第26話 殺すための世界

 気がつくと、明人は黒焦げた大地のただ中にいた。

 一本の雑草すら見当たらない。焼けた土以外は、ごつごつした岩と直径数メートルのクレーターがあちこちにあるばかりだ。

 銃声らしき破裂音が遠くから届いた。

 タイヤを焼いたようなケミカル臭さが鼻をついた。顔をしかめて身じろぎすると、ぬかるんだ大地に靴が沈んだ。


 闘争界にやって来たのだ。


(聞いていたとおりの世界だな)


 あたりを見回しながらそう思った。

 三界に囚われるのも三度目になる。入界そのものにはもう驚きを感じないが、殺伐としたその光景には圧倒された。

 この世界のどこかには廃墟や密林もあるはずだが、稜線のむこうに隠れているのか、見える範囲にそれらしきものはなかった。

 虚栄界に繋がるのであろう、金の扉らしきものが遠くに見えた。そばにちらばっている木片は、貪食界に繋がっていた扉の残骸なのだろう。


「明人よ、武器はあるか?」


 ベルが明人に呼びかけた。

 今回はちゃんと最初から合流できたようだ。いつものゆったりした白い服ではなく、ミリタリー風の服に着替えていた。世界にあわせたのだろう。ちなみに明人はいつもの学生服だ。


「そうだったね。ええと」


 明人はさっそく両手を見てみた。

 右手も左手も手ぶらだ。

 近くに転がっているのかと思って足もとを見てみたが、汚い泥と水たまりがあるばかりだった。


「ないように見えるね」


「気が合うな。私にもそう見える」


 ベルのその手には鉾がもう握られている。ただこれは自前だろう。別枠で渡されるはずの銃がないわけだ。


「『貪食界を破壊した俺たちに渡す武器はない』ってことかな」


 黒幕が妨害しているのかもしれない。それくらいのことはしてきても不思議はないだろう。


「かもしれんな」


 そう言ったベルの目つきが、急に鋭くなった。

 音もなく、持っていた鉾を明人の頭のすぐそば向けてつきだした。


「えっ!?」


 驚いて明人がたじろいだときには、穂先が明人のこめかみから数十センチていどの空間をつらぬいていた。

 次の瞬間、チュインッ、と乾いた金属音が響いた。鉾がはじけるように震えた。銃声らしき乾いた音がすぐに続いた。


「逃げろ、狙撃だ! 今、お前を狙って弾が飛んできた! すぐ次が来るぞ!」


「――わかった!」


 驚いたが、すぐに動いた。

 先ほどの金属音は、明人を狙って飛んできた銃弾をベルが鉾ではじいた音だ。

 射殺されかけた、ということだ。


 不幸中の幸い、かたわらにはクレーターがある。

 明人はすぐさま大穴むけて飛び、文字通りに転がりこんだ。


 バス、バス、という気持ち悪い音とともに、穴底に張りついた明人の近くに銃弾らしきものがめりこんだ。


 己の荒い息がよく聞こえた。足が震えているのがわかった。

 しかし、とにもかくにも射線は切れたらしい。避難成功だ。

 このクレーターを見下ろせる位置に丘と大きな岩があるのだが、弾痕の角度からして、襲撃者はそこにいないはずだ。


「いい反応だ。悪くない」


 ベルが一拍遅れて飛びこんできた。


ファーストパーソン・シューティングゲームFPSは結構やるほうなんだ」


 強がってそんな答えを返した。


 もちろん実際はゲームとだいぶ違う。

 地面を転がった際にむき出しの石や砂利が当たったせいで体のあちこちがまだ痛い。

 目もまわるし、服も泥だらけだ。

 なにより、もしやられたとしても復活リスポーンがない。


「いきなりプレイヤーキルPKだよ。ひどいもんだ」


 恐怖といらだちをまぎらわすために軽口をたたいた。

 ゲームで他のプレイヤーを殺す行為をプレイヤーキルPKという。


 闘争界は本来モンスターが襲ってくる世界のはずなのだが、銃で撃ってきた以上、相手は人間と考えて良いだろう。この世界で人を殺すと本当に殺人になることを知らないのだ。

 もしかすると、知っているのかもしれないが。


「マナーの悪さはどこでも問題だな」


 ベルも軽口で返した。


 もっともふざけている場合ではなかった。

 クレーターに潜りこんだはいいが、先がない。ずっとこの半開きの穴底で首をすくめているわけにもいかないだろう。相手が迂回してこちらを撃ちおろせる丘に移動するおそれもある。


