうと、とてつもない腹痛に襲われ、ひどいときには一週間、ずっと寝たきりになってしまうのだ。


だが、それがどうしたことか、ゆめの場合、他の人格たちのように小麦を食べてもお腹の痛みを感じない。さらに悪いことには、ゆめがご飯を食べると当然かなの体には肉がつくのだが、ゆめという心象には、肉がつかないのだ。つまり、ゆめは、食べても食べても太りもしないし、お腹も痛くならない。


今では、かなは精神科に通院するようになり、自分が多重人格を疑われること、またゆめがどのような存在であるかを承知であるが、それを知らなかった頃は、さぞ原因不明の腹痛に困惑したに違いない。


また、食事を全然とっていないのに、いつになっても食欲がわかないし、またいつになっても体重が減らないのは、すべて人格交代した際にゆめがご飯をお腹いっぱい平らげているからなのだ。


「えー?外?だってピザ食べれないんでしょ。外いったって意味ないじゃん!!」

「よしよし、でも、ゆめちゃん、ほんと成長したよね。小麦食べないでっていったら極力食べるの我慢してくれてるし。ありがとね。」


そうだそうだー!ゆめは偉いんだ。

みんなからもっと称えられるべきなのに。だけどしゅんちゃんは食べ物食べるとすぐ怒るし。

もうやってられないよ!



<5か月前・かな>


ベットの横の窓から、朝日が異様に照り付けてくる朝だった。

大切な友達が死んでから、二週間。私は、昨日五駅先の墓地まで、友達のお墓参りをしに行ってきた。


まだ決して、受け入れることなどできていない。だが、ある程度は少し気持ちを整理できた気がする。


ベットから身を起こし、顔を洗いに洗面所へ向かった。

行きがけに、母に声をかけた。


「私、昨日、あやのお墓言ってきたよ。」


母の返事は、

「あやって?」


「え、お母さんがこないだ、死んだって言ってた、小学校のとき塾が同じだった子。」


母の返事。

「え?ごめん私そんな子知らない。それに、そんなことかなに言ったっけ?なんか勘違いしてるよ。」



<5か月前・あや>


うざい。うざい。うざい。うざい。うざい。うざい。うざい。うざい。うざい!!


