第47話 まばゆい朝と一抹の影
午前8時18分。
明人が自分の教室に入ると、生徒たちが何人かすでに来ているのが目に入った。
中には千星の姿もある。今朝はよく一緒にいる女子生徒がまだ来ていないのか、一人で携帯をいじっていた。
千星が明人に気がついたか、優しい笑顔を向けた。
明人にとってなにより勝る歓待である。明人も笑って返した。
ふと、
(もうクラスの中でも普通に話しちゃってよくね?)
そんなことを考えた。
明人が千星に近づけばそれだけで目を引くのはまちがいない。
千星は校内男子一同の憧れにして夢である。いわばアイドルの中のアイドルだ。しかもあまりの美貌にたいていの男子が尻尾を巻くせいで、普段は男っ気があまりない。
まして親しげに話しかけようものなら噂となるのは必至である。
だが、もし透良が男ならどうしただろうか。
きっとそんなことを恐れず話しかけに行ったに違いない。そして千星もなんだかんだで機嫌良く接しただろう。
美人だからと変に持ち上げたり気後れしたりする男は、おそらく千星の好みではない。ここしばらく彼女を見ていて、明人はそんな結論にいたっている。
つまるところ果敢な者を好むということだ。ひっこんでウジウジするくらいなら、イノシシ気味でも堂々と正面からアタックするほうがマシ、というわけだ。
(よし、行こう)
そう心を決めた。
他の生徒など恐るるにたらず。
もしライバルが現れたとしても、どうせ本気で
「ちーちゃん、おはよ」
明人はカバンを持ったまま千星の近くまで歩き、声をかけた。
「うん、おはよ」
千星もきげん良くあいさつを返して、華やかに笑った。
ただ優しく笑っただけなのかもしれない。
だが本当に華やかだった。
この笑顔を独り占めできただけでも、やった甲斐があったと思えた。
だが周囲がざわめいた。
何人かの男子生徒と女子生徒が、露骨に明人と千星のほうを見た。
なんだか教室の中に緊張感のようなものまで漂った。
そのとき、いつも千星とよく話している女子生徒がたまたま教室に入ってきたが、明人たちのほうを見るなり困惑した顔で立ち止まった。
すぐに入室したものの、よほどぼうっとしていたと見えて、ドアを閉めてしまった。
「注目されすぎじゃない?」
今さらながら明人は少し焦った。
千星の人気を侮っていたかもしれない。
「いつもより視線が多いね。相手が明人くんだからかな?」
千星は慣れた様子で返した。
注目を集めていることを意にかけた様子がない。彼女ほどの美人になると、注目ごとき集めて当然なのだろう。
「なにさ、それ」
千星がいたずらっぽい瞳で明人を見つめた。
「明人くんだって割と注目度高いでしょ。知らなかった?」
「初耳。人目を引くほうなのかな、とは思ってたけど」
「そうなんだ。まあ、いつも男子同士でたむろしてるもんね」
機嫌良さそうにそう言って、千星は明人の顔をのぞきこんだ。
「風邪なんか引かないでね? あと二日なんだからさ」
軽く言っていたが、目には真剣味が感じられた。
周囲で耳をそばだてている生徒たちにはなんのことかわからなかったであろう。だが明人にはその意味がよくわかった。
ここまで生き残り、かつ三界のうち二つを崩せたのは、二人でたがいに助けあえたためだ。もし一人だけで挑んでいればとっくに死んでいたか、詰んでいただろう。
明人にとって千星がそうであるように、千星にとっても明人は命綱であり希望なのだ。
そして千星が死亡した場合、明人が彼女と同等以上のパートナーを得られる可能性はほぼない。想いを寄せていることを抜きにしてもだ。
同年代で、素性の明らかなクラスメートで、しかもアナの巫女がつとまり、とどめに今現在三界に囚われている者。こんな条件を満たす相手は千星だけだろう。
逆に明人が死亡した場合、千星が明人と同等以上のパートナーを得られる可能性もほぼない。先の事情がそのままあてはまるためだ。
明人に千星の代わりはいないし、千星に明人の代わりはいないわけだ。
「もちろん。ちーちゃんもね」
「うん、ありがと。私も気をつけないとね」
と、明人はおかしな方向から視線を感じた。
千星の机の上からだ。
見ると、ミニチュアサイズに縮んだアナがいつの間にか机の上に正座していた。
楽しそうに明人と千星の様子を期待のまなざしで見つめている。
その様子は、親戚の子どもの恋愛話にウッキウキで感心を寄せるおばちゃんそっくりだ。
明人と千星の仲に興味を持つものはすぐ近くにもいたらしい。
それはいいが、明人の隣にいたベルがあたふたしだした。
どこにあせる要素があるのだろうか、と考えて、
(あ。そう言えばアナ様は愛と豊穣の女神でもあるんだった)
そう思い当たった。
しかも高校生にはいささか早い『愛と豊穣』である。なるほどベルもあせるであろう。
(まさか愛と豊穣の女神として何かする気か? うむ。いやしかし)
気づいたせいで、明人はなんだか急にドギマギしはじめた。
千星もアナに気がついたらしく、そちらに視線を移した。
二人からじっと見られ、ミニ・アナは、ぱたぱたと手を振った。
「お二人とも、私のことはお気になさらず……」
「いや気になるから。アナちゃん、なんの女神様よ」
千星が小声でつっこんだ。
顔がすこし赤い。
「うふふ」
からかうようにアナが笑った。
女神とその巫女の会話というより親戚の身内話のようだ。
だが、おかげで
(ただのヤジウマだこれ)
とかえって明人は安心できた。
考えてみれば、アナが明人と千星の意思にかまわず縁結びを行うはずがない。万一しようとしてもベルが止めるだろう。
心配する必要がそもそもなかったわけだ。
そうとわかると今度はなんだか残念な気もしてくるから不思議なものだった。
と、大きな音を立ててクラスの扉が荒々しく開けられた。
入ってきたのは幸十だ。
いったいどうしたのか、怒っているとしか思えない険しい顔つきをしていた。
何事か、と教室にいた生徒達の視線が集まるのもかまわず、幸十は中を見まわした。
明人の顔を見るなり、早足でドタドタと近寄った。
千星と話しているのもおかまいなしだ。
「おはよ。どったの?」
そう聞いた明人に、
「おい、手ぇ見せろ」
あいさつ抜きにいきなりそう言って、幸十はぐいっと明人の右の手首を乱暴につかんでひねった。手の平が上に向くようにだ。
「ちょっ、なんだよ!?」
抗議したが幸十は答えなかった。
その代わり、顔がはた目でもわかるほど青ざめた。
「マジかよ……。【2】ってお前」
怪訝そうにしていた千星が、はっと目を見開いた。
ベルとアナの目が鋭くなった。
「ゆっきー。見えるのか?」
そう問うた明人に、幸十は黙って己の右手のひらを向けた。
そこには、【5】とあった。
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