(ベルの鉾でなんとかしてもらえないかな)


 そう考えた。

 つまり、ホーミング弾として使えるベルの鉾で襲撃者を倒してもらう、ということだ。

 殺すとなるとベルは嫌がるだろうが、一般の参加者程度なら銃だけを狙って攻撃することもできるのではないか。


「おーい、そこのヘンテコ二人組ーっ?」


 とつぜん間延びした声が聞こえた。丘のほうからだ。

 それも、もしそこから撃たれたら絶体絶命、と踏んだあの丘である。

 だがこの地獄のような場所に不釣り合いな、女の子の声だった。


 見ると、丘上に小さな人影があった。

 岩陰から半身を出して、明人たちのいるクレーターを見下ろしていた。


(誰だ?)


 と思ったが、もちろんこの闘争界の参加者だろう。

 おそらく明人と同い年かすこし年下くらい。華奢きゃしゃな体つきや幼い顔立ちもそれを裏付けている。だがそれとは裏腹に、とんでもなく巨大な銃を片手で持っていた。

 一瞬グレネードランチャーかと思ったが、ちがう。FPSでもおなじみの名アサルトライフル、AK-47だ。ただし大きい。冗談のように巨大化ボアアップしている。

 そんなものを細い体つきの彼女がよく片手で持てるものだが、おそらく銃に見た目通りの重さがないのだろう。ここは三界だ。物理法則に強い改変チートが加えられていたとしても不思議はない。


「あんたら、さっさと動いたほうがいいんでない。そこ、もうすぐロケット弾を撃ちこまれるよ」


 なまりのあるイントネーションで、そんなアドバイスが飛んできた。

 どうやら味方してくれているようだ。まあそうだろう。もし彼女が敵だったら明人たちはとうに撃ちまくられている。


「明人よ、あの娘の言うとおりだ。ロケット弾うんぬんはともかく、居場所をつかまれた状態でまごついているとトドメをさされる」


 右隣に伏せていたベルがそう言った。


「同感なんだけどね。問題はどこに行くかだよ」


 わずかに下り坂になっている場所に、別の大きなクレーターがあるのは確認していた。あそこがおそらくベストだ。

 ベルと明人が二人で隠れるには十分な大きさがあった。

 しかも塹壕らしき大きな溝にも繋がっていて、そのまま退避することもできそうだ。

 少女のいる丘とはちょうど正反対の位置にあって、今明人たちを狙っている謎の襲撃者の注意を彼女から離せるのもいい。


 ただ、遠いのだ。

 無事にたどり着くのはかなり難しいだろう。


「あちらにクレーターがあった。そこに行こう」


 ベルが、左斜め後方を指さした。

 明人も目をつけていたクレーターだろう。ベルも同じことを考えていたわけだ。


「俺もいいと思ってた。けど遠いんだ」


「私が援護する。覚悟を決めて走れ。私自身は撃たれてもやられないから心配しなくていい」


 とベルが鉾をすこし動かして見せた。


「……それしかないか」


 そう言ったものの、いざ行こうとすると、ためらいが体を固まらせた。

 ベルがそう言う以上、成算はあるのだ。

 それはわかる。


 だが、もし裏目に出たら?