ああ、あいつ。肉たらしくてしょうがない。

同志だと思ってたのに、彼氏もって、幸せに浸って、にも関わらずいっちょ前に病みやがって。

あいつなんか、苦しめ、苦しめ。


とにもかくにも、かなのことがうざくてしょうがなかった。かなとは、もう小学校高学年からの付き合いだ。だというのに、あいつは私を裏切った。幸せになりやがった。


私は、そこでかなにちょっぴり意地悪を仕掛けた。私が死んだという情報をかなに流せば、かなはきっと悲しみに泣き崩れるに違いない。


私は今も毎日苦しいのに、あいつは一人だけ何なんだ。

さあ、一人で苦しみなさい。


私は、それから三週間、かなに生きていると気づかれないように存在感を消した。



<1か月前・れお>


ここは、とある大学病院の9F。

面会者と入院患者用の、飲食ラウンジだ。


左手にはコンビニがあり、右手側はガラス張りの大きな壁になっている。コンビニと壁の間にできた大きな空間に、たくさんの机と椅子が並べてある。


僕は今、かなのお母さんと向き合う形で座っている。

今、かなは精神科に入院中だ。


少し、状況を整理しよう。

まず、なぜかなが精神科に通院することになったのか。


五か月前、僕は、かなに精神科への通院を勧めた。それは、明らかに迅速に精神科にて治療をすべく症状が出ていると思ったから。

だが、かなはそれに断固として拒絶し続けた。

かなが反対していた理由は、そんなことを言い出そうもんなら、両親にこっぴどく叱られると思ったから。それと、両親に、「おかしい子」なんだと思われたくなかったから。


かなは、ご両親に僕や塾の専属カウンセラーが代わりに話を切り出すことさえも、絶対に嫌だと言った。結局そんなことをしてあとから戒めを受けるのは私だからと。


僕は、小力で力及ばずながらも、自分にできることはやった。

親の承諾を得ずに通える機関を探して一緒に行ってみたり、かなが僕の家で休めるように取り計らったり、僕がカウンセラーのまねっこをしてみたり。


結果、とりあえずは塾の専属カウンセラーとカウンセリングをするというところまでは行きつくことができた。塾の専属カウンセラーは、「話をしたらすべて両親に筒抜けになるのではないか」という不安より、なかなか一歩を踏み出せなかったかなだったが、ある時突然意を決してカウンセリングをするに至った。


その後、毎日のように早朝に始発でかなが僕の家に来て仮眠をとっていく生活が続いたが、あるとき、こんなハプニングが起きたのだ。


ある大雨の日、台風が接近するさなか、僕の家に訪れたかなは、台風警報が発令されたため帰宅するのが困難になってしまった。

そこで、仕方なく腹を割りご両親に(かなはおそらくこのときやけになっていた)ご連絡することになり、連絡をしてみると、とても話の分かるご両親で、その後は精神科にたどり着くまでの道のりはすこぶる短かった。


そんなこんなで初診、通院、入院となり、今に至る。

かなのお母さんを前にし僕は、こんな話を持ち掛けた。


「かなの妄想の症状について、少しお話させていただけたらと思うのですが。」


「あら、いいわよ。何?」


僕は話を続けた。

「先ほどかなを交えた会話の中でおっしゃっていた、かなが小さい頃、母方の祖父母の実家で、花火をして遊んでいた最中に、かなが、うっかり手首に火傷を負ってしまったというのは本当ですか。」

「ええ。本当よ。手首にまだあとが残っているはずよ。」


「では、少し変なことを聞きますが、その花火の際の火傷は、おばあさま、おじいさまがかなに故意に負わせたものではないということですね。」

「あら。そんなわけないじゃない。おじいちゃんもおばあちゃんも、かなをすごくかわいがってたから。かなが花火でうっかり火傷した後は、みんなで大騒ぎしたのよ。」


「そうだったのですね。」

「実は、僕も、火傷の跡はかなに見せてもらっていました。ただ、花火でうっかり火傷しまったとは、言っていませんでした。かなは、この火傷は、自分が小さい頃祖父母に花火で故意にあぶられた跡だと説明してくれました。」


「それが、かなの妄想の症状だと、あなたはおっしゃいたいのね。」

「はい。そうです。」

「そうなのね。しかしそれにしても、ずいぶん大した妄想ね。」

優しそうな笑みを浮かべながら、かなのお母さんはこう返事をした。


孫を火であぶるなどと言えば、それはいわゆる虐待にあたる。それがもし真実であるならば、決して許してはならないことだろう。しかし、かなから聞いていた「虐待経験」は、それだけに留まらなかった。

僕は、かなのお母さんの表情を信頼して、さらに話を続けた。


「お母さん、でも、実はまだお聞きしたいことがあるんです。」

「ええ。」

「ただ、かなり直接的で失礼を顧みない発言になってしまうのですが…」

「あら。構いませんわ。」


僕は、お母さんの両眼をまっすぐに見つめて尋ねた。

「お母さんは、かなに、お前が生まれなければよかった、お前は私を苦しめるだけだ、といったような発言を、なさったことはありますか。」


かなのお母さんは、少しいぶかしそうな顔をしてから、

「いいえ。そんなこと言ったことないわ。というか、思ったこともないけど。」

「かなが、そんな話をしてたの?」


「はい。」

僕は答えた。


「かなは、小さい頃は、よく言われていたと言っていました。一方最近は、言われる回数は少なくなったけれど、それでも言われるとやはりとても辛いと。例えば、僕の知る限りだと四か月前に、一度そうゆう風なことを言われたといって、泣いていた時がありました。」


