密室という概念

加湿器

監禁という行為

 仄暗い地下室に、男が一人囚われている。彼は、なんの変哲もない男である。年のころは16を数か月過ぎた、ただの男子高校生である。


 ほんの数か月前、ちょうど誕生日を三日後に控えた日。彼はとある美しい女に攫われて、以降この地下室で過ごしている。

 重い、重い扉は固く閉ざされ、最低限のライフラインだけが整えられた部屋で過ごすうち、ふっくらと血色の良かった彼の紅顔はすっかり痩せこけて、落ち窪んだ目は虚ろになっていた。


 かつ、かつとハイヒールが階段を踏み鳴らす音がする。

 夢うつつを問わず、数か月彼を苦しめるその音。彼の背筋を虫が這いまわり、ぎゅっと目を伏せる。今日もまた、悪夢が始まる。


 ぎいぃと音を立て、重い扉が開く。隙をついて逃げ出そう、などという思考は、最初の一月も持たず消え果ていた。適切な治療もなく、もはや正常に曲がらぬ右手の小指が、きりきりと痛む。


 かつ、かつとハイヒールが打ちっぱなしのコンクリートをたたく。重い扉は再び閉ざされ、今晩も長い一夜が始まる。


 意味が分からなかった。重ねて言うが、彼は平凡な、なんの変哲もない男子高校生である。高額な身代金など望むべくもなく、また、彼女は性的な行為を求めることもなかった。彼が心折れたのちは、彼を痛めつけることもなかった。ただ、日が暮れるたびにこの地下室に君臨し、美しい顔を蛇のように歪ませながら、彼を見つめるのみである。


 女は美しかった。温度を感じさせぬ透き通った白い肌に刻まれた完璧なる目鼻筋は、見る者に大理石の彫刻を思わせる氷の美貌であった。


「何が望みだ、いつまで続ける。」


 ある時、男は女に尋ねた。当然の権利である。女は歪んだ蛇の貌のまま、答えた。


「あなたは、閉じ込められているべきだもの。」


 意味が分からなかった。その意味不明さが、男をますます絶望させた。狂人に通じる道理など、この世にはないのだと。


 以降は、男も女も口を開くこともなく。数か月の狂った沈黙が、かつかつと響く悪魔のハイヒールが、男の精神をすり減らすのみである。


 ただ、その日は様子が違った。女は手にナイフを持ち、相変わらずの蛇の貌で、悪夢の音を響かせながら、彼に寄ってきた。


「困ったわ、このままでは、あなたを閉じ込め続けられなくなったの。」


 彼女が、かつ、と足を止めてそう言った。

 男はほんの少し恐怖し、多大に安堵した。手にしたナイフが嫌な想像を喚起するが、もはやされるならば、何でもよかった。


「だから私、になるわ。」


 女はナイフを掲げ、自らの首筋に突き立てた。

 男の顔に、生暖かいものが降り注いだ。


 数時間後、男は病院に運ばれた。

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