「ッ!?」


 そのとき、急に体に嫌なものがまとわりつくのを感じた。


(ヤバい)


 不意に確信した。

 なにが起きようとしているのかはわからない。

 だがこの感覚は、ゆうべ【キキコーの鬼婆】から強烈な悪意を向けられたときとそっくりだ。


「行くしかなさそうだ。信じるよ、ベル。1、2の3で飛び出す」


「任せろ。信じる者は救われるぞ」


 請け負ったベルのその手には、しっかりと鉾がかまえられていた。

 ぬいぐるみに似たその姿がいつもより頼もしく見えた。


「1、2の……」


 ぐっと身体を沈みこませる。


「3!」


 大地を右の手でつかみ、足で蹴り、一気に穴の底から駆けあがった。

 そうして飛びだした後は、勢いのままに姿勢を低くして走った。

 遠く、視界のはしになにかが見えたが、気にせずそのまま駆けた。


 ベルの姿がやや後ろに見えた。明人に続いてすぐに飛び出したのだろう。


 実際に走ると大地は広い。

 気がせくのもあろう。

 走っても走っても、なかなか目的のクレーターにたどり着かなかった。

 靴にぐちゃぐちゃと泥がからみついた。


(足をすべらせたらおしまいだな)


 そう思うと気が気でなかった。

 しかし最も恐ろしかった銃声は一度も起こらない。

 諦めたのか、それとも向こうが慈悲心でも起こしたのか。


 ともあれクレーターにたどり着けた。

 今度は足から降りたが、勢いよく飛びこんだせいで、踏ん張るのには失敗した。

 すべって思いきり尻餅をついた。あげく、しこたま尻をすりながら一番下のくぼみまですべり落ちた。


「ってー……」


 ズボンが破れていないか手で触ってみた。幸い生地は無事そうだ。泥まみれで、しかも水がしみこんできて冷たかったが、この程度ですんでよかったと思うべきだろう。


 と、続いて飛びこんできたベルが、ヘッドホンのようなものをすぐさま明人にかぶせた。


(こんなときに音楽?)


 と思ったが、音がしない。


防音具イヤーマフか)


 と気づいた。

 その瞬間、背後で爆発音が連続してとどろいた。

 肋骨まで振動がひびいた。イヤーマフをしているのにそれでも耳が痛んだ。

 土砂と、大小さまざまな破片が、恐ろしいスピードで頭上を越えていった。小さな砂利がパラパラと体中に落ちた。頭に小石があたって、少し痛かった。

 いつのまにかベルもイヤーマフをつけている。ただ耳の位置が合っていないので意味がなさそうだ。


 凶悪な飛散物がおさまった。

 ベルがイヤーマフを地面に放り投げた。明人もそれに習った。


「危ないところだったな」


 とベルが頭や肩の砂利を払いながら言った。


「今のがロケット弾?」


「ああ、4発な。拳銃すら持たぬ相手に殺意の高いことだ」


「銃弾が飛んでこないと思ったら、そういうことか」


 ちょうどロケットランチャーで吹っ飛ばそうとしていたところだったわけだ。慈悲心が聞いて呆れる。


(さてどうしたものか)


 クレーターは、期待通り塹壕らしき大きなみぞに続いている。

 このまま逃げることはできよう。また、いつまでもここにいたら今度こそロケット弾で吹っ飛ばされるおそれもある。

 しかし、なにもせずに逃げ出すのは、あのアドバイスをくれた少女を見捨てるようで気が引けた。

 おそろしいロケットランチャー男の前に、いたいけな少女を放りだして逃げて良いものだろうか。


 明人は射線が通らないよう注意しながら、そっと彼女のほうを見――気がついた。

 少女が、遠方に狙いをさだめている。

 立ったまま銃を両手でかまえ、静かにスコープをのぞくその姿は、美しいと感じるほどピタリと決まっていた。


 大きな銃口から発火炎マズルフラッシュが閃き、白い発砲煙が噴きだした。タタタンッ、と連続した銃声がほぼ同時に聞こえた。

 銃から飛びでた薬莢は金槌の金具部分ほど太かった。反動もひどいはずだが、少女は平然としている。やはり武器関連の物理法則はと異なるのだろう。


(当てた、のか?)