「あら、そうなの。それは辛いわね。」

かなのお母さんは、先ほどつくっていた優しそうな笑みを再び浮かべた。


もしかなのお母さんのいうことが正しかったとしたら、かなはとんでもない偽億を抱えていたことになる。

しかしかなは、よく「真実と妄想の区別がつかない。自分の記憶を信じられない」と口走ることがあったため、かな自身も幾分かは自らの記憶を疑っていたのだと思う。


にしても、すり替えられるには悲しい記憶すぎやしないか。

僕は、視線を落とし、黙って自分の両手を見つめ、やるせない思いに唇を噛んだ。



<5か月前・ゆめ>


顎が外れた。

しゅんちゃんのこぶしが飛んできたと思えば、次の瞬間にはもう口が閉じなくなっていた。


しゅんちゃんなんてもう嫌いだ。

ひどい、ひどすぎる。


昨日、私はかなの机に置いてあったお金を使って食べ放題のしゃぶしゃぶを食べに行った。お腹いっぱいおいしいものを食べて満足して、家に帰ってから、かなの脳内の広場に戻った矢先、しゅんちゃんに思い切り顔を殴られた。


しゅんちゃんは私にこう言い放った。

「食べすぎなんだよ!デブ!」


わかっていた。しゅんちゃんに怒られるのはわかっていた。いつもそうなのだ。私が調子に乗って沢山ものを食べると、すごい勢いでしゅんちゃんに怒られる。でも、今回の叱責はさすがに度が過ぎていた。


さらに、しゅんちゃんだけでなく、私としゅんちゃんのすぐ近くにいたあやにも、こんな酷いことを言われた。

「あんたは泣いてるほうがお似合いよ。ずっと泣いてなさい。」


みんなひどい。ゆめは、食べ物を食べるだけでこんなにも怒られるんだ。ゆめに人権はないんだ。涙がほほを伝った。


かなの脳内の広場には、かなと、しゅんちゃん、それから私、あや、そらがいる。


あやは、ここ最近は何故だか、影はおろか、存在感や気配までもを全く感じなかったのだが、数日前に再び姿を表した。


また、そらは、ずっと寝ているばかりの人格で、性別もわからなければ、口を開いても何を話しているのかわからない子だ。なにより話す内容が、支離滅裂なのだ。おそらく、日本語の文法を正しく理解していないのだと思う。


せめてそらだけでも、私の見方をして、しゅんちゃんと戦ってくれればな。そうすれば、私はおいしいものを思い煩うことなく好きに食べられるのに。


って、いっても、そんなこと起こるはずがない。

ああ、もういいや。うんざりだ。



<2か月前・かな>


私は、明日から精神科に入院することになった。

正直言うと、怖くて怖くて仕方ない。

病棟は、どんなところなのだろう。病棟には、どんな人たちがいるのだろう。看護師さんは、どんな人たちなのだろう。


明日からの生活のために、自分の気晴らしとなるようなものをバックに詰め込んだ。

便箋や、塗り絵、色鉛筆、植物の本、大体こんなところだ(私は、絵を描くことと、植物が好きだ)。


今夜はきっと、眠れないだろう。

窓から夜空を眺めていると、自分の人格がいくつかに分離をしているということや、頻繁に幻覚をみるということが、とても不思議に思えてくる。

私にとってそれは「日常的」であり「あたりまえ」であるが、そうでない人にとっては、やはり今の私と同じように「不思議だな」と感じるんだろう。



<3か月前・かな>


私は、精神科に通院することになった。

明日は、初診の日だ。

台風の吹き荒れる夜、私が半分自暴自棄になって親に彼氏の家に泊まらせてもらうことやその他の事情を話したら、両親が精神科のアポを素早くとってくれて、とある大学病院に、すぐさま診察を受けに行く運びとなった。


この時点では、まだ、自分の中にいくつもの人格があるということなど、さらさら夢想だにしていなかった。



<4か月前・かな>


彼氏の家が、彼氏の家じゃない!!

