第25話 一刀両断
「ごめんなさい。私、古宮くんと協力したくない」
一刀両断であった。
『闘争界を破壊するために一緒にがんばろう』という明人の提案は、千星にばっさり斬り捨てられた。
「……」
明人は公園が揺れるのをたしかに見た。
たぶん気絶しかけたのだろう。
つまり公園ではなく自分の視界が揺れたのだ。
明人とて千星に夢を見る世田高男子の一人。手ずから成敗されたとあっては卒倒したくもなる。
(どうして……)
クラクラする頭の中で問いが反響した。どうして、どうして、どうして、と。
断られるわけがなかった。
少なくとも明人の中ではそのはずだった。
三界を破壊するため協力関係を築く。それを断る理由がどこにあるだろうか。
ことを果たせねば千星だって命はないのだ。彼女の手にも、死ぬまでの日数を示す【4】の数字が今も張りついている。自分が生と死の境に身を置いていることくらい、アナからとっくに説明を受けているはずだ。
やはり公園か。
公園が寒かったのか。
「ごめん。たしかにこんな寒い場所を選んじゃったのは悪かったよ。けど、気づいたときにはもう待ち合わせの時間ぎりぎりだったんだ。つまり、寒がらせたのはわざとじゃなくてさ……」
「そうじゃないよ。たしかに寒いけど、そんな理由で断るわけないじゃない」
千星は困った顔をして、明人の言い訳をさえぎった。
「じゃあ、どうして……」
千星は探るような鋭い目を明人にむけた。
「古宮くん、ベル様と貪食界を壊したんでしょ。
「え? あ、まあね。なんとかギリギリで」
タカのような目に気圧されながら、そう答えた。
明人の顔をのぞきこむ千星の瞳はどこか危うかった。体がチリチリするような、おかしな感覚まで覚えた。
(おかしいな。前はこんな目をしなかったのに)
不思議に思った。
おととい会ったときの千星の目はこうではなかったのだ。快活で、命の輝きを感じさせる、そんな魅力にあふれていた。
それが今では、美しいのは同じでも、冷たい死を感じさせるナイフのような美しさに変わっている。
(どうして)
疑問に思ったそのとき、とつぜん千星の姿が黒い煙で見えなくなった。
(なっ!?)
明人は思わず身がまえた。
すぐにわかった。これは貪食界で人形から立ち上ったあの禍々しい黒煙だ、と。
ここは三界ではなく物質界――つまり現実だというのに。
が、すぐに自分を見つめる千星の端正な顔が見えた。
煙は消えていた。
「どうしたの、古宮くん? いきなり変な顔して」
千星がふしぎそうに首をかしげていた。
「どうしたのって……」
(煙に気づかなかった? まさか。あれだけ濃い煙にまかれて気づかないもんか)
そこまで考えて、自分しか見えなかったのかもしれないと気がついた。
以前、旧友の幸十が明人の右手の数字を見られなかったのと同じだ。
(ベルやアナ様も見えなかったのか?)
そう思って、二柱のほうをチラリと見た。
「?」
だがベルもアナも、明人を
今の煙を見たのは明人だけだったらしい。
「ごめん、なんでもない。見まちがいだったみたい」
そう言った。疲れてるのかも、と思った。
昨夜は貪食界で何度も死にかけたのだ。物質界に安置されていた肉体は別として、精神のほうは気づかないうちにすり減っていたのかもしれない。
だが見まちがいで良かった、とも言える。本当に千星が煙に巻かれていたよりはまだ救いがあるからだ。
「……? まあ、いいけど」
千星は不思議そうだったが、追求してはこなかった。
「話を戻すけど、つまりね。闘争界を壊すのは私たちに任せてほしいわけ。古宮くんたちとちがって、私とアナちゃんは闘争界を昨夜のうちに壊せなかったけど、なにもしていなかったわけじゃないんだ。手助けしてくれる人たちとも会えたし、世界の鍵になっていそうなモンスターも見つけた。わざわざ古宮くんたちに助けてもらわなくても、闘争界なんて壊せるんだよ」
千星は意外なことを言った。
「鍵の目当てがついていた? そうなのか、アニー」
ベルが強く反応した。とがめるような声色であった。彼も初耳だったらしい。
「申しわけありません、兄様。私の判断で伏せさせて頂きました。どうしても闘争界の破壊は自分たちだけでなしとげたい、と千星ちゃんにせがまれたものですから。……まあ、せがんだ当人がいま明かしてしまいましたけれど」
「アニー、それはさすがにひいきがすぎないか。光の神ではないが、神は公正であるべきだろう。まして今回は、なしとげねばその巫女の命もないのだぞ。手柄争いなどしている場合ではなかろうに」
「もちろん、わかっております。ですが兄様、ご存じのはず。私はいつでも勝利を目指すのです。どのような場合でも、どんな手段を使ってでも」
たしなめる兄神に堂々とそう答え、アナはほほえんだ。
「む……」
ベルが口を引き結んだ。
納得したわけではないが、これ以上は追求もできない。そんな感じだろうか。
優秀な兄とそれを手伝う妹。
明人はだいたい二柱の関係をそんなイメージでとらえていた。
だがどちらかというと、振りまわされ気味な兄と自由奔放な妹、といった感じがする。純粋な腕力は妹のほうが強いらしいのだが、この分だと発言力も押され気味な感じである。
「とにかく、そういうわけ。せっかく作戦会議に誘ってもらったのに悪いけど、手を引いてくれると嬉しいな。準備万端、後は実行するだけ、となってから来た人に、おいしいところだけ持って行かれるなんて納得いかないもの」
挑発的にそう言って、千星が冷たい美貌を明人に向けた。
「言っておくけど、本気だよ。獲物を横取りしようとするなら古宮くんでもただじゃおかないから」