 少女が小さくガッツポーズをとったのを、明人は見逃さなかった。


「全弾命中だ……! すさまじいな。狙いにまったく迷いがなかった」


 隣からベルの驚いた声がした。

 いつのまにそうしていたのか、ベルは潜望鏡のような変わった形の単眼鏡を片目に当てて、遠くを観察していた。


「俺を撃ってきた奴に当たった?」


「ああ。遠くの岩陰にいた男に、3発な。ロケットランチャーを担いでいたから、奴が襲撃犯と見てまちがいなかろう」


 ならば明人たちを襲ったプレイヤーキラーPKの脅威は去ったわけだ。

 一安心だ。

 明人がそう思ったとき、


「胴体が半分吹き飛んでいた。大威力の機関砲弾を人体で受ければそうもなろうが、まず即死だな」


 とベルは単眼鏡から目を離して続けた。


「即死……? え、射殺したってこと」


「そうなる」


「……」


 あ然とした。

 年下か、せいぜい同い年の女の子が、あっけなく人を殺すとは。

 スコープで確認していたなら、人の一部が挽肉になる凄惨な光景ものあたりにしたはずだ。それなのにまったく動揺した様子は彼女になかった。


「そうとうに剣呑けんのんな相手だな」


 ベルが単眼鏡をふところに入れ、鉾に持ち替えた。

 先ほどロケット弾を撃ちこんできていた男は死んだ。他の人間がいる様子もなさそうだ。

 となると、警戒している相手は一人しか残らない。


「やるね! 絶対死んだと思った」


 その当人から賞賛の声が届いた。人を殺めた直後だというのに、その声はとても平静であった。

 見ると、先ほどの岩陰から少女がほんの少しだけ顔を出していた。銃のない明人たちには元より彼女を撃てないのだが、仮に銃があったとしても、あれならすぐ撃てない位置に隠れられるだろう。


「それで、あたしたちはどうする。さっそく今から殺りあっちゃう? 二対一だけど、ポジションはこっち有利だし、全然いいよ!」


 すごい提案が来た。

 どうも明人たちに味方していたわけではなく、ロケットランチャー男との勝負を優先していただけらしい。

 明人は大慌てでぶんぶん首を横に振り、戦意がないことをしめした。


「ノリが悪いなー。この世界に来ておいてそれはどうよ」


 あきれたように言った少女が、ふといぶかしげな声を出した。


「待った、あんたら自分の武器は?」


「私のはこれだ」


 とベルが鉾を見せた。


「俺は出なかった」


 明人も続けた。


「はぁっ!? こともあろうに銃なし!? うわあ、バカくさいはんかくさい……」


 すっとんきょうな声が聞こえた。岩陰に隠れていてよく見えないが、どうも頭を抱えているようだ。


「あー……。よし。あんたらそこ動くな」


 とつぜん超強化突撃銃AK-47の凶悪な銃口が明人に向いた。


「げ!?」


 問答無用で撃つ気かと思ったが、ちがった。

 少女は丘から一直線に駆け下りてきた。しかも早い。山ネコを思わせる俊敏さだ。


 だが姿勢を低くして駆ける間も、狙いは明人にぴたりと定められ続けていた。

 自動照準機能オートエイムでもつけているかのようだ。それを彼女は自分の腕だけでやってのけている。恐ろしいほどの腕前である。明人は動くに動けなかった。


 戦鬼のごとき少女はあっというまにクレーターまでやってきた。あざやかに底まですべり降りてきた。

 その凶悪な黒い銃口は、今や明人の目の前だ。


 近くで見ると、いかにも闘争界の参加者と思わせる出で立ちであった。

 迷彩服、超強化AK-47、武骨なミリタリーウォッチに、ニヤリと笑う核マークというロックなバッジをつけたベレー帽。容姿も整っている。サバゲー雑誌のカメラマンが見たら、きっと勢いこんで撮影許可をもとめるだろう。

 そんな彼女のワルそうな笑みが、明人たちにむいた。


「ちょびっと話を聞かせてもらうよ、お二人さん。断れないのは、わかるよね?」


 明人とベルは、二人いっしょに両手をあげて応えた。

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