そう思って、家を飛び出した。

何も持たずに一目散に走って走って、定期が運よくポケットに入っていたので、最寄りの駅の改札を通り、自宅への帰路へ着いた。


飛び乗った電車の中で、ぐるぐるとせわしなく回る頭の中を整理しながら、さっき何が起きたかを順を追って思いだした。


まず、夕方休養を取りに彼氏の家にお邪魔した。その後、テーブルの上に教材を広げ、塾の授業の予習をしていたところ、急に意識がとんだ。そして、意識が戻ってきたとき、目の前の景色に、ひどく動揺してしまった。


机の上に置かれていたはずの、ふでばこ、テキスト、ノートが、すべてハチャメチャに投げられて床に散らかっていた。


そんな馬鹿な!私はノートなんて投げてないし、大体が、もし投げていたとしてもそんな粗雑なことをする人間はダメなやつだ。しかし、この家には間違いなく私しかいなかった。だから、投げたのは紛れもなくこの私なのだ。


つまり、わたしはダメな人間だ。はしたない人間だ。ものを大事に扱えないなんて!ダメな子なんだ!!そう思ったのだった。


揺れる電車の中で、意識を自分の身体感覚に戻したとき、自分をものすごい目力で見つめてくる物体の影を感じた。


おそるおそるその方向へと目線をずらすと、そこでは巨大ないもむしが私の身長ほどある直径の顔を突き出しこちらを凝視していた。


「ぎゃー!」

あまりのおぞましさに、神に祈った。


「神様、どうか、どうか私を、助けてください。お願いします。お願いします。」



<3か月前・あや>


私はもうすぐ死ぬ。

私、というよりは、かなの体自体が、もうすぐ息を潜める、はずだ。


私は、今さっき、精神科で処方された薬を大量服薬した。だから、もうすぐ私は死ぬんだ。


もう、この世界が心底嫌になった。

みんなが私を嫌ってくるし、母親は私を叱ってくるばかりだし、私に自由なんて与えられてないし、容姿が嫌だし、何にもいいことなんてないから。

毎日生きてたって辛いだけ。


「どんどん。」

ノックの音が聞こえた。


「ちょっと、かな。入るよ!!」

母親が入ってきた。私がこの世で最も嫌いな人間だ。いったい何のようなんだ。もうこれから死ぬっていうのに。


「かな、袋にいっぱい入ってた薬どうした?」

なんなんだ。もう私は死ぬんだ。ほっといてよ。


「もう私死ぬから。」

「え?何、なんて言った?」

「だから、私、もう死ぬの!」

「やめて、死なないでよ!」


そう言われてももう遅い。すでに薬は胃袋の中だ。

「もう遅いから。あとは待つだけなのよ。」


「ね、一緒に吐き出しに行こ。ね。」

「やだ!!私もう死ぬの!」

「ダメ、ほら、行こ。」

「やだって言ってるでしょ!」



<3か月前・かな>


あやが自死をしようとした夜から、三日後。

かなは自分の部屋で突然意識を取り戻し、目の前の景色にいささか驚いた。


部屋が水浸しになっている。

私の前は、どの交代人格がでていたのだろう。あやだろうか。


あれま。これは掃除が大変だ。ため息を漏らしながら、かなは部屋の外に雑巾をとりに行った。



<3か月前・しゅん>


「おいあや、どこだー!」

広場にて、僕は大声で叫んだ。


「おーい!出て来いよ!おまえがやったのはもうお見通しなんだよ!!」

「やってないって言ってるじゃない。私がやったんじゃないわ!」


ったく、あやのやつ。どこまで言い逃れすれば気が済むんだ?