「……」
きらわれていたわけではないのは幸いだが、それはそれとして心外であった。
明人には最初から手柄を横取りするつもりなどない。いや、手柄争いにだって興味ないのだ。
明人の目的はもっと単純だ。
明人も千星も、そしてできれば他の囚われた人々も、三界から解放する。そして七日目を生きてむかえる。それだけなのだ。誰が世界を壊すかなど問題ではない。
明人は言い返そうと口を開こうとし――ズボンのすそを引かれた。
「……?」
ベルが見上げていた。
目で問うた明人に、ベルは小さく首を横に振って応えた。
(『よせ』ってことか)
ベルにはなにか思うことがあるのだろう。
不服だったが、それでも明人は口をつぐむことにした。
そんな明人の様子をだまって見ていたアナが、
「兄の預言者よ。闘争界でなにかしたいなら独自に動くことです。私たちは手助けしませんが、邪魔もしません」
「えっ? アナちゃん、それは甘いんじゃ」
「お黙りなさい。非協力までは許しますが、妨害は許しません。勝利はねだるのではなく自らの手で勝ちとるものですよ、千星ちゃん」
アナはピシャリと言った。平静な声だというのに、鞭打つかのような厳しさが感じられた。見た目はキュートでもやはり本質は戦神なのだ。
今度は千星が叱られた童女のようにむくれる番だった。
「……わかったよ」
しぶしぶながら千星は同意した。
だがすぐ、
「負けないからね。古宮くん」
と明人に彫刻のような顔を向けた。
◇ ◇ ◇
「止めた理由を聞いていい」
千星達が去った後の、冷たい風が吹きつけるタイムカプセルの丘で、明人は難しい顔をして黙りこんでいるベルにそう問うた。
千星があんなにライバル意識を燃やしているとは思いもよらなかった。
だがベルも言ったように、今は内輪もめをしている場合ではないはずだ。あそこは千星を説得すべき場面だったのではないか。
「ドツボにはまりかねなかったからだ。へたに食い下がってケンカになろうものなら、千星はアニーの制止も聞かなくなっただろう」
「……どういうこと?」
「お前は違和感を感じなかったか? 千星の様子はおかしかった」
「まあ、なんだか以前会ったときと違ったけど」
というより、まるで別人のようだった。
温かみを感じる快活な女の子。それが明人の知る千星だ。
ところが今日は、飢えた狼のような殺伐さを身にまとっていた。
「まずいことになったぞ。千星は闘争界の罠にはまったのかもしれん」
「闘争界の罠?」
「貪食界を思いだせ。あそこは人を酒食におぼれさせようとしただろう? 闘争界も同じだ。人を戦いに没頭させようとするのだ」
「なるほど」
言われてピンときた。
ベルの言う罠とは、心理的なもののことだ。貪食界では明人自身がその罠に引っかかったからよく知っている。欲を煽るのだ。
(そういえばあのとき正気に戻してくれたのが早池峰さんだったな)
正確には、憧れのクラスメートに出会った明人が勝手に正気に戻っただけだが、まあ千星がきっかけだったのはまちがいない。
「貪食界の罠をかわした早池峰さんが、闘争界ではまるとはね」
「うむ。だが三界の罠には誰でもはまりうる。特に闘争界にとって美人はカモと言っていいはずだ。美人は競争や闘争を好む心を大なり小なり抱えているものであるしな。美人の条件と言ってもいいくらいだ」
「そうなの?」
「うむ。競争欲は悪いことばかりでもないのだぞ。なにしろ女が美人であり続けるためには並々ならぬ苦労がある。偏食や過食などもってのほか。服装にも気を配らねばならない。化粧の手間だってかかる。それらをやり遂げられる理由の一つが、競争欲なのだ。この手の気持ちがなさすぎると、今度は干物女になってしまう」
「な、なるほど……。バランスが大事なわけね」
さきほどのように競争欲が暴走した千星も困るが、干物化した千星もそれはそれでわびしい。
すぎたるはなお及ばざるがごとし。中庸こそが千星を男たちの夢たらしめていたわけだ。
「だったら早池峰さんをなんとか元に戻さないと。まあその、やりすぎないていどに」
「うむ。会うたびに一刀両断にされていてはお前の精神が持たんからな」
「いや、それも辛いけどさ。真面目な話、ヤバいでしょ。そんな調子じゃ足下をすくわれる。しかも、足下をすくいに来る黒幕だって闘争界にはたぶんいるわけで」
「そうだな。鍵のほか、千星を戻す方法も考えねばなるまい。だが、どうすればいいのだろうな。精神的なショックでも与えればいいのだろうか?」
「精神的なショックかあ……」
明人自身は、千星に話しかけられただけで戻った。だがそれは明人にとって千星が憧れの女の子だったからである。たぶん愛の力とかそういうのだ。
同じ方法でとなると、千星が明人への好意を胸に秘めていればいいわけだが
(今日、早池峰さん、俺と会っても全然変化なかったんだよなあ……)
悲しい現実が立ちはだかるのであった。
冷たい風が吹いた。
「変に狙ったことをやるとかえって怒らせそ、は、はくしゅっ」
くしゃみが出た。だいぶ体が冷えてきていることに気がついた。
頭に小さな雨粒があたった。
降り始めたらしい。せっかく整えた髪が濡れてしまいそうだ。見せたかった相手はもう帰ってしまったから、問題ないと言えばないのだが。
「明人よ、家に戻らないか。この大事なときに風邪をひいてはいかん」
「そうしようか」
つくづく場所選びをしくじった、と思った。
あわよくば千星と公園デートを、と夢見ていたのが嘘のようであった。
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