第12話 会場のサクラ

 こんがり焼けた霜降りステーキの香ばしい匂いが、明人の鼻腔をくすぐった。


 琥珀色こはくいろをした東坡肉豚の角煮のとろけそうな肉と脂が、舌を誘った。


 すしゲタに乗った大トロの握りとウニの軍艦巻きの色鮮やかさが、空腹をあおった。


「……悪夢だ」


 ぽつりとつぶやいて、明人は首を振った。


 昨晩と寸分たがわぬ騒がしい光景がそこにあった。

 豪奢な赤いテーブルクロス、珍味佳肴ちんみかこうの山脈、銘茶めいちゃと美酒の海原、そして豚のようにがっつく客の群れ。

 さらには、刑務所の塀のように周囲三方をかこむ城壁と岸壁。


 貪食界に来てしまったのだ。


 服は昨日と同じように世田高の制服を着ていた。左胸にも例のワッペンがついている。ただ、いつ書き換えたものか【5】となっていた。


(ベルの言ったとおりになった。俺がこの世界に囚われているってのは本当らしいな)


 明人はそう認めざるを得なかった。ここまではっきり証拠を見せられたのでは最早疑う余地がない。


(そのベルは……いないか)


 あたりを見まわしたが、ベルを見つけることはできなかった。服を着たネコのぬいぐるみという目立つ姿だから、いればすぐにわかるはずだ。おそらく、まだこちらに来ていないのだろう。


(たしか俺はベッドに入ったままベルの帰りを待っていたはずだ。それなのに、俺だけ先に来たということは……ベルが帰ってくる前に寝落ちしたな?)


 そう当たりをつけた。

 階段を昇っている最中に強制的に入眠させられたくなかったので、早めにベッドに入っていたのだが、それが良くなかったようだ。こうなったらこちらで合流を待つしかないだろう。


(そういえば、早池峰さんも来ているんだろうか)


 ふとクラスメートのことが気にかかった。

 明人が囚われているのであれば、彼女も事情は同じのはずだ。

 できればまた合流したいと思った。単純に会いたいのもあるが、なにより、明人が得た三界の情報を彼女にも共有しておくべきだからだ。彼女はまだなにも知らない。ともすれば無知なままおかしな場所に行ってしまい、災難に遭うことも考えられる。


(問題は、早池峰さんをどう探しだすかってことなんだが)


 厳しい。

 そう考えざるを得なかった。

 周囲は雑多な人と飯とノボリとイベントテントが埋めつくしてしまっている。

 広く猥雑なこのグルメ会場で、一人のクラスメートを探しだすのは、ソシャゲのガチャ一回でいきなり最高のレア度のカードを当てるより難しいだろう。

 ベルは明人と合流する手立てを持つようだが、明人にそんな便利な手段はない。


(スマホがあればな)


 と思ったが、これもあいにくポケットに入っていないのだ。もっとも電波が届かないだろうし、そもそも千星の連絡先だって知らないから、もし入っていたとしても意味はなかったろうが。


(しょうがない。ベルが来るまでブラつくか。もしかしたら運良く早池峰さんとも会えるかも知れないし)


 そう思って、明人は適当に歩き出した。

 時間が限られている中で無駄な時間を過ごしたくはないのだが、他にできることもない。


 会場内を見るでもなく見ていると、興味深いことに気がついた。


 参加者の中には、手のひらに数字がない者がときおりいる。昨日もそうだった。

 だがそんな連中は、決まって料理を食べていないのだ。食べているフリをしているだけだ。その証拠に、そういう者の前にある皿は、きまって料理がほとんど減っていない。


 ベルの小テストを受ける前なら、なぜそんな者たちがいるのかわからなかったろう。だが今ならわかる。


(サクラだ)


 つまり、幻。手の平に数字がない者は、参加者のフリをした精巧な人形なのだ。

 この小世界の大道具の一種として、客たちの中に運営の手の者が紛れこんでいるわけだ。


(それはわかるけど、なんでまたそんなことを? ただの賑やかしなのか、それとも別の理由があるのか)


 足を止めないまま明人が不思議に思っていると、


「ねえ、キミ一人?」


 横から甘ったるい声をかけられた。


 声のほうを見ると、挑発的な感じのボブカットの美人が、手にジョッキを持ったまま、流し目を明人に送っていた。

 年は明人より二つか三つくらい上だろう。大胆なスリットの入ったココアブラウンのミニスカートに、黒のブラウスを合わせた、色っぽい格好だ。シースルーから透けて見える素肌もなまめかしい。


 だが、


(あれ?)


 と思った。

 明人は彼女を雑誌で見たことがあった。たしかグラビアアイドルだったはずだ。


 そんな彼女がなぜ、と思ったら、手のひらに数字が描かれていなかった。

 サクラということだ。おそらく本人ではなく、姿を似せただけの人形なのだろう。


「よければ私と一緒にご飯食べない? 一人で食べるのは味気ないでしょ」


「せっかくですけど、人を探しているので」


 うすら寒い思いを感じながらも、明人は平静を装ってそう答えた。


「そうなんだ。じゃあ一緒に探そうよ」


 女は強引に明人の手を握り、胸の谷間が見えるあざとい恰好をして見せた。その手はちゃんと熱を持っていた。残念そうにするしぐさも、服の揺れ方も、香水の匂いも、本物としか思えなかった。


(幻のはず、なんだけど)


 明人は自信がなくなってきた。

 もしかしたら推測が外れているのではないか。

 あるいは、たまたま手のひらに数字がないだけで、やっぱり人間なのではないか。


 だがそのとき、おかしなことに気がついた。

 彼女の持つビールジョッキの中身が減っている。


 普通に考えれば、彼女はいくらかここのビールを飲んだあとだ。

 だがそんなはずはない。


(ここのものを口にした後なのに、食事より俺に興味を持つ? ないな)


 ということだ。

 ここの食べ物はただの食べ物ではない。食べれば食べるほど腹が減って、次々食べずにいられなくなる、おそろしい食べ物なのだ。それは明人も昨日体験したからまちがいない。


 しかもビールを飲んだなら酔っぱらってもいるはずだ。

 酔った上に食欲にまでかられた人間が、食事の手を止めてテーブルから離れられるわけがない。

 昨夜の明人は千星と出会って正気に戻ったが、それは相手が千星だったからだ。


「いえ、結構です。一人で探しますから」


 明人は手を振りほどき、キッパリ断った。


「え~。遠慮しないでよ。私だって一人だし」


「すみません。もう俺行きます」


 逃げるように会話を切り上げ、明人はその場を離れた。

 幸い、それ以上女は追いかけてこなかった。


 かなり距離を取ってから、明人はのぼりに身を隠しつつ後ろを見た。


(おやおや)


 であった。


 彼女は早くも別のサラリーマンらしきアラサー男に声をかけていた。

 サラリーマンは鼻の下を伸ばして嬉しそうに話していた。


 ちらりと手のひらに数字らしき黒いものが見えたので、こちらは本物の人間なのだろう。まだ食べていないのは、来たばかりだからだろうか。なんにせよ、相手がサクラだとは夢にも思っていなさそうだ。


 どうなるのか気になったので、明人はのぼりの後ろから、こっそり観察することにした。

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