他所の家行って物投げて散らかしたり部屋水浸しにしたりするのあやしかいねえだろ。どう考えてもよ。

「おーい。出てこねえとぶっ殺すぞ。」


「しゅんちゃん、もういいじゃん。」

かながあやの肩を取っている。


「あ?だってあいつ怒んねえと反省しねえだろ。もう次同じ事したらただじゃおかねえぞ。」

かなが外の世界に意識を戻したのか、広場の外へと消えた。


「しゅんちゃん、激おこぷんぷん丸ー!!おもしろーい。」

ゆめが煽ってくる。


「んあ?ゆめは黙ってろ。」



次の瞬間、彼が目にした光景には、さすがの彼も意を突かれたようだった。



<現在・れお>


東京湾に掛かるゲートブリッチの上を走る父親の車に同乗しながら、東京の夜景を目で追っていた。煌々と光る建物の明かりを見つめていると、なんだかひどく灌漑深くなってくる。


ここ数か月の間に、本当に色んなことが起きた。目まぐるしく毎日が過ぎていった。


ひとまず、かなが精神科病棟からの退院を終え、新しい生活にある程度慣れてきたことに、僕は胸を撫でおろした。これである程度、かなも軌道に乗っている。そう思った。


この夜景をひたすら眺めていると、「ちょっとぐらい人格がたくさんあってもいいんじゃないか」そんな風に思えてくる。


だが、それは僕の若さゆえ、あるいは非当事者ゆえの考えであって、きちんと現実と向き合う当事者にとっては、あるいはただただイライラするだけの言葉と化すかもわからないなと最近思う。


退院してからの最近のかなを見ていると、生活リズムも、食生活も、体調も、前よりとても安定していて、また症状の自己管理もできるようになり、快方に向かっていることは確かなのだが、やはり病気が原因の大きな不安がかなを頻繁に襲うようである。


別れた人格は、大体三十代に消滅や統合をするケースが多いようだが、三十代に必ず病気が治るという保証は無いし、大体が三十歳になるまで待たなければならないというのがとても辛いだろう。


それは僕のような非当事者には決して完全なる共感などしようと思えどできないものだ。


大学、あるいは就職、これの何が困難かというと、まず大学に関しては、人格一人ひとりの興味関心がばらばらであることと、勉強を積んだ年数も、勉強に対する耐久性もみんなばらばらだということである。一方就職の場合は、大学の場合と同様、人格それぞれ別々の関心や能力を持っていることと、仕事に耐えるだけの責任感をもっている子とそうでない子がいることである。


また、さらに当然、万が一多重人格であることが周りの友達や同僚に知れてしまった場合、平気な顔で受け入れてくれる人ばかりではないはずだ。当然、そのような不安もあるだろう。


他方、かなのように、多重人格である以前に、人間関係等につまずきやすく、それゆえ大きな生きずらさや不安を抱えている人もいる。


さて、ここからは、話をガラッと変えて、三か月前、消滅または統合したと思わる、しかし、そもそもがかなの妄想からできた可能性も十分にある交代人格、そらちゃんについて、説明していこう。


まず、そらちゃんの特徴としては、一つに挙げられることが、本が好きで、好きな本がかなと合致するということだ。もう一つは、日本語で話しているけれども、単語と単語のつながり、文と文とのつながりが支離滅裂で全然理解ができないということだ。後者に関しては、現在のかながすこぶる調子が悪くなった際に出る兆候と合致する。


また、もう一つはっきりしているのが、なぜかわからないけれども、そらちゃんは、会ったこともないのに、僕のことをすべて知っていた。名前、性別、誕生日、好きなもの、いつも持ち歩いているもの、大体の身長、体重、等々。


さらに、僕のことを「境界性パーソナリティ障害」だと言った。僕は、誰かに境界性パーソナリティ障害だと診断されたことはないし、ましてや自分がそれだとかなに話したこともない。しかし、境界性パーソナリティー障害と診断されてもおかしくないほど、僕は確かに境界性パーソナリティー障害のような気質を持っている。


だからこそ、そのようなことは、僕のことを深く知った人間でないと口に出せない言葉なのである。


そらちゃんは、謎めいた人格であった。


ここまで、僕自身の見聞よりそらちゃんについてはっきりしていることを記述したが、下述では、そらちゃんが自分で話していたが、はっきりそれが本当だとは僕の見聞上からは言い切れない事柄を記していく。


ただし、それはそらちゃんのナレートに委ねることにしよう。



(そら)


今から七年前以前、かながまだ小学生で、あやが生まれてくるよりまえの段階で、私はかなから分離した。

私は、人を憎く思う憎悪の感情を受け持つ交代人格である。


私がみんなと違うのは、私は交代人格たち全員の記憶を受け継ぐことができるということだ。

すなわち、かなの記憶も、しゅんの記憶も、あやの記憶も、ゆめの記憶もすべて持っている。


私たちは、いくつかに人格が分かれているといえども、結局は「かな」なのだ。その事実から、目をそらしてはならない。私以外の人格たちは、みんな弱くて目を背けている。私だけが、そこから目を逸らさない強さを備えている。


私は、はっきり言って、早くこの世から消えたい。消滅でも、統合でもなんでもいい。とにかくこの腐りきった世界から、早く姿を消したいと切に思う。他者への攻撃性を、生まれてからずっと、必死に押し込め耐え抜いている。生きていることが、この上なくつらい。


そして、かなには、精いっぱい苦しんでほしい。私はかなが憎らしい。


だが、とはいえ私もある程度の思慮深さは持ち合わせている。しようと思えば今だってすぐに人格を統合させられるが、かなが私の気質をもてばかなは他者への攻撃性を制御できなくなり、困るだろう。


だから、統合は我慢している。一方、消滅の仕方は私にはわからない。


しかし、そんな私の考えも今は変わりつつある。

まずは、かなに私の記憶を流すことから始めよう。そしたら、かなは辛くなって自殺してしまうかもしれない。だが、それもそれでいいだろう。

かなが自殺すれば、私も一緒に消滅するのだ。


かなよ、くるしみたまえ。



ここで、ナレートを僕に戻す。


こうそらちゃんが言った翌日、かなは過去の悲しい記憶を思い出したといって、泣きながら僕に電話をかけてきた。また、そのさらに数日後には、かなが「そらちゃんが統合したかもしれない」と僕に訴えた。


その根拠としては、他者への攻撃性を自覚したり、そらちゃんの特徴だった「支離滅裂な日本語」を友達にチャット上などで送ろうとしてしまう強い衝動が働くようになったからだと言う。


ただ、それはあくまでかなの主観より判断した事柄なので、僕にはそれについては何とも言えない。


ちなみに現在は、かなは、他者への攻撃性の自覚は全くなくなったようなので、それについては全く心配する必要はなくなった。



<3か月前・あや>


どいつもこいつも私のことをいじめてくる。

私は何もしていないのに、何でしゅんはわたしがやったと言い張るんだ。濡れ衣だ。


またしゅんの怒鳴り声が響いた。

「おーい!出て来いよ!おまえがやったのはもうお見通しなんだよ!!」

「出てこねえとぶっ殺すぞ。」


しゅんのやつ、もう一生恨んでやる。

なんで私がこんな目に合わなきゃいけないのかしら。


「しゅんちゃん、激おこぷんぷんまる!おもしろーい。」

「んあ?ゆめは黙ってろ。」

ゆめのやつ、またばかしてるわ。


「うぇ」

次の瞬間、何か鈍い音が広場に響き、しゅんがさっきまでの調子とは取って代わった声を出した。


「あー!しゅんちゃん!」

ゆめが甲高い声を出した。


さすがに様子が変なので、隠れるのは一旦やめにして様子を見に行った。

しゅんやゆめがいるところまで来たとき、そこにあった光景には、私もさすがに少し驚いた。


いつも寝ていてばかりでほとんど口も聞かなかったそらがしゅんをぼこぼこに殴っていた。

ゆめはそらを体を張って必死に抑えていた。


そらは、口を開いても何を言っているのか、全然わからない交代人格だ。

何を考えているのかも、全くわからない。気持ち悪い奴だ。


ただ、「理解されない」「苦しい」この言葉を多用する傾向だけは私も見破っている。

なんせ、そらとは長い付き合いだから。


「なんでしゅんちゃんを殴るの、暴れないで!!」

ゆめがそらに向かって叫んでいる。


起き上がったしゅんもゆめに加勢した。

しゅんもゆめも嫌いだが、とはいえ毎日泣き笑い話したりして互いに協力しながら生きてきた仲だ。


迷わずそこに私も加勢した。


「おいそら、あばれんじゃねえ!!」

「そらちゃん、やめて!」


今そらは、何を目当てに暴れているのだろう。しゅんを殴るためか。いや、そらの向かわんとする方向を見ていると、外の世界に出ようとしているのかもしれない。

私は、そらが、人格交代を自主的に行おうとしていると解した。


そんなことさせるものか。そらが外で暴れたら、大変なことになる。また部屋が散らかったりするだろう。


私たち三人は、必死でそらを抑え続けた。

しかし、やはり体力の限界というものがあるもので、私も、しゅんも、そらを押さえつけることにとうとうリタイヤした。


だが、ゆめだけはちがった。


「うおーー!」

ゆめが奇声を上げた。


ゆめ、何でそんなにがんばるのよ。普段は食べ物たべることも我慢できないくせに。


それから長いこと、私たちが想像を絶する時間、ゆめはずっとそらを抑え続けていた。

そしてついに、ゆめも体力の限界が来たようで、地面にばたんと倒れた。


「おいゆめ、だいじょぶか??」

しゅんが駆け寄った。


私もゆめの方へ急いで近づいた。

ゆめの応答はなかった。


「ゆめ、やべえぞ。」

しゅんが言った。


ゆめ、やるときは誰よりも頑張るんじゃん。


この間、そらと言えば、もうすでに人格交代をしに明るいほうへ行ってしまった。

追いかけるだけの体力もなく、私は後を追うことはしなかった。



<3か月前・れお>


ぴこん。ケータイの着信音が鳴った。

メッセージアプリの通知だ。


アプリを開くと、そこには何やらかなからの奇怪なメッセージが送られてきていた。

「鯨の声が聞こえますか?金蛇の色を知っていますか?」

「あ、あそこにいもがあるぞ!アネモネの憎らしい愛を込めて。畑の首も笑うでしょう。」


かな、どうしちゃった?調子悪いのかな。

当初そらちゃんの存在を知らなかった僕は、そう思った。


「あ、あそこにいもがあるぞ!」というメッセージは、今までにも何度か送られてきたことがあった。だが、その度かなが調子が悪いのだろうと思い、スルーしてきた。


まあ、今回もスルーしておこう。別に特に意味はないだろう。



<3か月前・しゅん>


例のそらが大暴れした一件から一週間。

ゆめはといえば、ずっと寝ていて起きてこない。

あれほど食いしん坊だったゆめが、食欲がないと言っている。


まるで生気が失われた廃人のように、息を吸って、吐いて、を、繰り返すばかりである。

いくら仲が悪いとはいえ、いざゆめが具合が悪くなれば、自分でも驚くほどのゆめとの心的な強いつながりを実感する。


おい、ゆめ、大丈夫かよ。早く元気になってくれ。



<現在・かなのお母さん>


「わーい。焼き鳥だー!!」

食卓に並んだ香ばしい匂いがする焼き鳥に、ゆめは大興奮している。


「これ、ゆめ食べていいの?」

「いいわよ。さあ、いただきます。」

「いっただきまーす!!」


あむ。もぐもぐもぐ。

「わー!おいしーい!!」

「ゆめ幸せだなー!」


ゆめのおいしそうに食べるその始終を眺めていると、こちらまで何だか幸せになってくる。

喜んでもらえて私も嬉しいわよ。心の中でそう呟いた。

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ちょっとぐらい人格がたくさんあってもいいんじゃないか。 @kamometarou

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